kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

きれいではないが

2022-11-07 | 陸上競技

思うことを。

 

週の前半、突然左耳が聞こえなくなりました。完全に聞こえないという感じではないのですが。突発性難聴かなという感じでした。色々と思うこともあります。身体に不調が出るのは良くないなと思ってはいますが。私の体調などは周りの人にとってどうでもいい話だと思いますが。息子がサークルで練習中に膝を痛めました。手術が必要かもしれません。人生で初めて病院に付き添いました。また別の日にも大きな病院で精密検査をするということになっているのでその時も付き添いをしようと思っています。心配です。

 

金曜日。練習をさせてもらいました。最初から最後までメニューを任されて。普段はベースがあって少し専門練習をするという感じですが、この日は「全部」でした。これから先どのような形になるのか分かりませんが、こういう感じで週に何回かできるとありがたいなと思っています。私自身は「動かし続けたい」と思っているので休むことなく練習を進めていきます。ドリルなども本当は必要なのだと思いますが、まずは「股関節周辺の筋力アップ」が必須だと思っています。ひたすらやりました。丸々3時間程度だったと思いますが。それでも準備や行動が遅くて長引いてしまった感じがあります。私の感覚的には2時間半で終わる練習。何かあったら下を向いてしまう。この時間を省略して良ければ全く違うのかなと。

 

「同じような練習」はあると思います。しかし、それを本当に必要な負荷にしていくためには「意識の変化」は必要です。与えられたことをやる。それだけではない。

 

全く別の話かもしれませんが。先日、前任校のハードルの選手に「ハードル練習会を手伝ってほしい」という依頼をしました。「走れないですよ」と言っていましたが、走ったりとかではないので大丈夫だと伝えていました。顧問の先生と話をすると「毎日朝練を始めた」とのこと。実際にお手本を見せる機会があると思ったのでしょう。毎日朝からハードルドリルなどをやっているようです。別にそこまでしなくてもいいのですが(笑)。こういう部分に「考え方」や「取り組みの姿勢」が現れていると思います。だから17秒台が14秒5まで伸びる。3歩で最後まで行けなかったのが問題なく走れるようになる。

 

「強くなりたい」と口にするのは本当に簡単だと思います。ある程度の才能があればある程度の結果は出ます。が、それが「戦えるレベルになるかどうか」は別問題です。目指す目標に応じて「必要なこと」は変わってきます。それが分かるかどうか。実際問題多くの選手が「できない」というのがあります。国体で2位になったある選手も中国大会までは「100mHがやりたい」という感じでした。中途半端なレースをしていた部分があります。IHで入賞することを考えたら、どちらかに絞ったほうがいいかと相談されました。そこに対して「16歩の導入」を提案。400mHに力を入れることに。そこからはあっという間でした。週に2回程度の練習をしました。別枠で。結局、インターハイ4位、国体2位、。U18は優勝。人は「その気になる」ことができれば驚くくらい伸びるという良い例だと思います。能力があっても「その気になる」ことができなければ最大の結果を得ることはできないのです。

 

「何をやるか」も重要だとは思います。専門的な練習をするとかというのも「結果を出すため」には必要なことかなと。が、専門的な指導を受けなくても「速い選手」というのはいます。「強くなる」という想いが強い部分もあると思います。結局は「本人がどうしたいか」だと思っています。指導で一番大切なのは「本人をその気にさせる」ことだと思っています。それさえできればあとは勝手に選手が強くなっていく感じがあります。

 

行動が変容しない限り「結果は出せない」と思っています。昨年の冬、「このままでは無理」という話を何度もしました。第3顧問というのもあって私の話は響かないのかもしれません。それはそれで仕方ないのかなと。力があっても「磨き切れない」という選手は伸びません。一時的に「やる気」になって取り組める選手もいますが、結局はそれが「継続できるかどうか」だと思います。瞬間最大風速的に「やる気」になってもそれが1週間程度で終わってしまったら効果はないのです。「やる気」になることと「継続する」ことができるかどうか。実はここも「能力」だと思っています。

 

どれだけ身体的な能力があってもそれを磨くために必要な「やる気」とコツコツ「継続する」ことができるかどうかは大きいと思います。前任校の選手は「毎日朝練でハードルドリルをやる」というのを2年間続けていました。その結果が14秒5です。スプリントも12秒7まで伸びたと思います。自分たちで練習計画を考えて実行する形でも「やる気」で「継続」できれば結果は出るのだと思っています。

 

この冬。何ができるのかは分かりません。自分の中でも思うことはあります。ここは実際にどうなるのか分からない部分もあります。

 

どこに向かうのか。自分の中で考えておきたいと思います。

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考え方とモノの見方

2022-11-07 | 陸上競技

思うことを。

 

ある程度の年齢になりました。中堅?というよりはもう歳も上のほうになるのかなと思っています。所属する集団の中で何をするのかを考えていかなければいけません。できれば「担任」は続けたいと思っていますが、それが本当に生徒が望むことなのかも含めて考えていかないといけないと思っています。

