kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

準備をしなければ

2015-12-07 | 陸上競技
気がつけば12月。早いものです。何をやっているのか分からないまま時間だけが過ぎていく。こんなので良いのか。考えながら生きていかないと。

今月末は合宿かあります。その準備をしなければいけません。今回の合宿はかなり規模も大きく県内外から参加者が来ます。私は女子400mHを担当。これまで中国合宿では二度ほど指導させてもらいました。夏と春を1回ずつ。時期が異なればやる練習内容も変わってきます。ここをきちんと考えながらやっていかない解けないと思っています。1回目の担当の時に「練習メニューの提出」でかなり悩みました。経験豊富な師匠に相談したところ「走る」「補強」と漠然と書いておけばよいと言われたので信じてざっくりと(笑)。今回もその形で行こうかと思って担当の方に相談したところ「ある程度詳しい方がよい」と言われて検討することに・・・。

で、競技場の使用状況(練習場所の部分)を確認するととても練習計画通りにできるとは思えません。毎回のことですが400mHの練習をしようと思えばかなりの場所をとります。本当は3分割走をやろうと思ってメニュー表示していたのですがやはり場所の関係で難しい。というのにさっき気づく(笑)。細かく書いておく必要がある。がメニュー的にできないときもあるのでこういう部分の修正は現場でないとできない気がします。慌てて変更することに。

これまでもほぼ「その場に応じて」のメニューでやってきました。こちらがやりたいことはあるのでそれに合わせて柔軟に対応というスタンスでしたがこういう大きな場面になるとそれも難しいのかなと。メニューを見て選手が一喜一憂する部分もあるでしょう。そのためにもある程度のものを示しておく必要があるのかなと。

性格的にめちゃくちゃ細かいメニューの組み立てはできません。苦手というかなんというか。実際に参加した選手の競技レベルや課題によっても内容は変わってくると思っています。まーそんなことを考えずにもっとザックリやればよいのかもしれませんが。決められたメニューをやっていくという流れのほうが良いのかもしれません。今回は「恥をかかせてはいけない」という部分が強くあると思っています。これまではどうだったのかと言われると「きちんとやっていました」と答えるしかないのですが(笑)。

できるかどうか分かりませんが、今回は練習終了後に「その日にやった内容のプリント」を配布してみようかと思っています。その日にやった練習のポイントを分かりやすくまとめておいて帰ってから自分の練習の中に取り入れることができるように、と。偉そうな話になりますかね。まー別に上から目線でうんうんという気は一切ありません。せっかくやったことが後で見直して分かるようにという感じでしょうか。

そこまでする必要があるかどうかは謎。が、せっかく来てもらったのだからそれなりに「何か」を勉強してもらったり身に付けてもらったほうが良いのかなと思っています。これを作るとなると「非常に手間がかかる」という最大の問題があります。先日ある資料を簡単に作ったのですがこれは1時間程度で完成しました。頭にあるものを伝えるために作った資料ですから。今回は0から作ることになる!?うーん、書いてはみたもののそこまでできるのか?

参加する選手の状況によって間違いなく変わります。選手1人だけではなく20人以上の参加ですからそれに合ったものを作るとなると尋常ではなく幅が広くなる。まー好きだから良いんですけどね(笑)。そうなると結構な量になる。まーこれを作っておけばうちの選手にももう一度配ることもできますし。持っている情報を提供するのはもったいない気がしますが、「根本の理解」と「目の前で見る」からわかることもあります。意欲的な選手であればそれをうまく利用できるかもしれません。

初めて中国合宿を担当したときにある「トラウマ」があります。そのことも踏まえてちょっとどうやっていくかを考えていきたいと思います。このことは昔書いたのかな?書いていなかったらそのうち書いてみます。

まずは手書きでやることを書き上げてみようかな。準備大切。
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「同じような練習」の意味

