思うことを。
前の記事にも書きましたが「部活動」と「競技」はすでに大きな「隔たり」があると思っています。これまでは「学校システム」の中に組み込まれながら「部活動」が競技をする場面でした。それ以外に「競技」をやるという仕組みがなかったからです。今では「クラブチーム」などが乱立しているので様々な形で「スポーツ」ができるようになっています。近い将来、「クラブチーム」に移行する部分が多くなるでしょうし、自然淘汰される「クラブチーム」も多く出てくると思います。今は軌道に乗っているといってもそれが5年後にも続くのかというと難しい部分が出てきます。
「勝利至上主義」は「悪」だと言われる部分があります。「勝てばそれでいい」という極論だけを批判する部分が多くあります。勝つためには手段を択ばない。そこに対して「人間的な成長」があるかないかを議論するため、「勝利至上主義」は「やらされている」ので「悪」だと言われる。一理あるのかもしれませんが「本質的な議論」ではないと思っています。
「部活動」が「それほどやりたくない」選手に合わせるのか「必死にやりたい」選手に合わせるのかは本当に難しい部分です。「平均」でやればなんとなく収まりますが、「やりたくない」選手に関しては「多すぎる」という評価になりますし、「やりたい」選手にとっては「足りない」となる。多くのパターンが存在するので「万人に受け入れられることはない」という結論になるのです。以前から私自身が「万人受けしない」というのは分かっています。そのことについてもblogにも書いてきたと思います。「やりたい」と思う選手にとっては「力」になっていると思いますが、「やりたくない」と思っている選手にとっては「負担」でしかない。それに対して「批判」が出るというのは当然だと思います。
「やりたくない」のであれば「やらなければいい」というのはあります。しかし、今のように「価値観の多様化」が進んでくると「少しやりたい」という選手が出てきて当然だと思います。「あの学校は競技に特化している」と分かって入ってきたとしても「そこまで求めていない」という選手は存在すると思っています。全員が「必死に強くなる」という同じ熱量でやるのはこの時代では困難です。「ある程度」はやりたい。が、「必死になる」ほどはやりたくない。「強くはなりたい」ががむしゃらにやるほどの「強い気持ち」は持ち合わせていない。当然起きうることです。
中学校の「部活動」が地域移行を中心に進んでいく。これがどれだけできるのか。この流れを止めることはできないと思っています。「業務軽減」ということで最も「切る」のが簡単な「部活動」にその矛先が向かっているからです。元々「本来業務」ではないという考え方が増えてきているので「やりたくないのにやらされる」という不満はこちらのほうでも生じてくるのだと思います。折衷案として「土日の部活動を地域移行する」という流れになっている。そこに対しての「受け皿」があるかどうかは分かりませんが。
私自身は「強くなりたい」と本気で思う選手と時間が過ごせたらと思っています。それが今の「部活動」なのか「クラブチーム」なのはか分かりません。何人かに話をしていますが「高体連」に対してそれほどこだわりもありません。今は委員をやっていますが、別にいつ辞めてもいい。委員になるという肩書が欲しいわけでもありませんし。元々、「運営」と「強化」は別の流れだと思っています。別に「運営」がやりたくて「指導」をしているわけではありません。競技運営に関しても「選手にプラスになれば」という形でやっています。ただそれだけです。
今すぐ「部活動」を辞めて「クラブチーム」に移行するのか。ここは難しい部分もあります。「絶対的に強化をする」というスタンスで私学で指導させてもらえるのであればやりやすいのかもしれません。公立高校ではそこまでの部分はできない。今の学校であればそれが多少なりとできるのかなと思ってはいますが。そのためには「結果」を出させてあげないといけない。
これも何人かと話をしました。「高校の競技」の楽しさは何かという部分。チームメイトと一緒に時間を過ごすというのが「楽しい」と思う選手もいるはずです。それは否定しません。上述のように「部活動」の幅は広がってきています。私的には「速く走れる」「結果を出す」ことで「楽しい」と思ってもらえるのではないかなと思っています。「勝つために」やるから負けたら悔しい。悔しいから「次にどうするか」を考えて取り組む。「出場するだけ」でいいのであればそれほどの「指導」は必要としないと思います。勝っても負けても「みんなでやってよかったね」という感じになるだけだから。
「勝利至上主義」ではないと思っていますが、指導の中心は「少しでも速く走れるようになる」ことだと思っています。そこが「至上命題」であって、それを達成するために「考える能力」や「周囲に気を配る能力」、「コミュニケーション能力」「自分の考えを言葉にできる能力」が必要になってくる。前の記事にある「必要条件」の話です。「絶対条件」に置かれている「強くなる」「結果を出す」という部分を補足するために「必要条件」が付随している。「必要条件」が「絶対条件」とされるのであれば「結果は出せなくてもいいから考える能力が身に着けばよい」となります。
自分の考え方が「正しい」か明らかに「間違い」なのか不安になった部分もあります。そのため数人に「真面目な話」をしました。話をしたから「正解が導ける」わけでもありません。結局、自分自身が答えを見つけていくしかないのですから。
もちろん「結果を出す」ことを求めていない選手に「それでは結果が出ない」と意見を押し付けるのは一種の「エゴ」だと思います。主体が「自分自身」なのか「選手」なのかによって違ってきます。「結果を出したい」と望んでいてもその方法が分からなかったり、頑張り切れない選手は出てきます。そこに対して「やらせる」というスタンスは絶対に必要だと思っています。「絶対条件」を満たすためには「結果を出すためにしんどくてもやる」「継続できない選手にやらせる」というのはある意味「必須」だと思っています。間違っているといわれるかもしれませんが。
自分自身の中で「信条」は持ち続けたいと思っています。「選手」を主体において「結果を出す」ために「必要なことはすべてやる」というスタンス。これが崩れるような状況であれば「指導を辞める」ことも必要だと思っています。それこそ「必要とされない」ことになりますから。本当に「必要」とされるのであれば「指導」を通じて競技力向上と人間的な成長を促していきたい。
うーん。文才がないので何が書きたいのか分からないですね(笑)。最近本を読めていないから文章力が圧倒的に落ちているのかもしれません。考えます。