 

若いころは生徒との年齢も近くて「年上のお兄さん」くらいだったかもしれません。教員になったのが25歳になる時。高校3年生が18歳なので「少し上」くらいでした。今では「自分の親よりも年上」という感じになります。関わり方も大きく変わってくるのかなと思う部分があります。「担任」として受け入れられるかどうかは分かりません。

 

陸上の中でもある程度の年上になってきています。以前、kd先生から「若い者から話しかけるのは難しい」と指摘されたことがあります。指導する姿を見ていたら「それなりに指導する」と思われるでしょうから、「敷居が高い」と感じられるのだと。できるだけ気さくに話しかけるようにはしています。それでもなかなか難しい部分があるのかもしれません。

 

大会の時も部署の主任をしています。そうなると他の人に「頼む」ことが増えます。一人ではできないことのほうが多いので。一番負担がかかる所はできるだけ「自分でやる」ようにしています。もちろん、助けてもらわないとできない部分が多いからです。そこに対して周囲がどのように思っているのかは分かりません。「勝手な奴」だと思われるかもしれない。それでもできるだけコミュニケーションをとりながらやっているつもりです。

 

この歳になると色々と感じることも増えます。今までと同じようにはいかない。別に管理職になる気はありません。試験を受ける気にもならない。そこに対して興味関心がないからです。このご時世なので「試験を受ける」と言えば受けられるのかもしれません。そこは全く興味がない。

 

大会の役員なども完全な「ボランティア」です。やってもやらなくてもよいという部分さえあります。それでこ「手伝わないといけない」という気持ちがあるからやります。が、「嫌だな」と思うことが増えるようなら「無理にやる」という必要はない部分だと思っています。なぜ、大きなストレスを感じながら「嫌なこと」をやらないといけないのか。学校の教員の仕事自体がかなり「ボランティア」の部分があります。「強制的にやらされるボランティア」だったりします。ここに対して「おかしい」と発言しても「仕方ないよね」と言われて終わり。本当にそれでいいのかなという気持ちが強くあります。

 

以前、かなり理不尽なことがありました。納得できない部分。そのタイミングで他の教員が「他者を見下したような行動・発言」があった。それに対してかなり不機嫌になりました。冗談じゃない。鼻で笑うような行為を繰り返されてさすがに我慢できなくて切れる。態度にもろに出ていたと思います。そうすると「kanekoの態度が悪い」というような評価を受ける。それに対してもかなりの憤りを感じました。片一方の意見だけを聞いてこちら側の状況は聞かないのか。それも「ボランティア」でやっているのにそこまで嫌な思いをさせられてやる必要があるのか。それ以後極力話をしないようにしましたが。

 

結局、我慢してやるしかないという部分が多すぎる。何か発言すれば「お前が悪い」みたいな雰囲気になる。それを甘んじて受け入れていかなければいけないのか。「大人だから」と言われるかもしれません。が、それで給与をもらって働いているわけではありません。別にやらなくてもよい部分です。土曜日は午前中から14時くらいまで手伝いをして受け取ったお金が「190円」です。弁当代を差し引かれてですが、それでも「時給換算」したら200円もないと思います。それなのに「我慢してやれ」と言われると「別にやらなくてもいいな」という気にさえなります。

 

学校業務の大半は「ボランティア」精神によって成り立ちます。「教員なんだからやって当たり前」と言われるのかもしれません。本当に必要なことには力を注げず、雑多なことが増えることで精神的なダメージも大きくなります。それでも「やるのが当たり前」と言われる。愚痴れば「我慢してやらないと」と言われる。それが本当に正しいのかどうか。

 

定年が65歳になります。現在46歳なので残り19年です。今の状況の中で19年働けるのか。そこまで「モチベーション」が維持できるのか。正直分かりません。「おかしくないか?」「これって必要?」というモノの見方をしているとかなりのストレスが蓄積されるのは確かです。「仕方ない」という気持ちで半ば諦めて淡々とやるというのであればそこまでストレスを感じないと思います。しかし、そんな状況で生徒に何かを伝えられるのかどうか。

 

「生徒のために」という「魔法の言葉」があります。なにか嫌なことがあっても、やりたくないなと思うことがあっても「生徒のために」と言われて「やるしかない」という状況が作られる。それを拒否すれば「生徒が困るから」と言われる。確かにそうだと思います。教育にお金をかけずに「ボランティア」精神を求められる。「やりがい搾取」と言われますが、「生徒のため」という言葉で「おかしくないか?」「これって必要?」はかき消されます。

 

時代に合わないのかもしれません。しかし、本当に「合わない」のは私自身なのか、「現状のシステム」なのか。「やって当たり前」と言われると「間違っている」と感じてしまいます。多くのことが見直されず今に至っている気がします。様々なことに忙殺される。

 

なんか「前向きにやろう」という感じがなくなります。年齢的なものでしょうか。時代が変わりつつあるのでしょうか。「不易」と「流行」があります。その中で自分自身が何を求めるのか。

 

まとまりません。

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