2015-12-06 | 陸上競技
これも大学生と話をしていて感じた部分。重心移動感覚がなかなか分からない。これまでそのような事を考えて練習をした事がないとのこと。卒業生が普段やっているドリルを教えたが、感覚がつかめない。上手くできない。どうしたら良いだろうか?という話だった。

こういう部分、意欲的に学ぼうとする姿勢は本当にすごいと思う。自分に足りないものがあるからそれを何とかしようと思う。たまたま私が関わった選手と同じチームでやっている。それがなければ絶対に関わりはないだろう。こういう巡り合わせがあるというのは大切だと思う。教え子が「せっかくだから一緒にやろう」と誘ってくれた様子。こういう機会があることでこちらが学べる。どういう練習をしたら感覚がつかめるかを確認しながらできる。勉強になる。

基本的なことをやる。その中で動きをの改善が出来るようにする。この日はハードルを使った練習をした。感覚的な部分をどうやったら作れるだろうか。これはこちらが見極めながらやっていくしかないと思っている。一律の練習というものは存在しない気がしている。見ている中でどうすれば良いのかを考えながらやっていく。だから私の指導スタイルでは大人数の指導は向かない(笑)。見ることが出来ないから。これが正しいかどうかは分からない。

たまたま前日に同じような練習をした。シザースが苦手な選手が多いので別の形で「同じような練習」をした。これはいつも書いている「同じような練習」とは意味が違う。形が似ていてもやろうとしている動きの意味がハッキリしていなければこの意味はなくなるという部分で「同じような練習」という書き方をしている。プレートを使った練習などは特にこの辺りが大きく影響する。

BOSSがよく言っていたが「スイング歩行の意味」と重なる。長距離種目の強豪高校がスイング歩行をしていた。それによりかなりの高校で「同じような練習」が流行った。が、本来の狙いとは完全に異なっている。コピーをしているのだが「狙い」が明確でないので本当に狙いとする部分の強化はできない。腕で回す動きをどれだけやっても本来の狙いとは遠くなる。マニアックな話になるので面白くないですね(笑)。

今回書いている「同じような練習」の意味はちょっと違う。狙いが同じだが方法論が異なるという意味での「同じような練習」です。重心移動を作る練習。方法が一つしかなければそれをひたすら繰り返すしかない。その練習で感覚をつかめない選手もいる。だから目的が同じだが別の練習内容で身につけさせる。重心移動の感覚がつかめないという選手にどうすれば身につけさせるか。たまたま前日に同じ課題を考えていたので偶然なのですが。

「似て非なるもの」という言葉がある。これが「同じような練習」に当てはまる。似ているが全く違うもの。似ていてるだけでは違う。逆に見た目は似ていないが「狙い」が同じになることもある。この辺りは全てのことに言えるのではないかと思っています。こちらが「こういう動きをしたい」と思っているからこ手段が増えていく。だから考えていかないといけない。

哲学とか禅問答のようになっていますね(笑)。なかなか面倒な話になっている気がします。分かりにくい(笑)。

選手にはそのことは分からないかもしれません。一応説明をしてから練習をやります。その中で「こういう動きをやりたいから感覚をつかめるようにやろう」と伝えます。そこが分からなくなったら意味がなくなるかなと思います。やっている動きが違っても「狙い」が同じだったら良いと思っています。方法論が異なる。こちらとしては引き出しの数を増やしていく。一つの目的のために様々な手段を使っていく。陸上競技はシンプルです。だからこそ、一つの方法ではないのではないかと感じています。

最近よく思う。こうやって考えてやっていたことが偶然、すぐに他の場面で生きてくることがある。偶然なのか必然なのか分からないが、確実に考えていることが役に立つ。前の日にやった事がこの場で生きてくる。つながりがあるのかなと。最初からこの日のために何かを考えていたわけではありません。見ている中で「この動きが良いかなー」と思うだけ。正解はないと思います。

