なかなかの余裕のなさです。よくわかりませんが、「面接練習をして欲しい」と言ってい来る3年生もいます。色々な条件の中で活動しています。練習計画のこともあるので放課後に面接練習が入ると難しくなる部分もあります。そうなると朝と昼休みにやるしかなくなる。小中学校の先生方は給食指導もあるので全く持って時間に余裕がないのではなと思います。本当にそんな生活でやっていけるのか?!恐ろしい話です。
あまりにも連続で何かをやるので余力が全くありません。授業準備や検定の準備もあります。これくらいのことをやり続けると正直、「枯渇する」感じもあります。いつもいつも元気いっぱいで活動するというのは自分の中で不可能です。先日はあまりにも疲労しているのと「おかしいやろ」と思うこともあってテンションが駄々下がりでした。授業に行きますがプリントを配布するだけで数分間。いつも通り配っているつもりですが、話をする気持ちが出てこなかったので黙々とプリント配布を。
授業が終わってから担任をしている生徒が他の先生に「kanekoに何かあったのか」と聞いてきたようです。私も普通の人間です。24時間エネルギーにあふれた活動はできません。それでも生徒からすれば「何かあったのか」という感じになったようです。昨日は直接生徒が「先生、あの日はあまりにも元気がなかったけど何かあったのか」と聞いてきました。必要のない心配を生徒にかけているのかなというのもあって申し訳ない気持ちになりました。自分自身の行動や発言が周囲に影響する部分もあるなと。反省させられました。
繰り返しになりますが、色々あって余力がなくなっています。いつも元気に過ごせるほどではありません。年齢的にも数年前と比べると「ダメージが残る」感じになっているのかもしれません。若いころと同じように常に元気よくやっていくというのは難しいんです。それでも「何かあったのか」と気にかけてくれる人がいるというのはありがないなと思っています。枯渇しつつある状況にエネルギーを注いでもらっている感じがあります。ありがたい。
今やっていることを見てくれている人も複数名いるんだなと感じる部分があります。応援してもらえているな、と。そういう一言一言が「やらないといけないな」という気持ちにさせてくれます。少し休みたいなという気持ちもあります。それが正解かどうかは分かりません。いつもいつも全力で進むにはもう若くないのかもしれません。限られた時間の中で自分自身が何をするのかを常に考えていきたいなと思っています。
一人ではできないこともたくさんあります。それでも「何か」をやらないと何も生み出さないというのだけは確かです。スタンス自体は今も昔も変わっていないと思っています。自分自身がそう思っているだけでひょっとしたら全く別の価値観になっているのかもしれませんが。今の自分を5年前、10年前、15年間、20年間の自分が見たらどう感じるでしょうか。なりたい自分に慣れているのか。全く違う自分になっているのか。ここもわかりません。自分では気づけない部分も多くあるからです。
疲れているのだけは確かです。これから先も同じような生活が続くのかもしれません。そうなると精神的にも肉体的にも「しんどいな」と感じることが増えていくのかもしれません。多分、我々の年代の人の多くが感じていることなのかもしれないなと思っています。それでも「大丈夫ですか?」「何かありましたか?」と声をかけてくれる生徒がいてくれるのはありがたいなと思います。通常では経験できない感覚です。
教員になったころに言われたのは「若いうちはそれだけで生徒が寄ってくるから楽なんだ」「自分の子供より年下の生徒になった時には寄っても来ない」という部分。多分そうなんでしょう。今、生徒が懐いてくれているのかどうかは分かりません。少なくとも「敵意」をもって接してくる生徒はいないと思います。激怒することもほぼありません。だから距離が近くなるのかもしれないなとは思います。とはいえ、スタンスはこれまでと何も変わらないのですが。
救われた部分があります。ありがたいなと。多くの人に支えられて活動しているなと思います。何が自分に求められているのか。ここは大きな部分だと思います。自分で役割を見つけるというのも必要なのかもしれない。
まとまりません。少し気持ちが楽になったなと思う部分があったので記録しておきます。少しですが。