ひたすら走る。この手の練習は最近は苦手です。どの口が言うのか?と教え子達に怒られるかもしれませんが(笑)。まー当時もひたすら走らせているだけではなかったですが。今までの事があるから今の段階がある。多くの選手に感謝しなければいけないなと思っています。

全てはつながっている。そう思ってやっていきたいと思いますね。

どんなまとめなんだろう(笑)。お許しを(笑)。
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知識よりも大切なもの

2015-12-06 | 陸上競技
毎回のことですが、blogを書いていたら話が大きく逸れます。昨日書いた内容などは全く書くつもりがなかったのに(笑)。書いていたら頭に浮かんできたので、気がついたら全く最初書こうと思ったこととは違う内容になったしまっていましたね。何なんでしょうか(笑)。それにより何を書こうとしていたか分からなくなる(笑)

昨日書こうとしたタイトルが「知識よりも大切なもの」だったのです。「知っている」というのではなく「意味がわかるか」という部分。ここに注目してやっていかなければいけない。そう思って書き始めたはずです(笑)。

もっというと「意味が分かる」ったとしても「判断できるか」ですね。やはり大切なのは目の前で見ることだと思っています。世の中では様々なく学校で練習をしています。土曜日にプライベートで大学生と練習をしました。その中で様々何を話をしました。県内の学校ではありませんからどのような練習をしていたのかは分かりません。比較的走り込みが多い学校だったとのこと。細かいことを教えてもらったことはないという話でした。

多分、練習メニューなどはどこでもほとんど同じだと思います。これだけ情報が溢れているので共通する練習などの方が多いです。専門書などもありますから「短距離の練習はこういうものです」と示されてある。知識として「こういう練習が良いですよ」という部分だと思います。知識というか情報は共有できます。が、その意味が分かるかどうかは別だと思っています。指導を始めると色々な学校と合同練習などをやります。その中で「良いな」と思った練習を取り入れていくというのはどこにでもあります。が、そこの意味を理解して導入できるかだと思っています。

ポイントになる部分を見極める。それを練習の中にどう取り入れていくのかという部分だと思います。大学生と練習をすると指導に飢えているという感じがあります。なかなか専門的に指導を受けるチャンスがない。運動生理学やバイオメカニクスのような知識は身につけていると思います。が、それを現場でどのように生かすのか。分かっていたとしてもそれを練習の中にどうやって取り入れていくのか。

知識を得ることは本当に大きなことだと思います。逆に「知識だけ」だと大きな間違いを犯してしまう気がします。頭でっかちと言われる状態。自分はあれこれ知っているからという勘違いをしてしまう。インターネット上や本などを読み漁る。それにより自分はすごく知っているつもりになる。知っていることとできる事は全くもって違うのです。そこの認識をしない限りは何も変わらないと思っている。

バイオメカニクスは動きの分析をする。このような走り方をすればもっと速く走れますよ、と示す。大半の分析は速い選手の動きを調べて共通する部分を探す。そこから「こういう動きが走るためには必要なんだ」と結論づける。確かにそういう部分がある。が、我々が必要とするのは「速い選手の動き」の情報ではない。こういう情報をどれだけたくさん知っていたとしてもそれが何になるのか?たくさんの練習方法を知っているから良い指導ができるかどうかは別問題だと思っています。

選手も同様。動きに関して様々な事を教えてもらう。教えてもらえるだけ恵まれているのだが。が、その意味も分からず表面的な知識だけであれこれ考える。「骨盤の動きが」とか「乗り込み動作が」とかものすごい微妙な表現をする。この手の話は選手が本当に理解できるかどうか?そうやって言う選手の方がすごいという感じがするが、高校生くらいでこの手の話をしているというのは「知識偏重」になっている気がする。まだまだ自分の身体の動かし方さえきちんと理解できていないのに「骨盤の...」というのには違和感さえ感じる。

多くの情報が溢れている。ここの部分をどう理解するか。知識がある。だから?スプリントなどについてしっかりと考えていかなければその知識は無意味だったりする。求めていく動きがあちこちブレるようでは指導者も選手も何も変わらないと思う。理想とする動きがあってそれを身につけるための方法論を考えていく。最新の理論が云々ではない気がしています。他校がやっているからでもない。もちろん、こちらがやろうとしていることにマッチングする練習方法なら恥も外聞なく取り入れます。それがプラスになるのであれば。

大学生と一緒にやって練習が「楽しい」と言ってくれる。この楽しさはワイワイやって無駄な話をする「楽しさ」とは全くの別物だと思います。一つ一つを何のためにやろうとしているのかを伝えながらやるから「楽しい」と感じてもらえるのだと信じています。また一緒にやりたいと思ってもらえる事がこちらとしても嬉しい。これまで求めていたモノに対してある程度の答えを示してあげられてるのではないなと思っています。

知っている。が、それをどう伝えるか。どう練習の中に落とし込むか。ここに全てがかかっていると思っています。そのために知っている知識をどう生かすか。それが私の使命なのかなと勝手に思っています。

多分昨日書こうと思ったのはこのような内容だったと思います。まー良いかな(笑)
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批判する世の中

2015-12-05 | 陸上競技
なかなかわかってもらえないかもしれないがいくつか書いておきたいことがある。blogに何を書いても基本的に感情が伝わらない部分があるので誤解を招く可能性がある。個人を特定して否定している話ではないので問題はないと思う。

そういえば、Yahooニュースのコメントで芸能人が「自分の子供の写真を載せた」ということでめちゃくちゃ批判されていた。ママ友達と食事をしてその時に子供の写真を撮って載せた。そこに対してめちゃくちゃ叩く。顔を出して良いのか?と。実際は本人達と許可を得て載せたという話だった。だからといって無責任に批判した人達は絶対に謝罪しない。叩かれた芸能人は「有名だから叩かれ、批判されるのは当然だ」という感じなのだろうか。ちょっと違う気がする。

話がかなり飛躍するが最近はバラエティ番組でも何かやったら批判される。うちの子供が「逃走中」という番組が好きで見ている。この中で「自首」をすると途中であっても賞金がもらえる。最後まで戦わなくて自首をするとかなりの確率で炎上するらしい。ルールの中でやっていたとしても「他の人は頑張って最後までやっているのに」という部分から批判が始まる。さらにはこの番組は「誰かが犠牲になる覚悟で行動を起こさないとハンターが増える」という仕掛けがある。だから何人かが危険を冒してハンター増殖を止める。そして見つかって捕まる。で、その恩恵により生き残る人が出てくる。

そうなるとまたバッシングが始まる。あいつは人を利用して生き残った。利用された人がかわいそうだ。そこでの行動がまるでその芸能人の人格を示しているかのような表現の仕方になる。実際は「バラエティ番組」だ。それなりに役割を演じている部分もあるだろう。こういう対応の方が番組的に盛り上がるだろうなという部分。そういう部分に対しても批判が出る。

何かやると批判される。テレビ番組が面白くなくなってきたと言われる理由は明らかにこの部分に影響してくる。噓偽りを重ねて面白おかしく番組を作るのも違うと思う。ドキュメンタリーや情報番組てば許されないことだと思う。しかし、バラエティはあくまでバラエティでしかない。ある程度の脚色をして視聴者を楽しませる。が、それを「実際にこんな発言をしている」「なんてひどい行動を取るんだ」と真剣に捉えて批判をする。窮屈な世の中になるんだと思う。

教育現場も同じようなものかもしれない。それだけ限らず全ての場面で「窮屈」だと感じることが出てくる。お店で何かあったらクレームがつく。少し前なら何ともなかったことでもすぐに批判が起きる。みんなの心に余裕がなくなってきているからなのかもしれない。多くの人が無記名で批判できる世の中になっているから「強気」になれるのかもしれない。情報機器の発達により全てのことが筒抜けのようになる。私もそうだがSNSを利用して情報発信をする。そのことにより何か得るものがあるのか?分からない。

最近はひょっとしたら冗談も言えないんじゃないかと思っている。本気で。芸能人を批判するコメントが増える。誰かを攻撃するコメントがネット上に溢れる。それにより何か生まれるのだろうか?単なるストレスのはけ口でしかないのでは?芸能人や有名人を批判した所で自分の立ち位置が変わるわけではない。誰かを引きずり下ろして自分が上がっていく感覚なのかもしれない。が、実際は何も変わらない。そこまでして批判するほどのことを芸能人がしているのだろうか。

単に「好きではない」という理由でその芸能人を叩くというのは違う気がする。好き嫌いは誰にでもある。性格的に嫌いだからとバッシングするのは違和感を感じる。まーこんなどうでも良いことを真剣に考えたところでどうにかなるのか?という話ですが。あまりにも「他者批判」がと多すぎる世の中になってきていると思う。目立つから何をされても良いわけじゃない。芸能人は批判されるのが当たり前ではないと思う。

一億総評論家時代。サッカーや野球の試合があれば采配や選手の批判が飛び交う。ファンだから何をしても良いというわけではないと思う。便利な世の中になったといえばそうだが実際は窮屈な環境に追いやられているのではないかと思う。

ん?何だか最初に書こうと思ったことと全く違う内容を書いている気がする(笑)。また書きます。今度は思うことをきちんと(笑)。多分。
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やらないといけない事

2015-12-04 | 陸上競技
バタバタしています。決して遊んでいるわけではないのですがなかなか時間が作れません。何故なんだ?!(笑)ほとんど休みの取れない仕事ですからどこかで思い切って休みたいなという気持ちはあります。が、そんな事はほぼ無理。

休息を取らずにあれこれやり続けましたがこちらが考えている事を全てやろうと思うと時間が足りません。工夫が足りないのか、仕事が遅いのか。これは分かりませんか今までと比べてみると量が違う気がしますね。能力が低い事を宣言している感があります。しかし、いつやるのか?という話です。物理的に無理なところがあると思うんですが。

そんな中でちょっと遅くまで残ってある資料を作りました。もちろん陸上に関する資料。今考えている事を文字にしておきたいと思ったので。頭の中にあるものを文字にするだけなのでそれほど難しくはありません。先日も少し書いたのですが補強などに関するモノを文字としました。発達段階に応じたトレーニングを組み立てたいなと思っているのでそのベースになるものですね。細かい内容をワザワザ公開はしません。文字だけで示しても絶対に分からないから。

最近確信に近い考えがあります。これまでやってきたトレーニングに関しての知識をもう少し競技場面に対応したものにしていく。それによりかなり効果のある練習ができる。他校がどれだけ徹底してトレーニングをするのかは分かりません。が、実はこの部分が大きな差を分けるのではないかと感じています。私自身「これは良いな」と思う練習を導入してきました。が、その部分をもっと意識させたい。走りにつながるトレーニングをやっていく。これだと思いますね。

これまでも親しい指導者の中で色々と話をしてきました。ある一定以上の力がある選手であれば、こういう練習をすると確実にレベルが上がるよね、と。特別な事でもなんでもなく。小学生や中学生とは異なる部分があります。これをしっかりとやっていきたい。そのためのベースとなる練習を自分の中で構築していきたいと思っています。そしてこのバタバタの中で少しだけ光が見えてきました。この練習を徹底してやってみようという練習です。この冬にはここをやります。

実際に大学生達と一緒にやる機会もあります。今やろうとしている事を説明して冬季トレーニングに導入してもらおうと考えています。これまでやってきた事の延長線上にあること。教え子である大学生はこの冬が勝負となります。この子のためにも私が出来ること、伝えられることはしっかりとやっておきたいと思います。すぐに結果に結びつかないと思いますが、数ヶ月後には顕著な差になると感じています。

ある選手が走れるようになってきています。もちろんまだまだスプリントで戦えるとは思っていません。が、この選手の様子をみて確信しました。やっている方向性は間違っていない。私はやれる事をしっかりとやって行こう。それしかないなと。今の力が来年の力ではない。それは必要な練習がきちんとできるという前提の上での話ですが。やみくもにやれば良いとは思っていません。本当に必要な練習をさせていく。教えていく。そこだと思っています。

私自身が信じたことをしっかりとやっていく。それがやらないといけないことだと思っています。指導者が理念を持って、信念を持って取り組んでいく事で様々な事が変わってきます。その信念を持てるかどうか。いろいろと迷っているところもありましたが吹っ切れました。しっかりとやっていきたいと思います。

他にも書きたい事があるのですがそれはまた別に書きますね。多分。
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必ず差が出る

2015-12-03 | 陸上競技
抽象的な話が多くなっているので面白くないかなとは思っています。いろいろな考え方がある。このblogに何かを期待されているか?それはよく分かりません。特別なことはない。私のように自分の関心のあること以外本当に興味がないという人間には多くの人を楽しませるほどの内容は書けません。だから気にしないで書いていく。こうやって書いていると逆に周りの評価を気にしているのではないか?と思われるでしょうね。評価を気にするというよりも「自分自身の価値観」を問う感覚が強くあります。基本的に小難しい生き方をしているのです。

トレーニングをしています。見ていると動きが甘くなる選手も出てきます。当然だと思います。かなりきついですから。そこを意欲的に取り組むというのは簡単なことではないのです。人は誰もが「楽をして生きたい」生き物です。だから文明が発展し様々なモノが生まれた。単純に速く移動したければ自転車やクルマを使えばいい。その方が「速い」という所だけを見れば明確です。が、競技をするためにはほかのだれでもない「自分自身の身体」を鍛えていかなければいけなくなります。それ以外に手段はないと思っています。

が、やっている時はそこを見失ってしまいます。早く終わらせることに主眼が置かれてしまう。なぜならキツイから。人は楽をしたいと思っているのですからあえて自分からキツイことをやるというのは理に反しています。もちろんそこまでキツイことをしてまで勝ちたいと思えるかどうかというのは大きく影響してくるとは思いますが。そこまでしてやらなくてもいいや、と思うのであれば「競技」には向かないと思います。

だからと言って最初から誰もがそれができるわけではない。前にも書きましたがある一定の水準までは「強制的にやらせる」という部分が必要だと思っています。やりたい練習はやる。苦手な練習はやらない。これは一番結果につながらない部分だと思います。だからある程度のところまではこちらが無理やりにでもやらせる必要があると思っています。それが嫌だと思う者も当然出てくるでしょう。私が今書いているのは「競技スポーツをやるために」という部分です。レクレーションで身体を動かすのであればそこまでは求めません。

で、話を戻します。トレーニングになるとやはり「差」が出ます。筋力的に弱い選手は一生懸命やっていても思い通りにできない。だから面白くない。筋力がない選手は深く曲げることもできない。分かっています。でもやらないといけない。ここで適当にやってごまかしたら必ず数ヶ月後に大きな差がつきます。経験したことがないから分からない。少しくらい良いかなと思ってしまう。しかし、実際はその差が大きな差となる。正直、この冬の間にチーム内の力関係に大きな変動があるのではないかと思っています。が、気がついたときには時すでに遅し。取り返しはつかなくなります。

だからこそ練習中に厳しい言葉かけをします。「言い方が悪い」と思われているかもしれませんが。「もっときちんとやった方が良いよ!」なんて悠長な事を短時間の練習の中でいえるのでしょうか?色々な意味で選手に嫌われても良いと思っています。単に気に入らないという部分で私は指導したことはありません。これから先の事を考えたときに厳しく指摘してでもやらせないといけないと思っています。選手の機嫌をとりながら練習をやるくらいなら絶対に部活はやりません。私が頭を下げて「練習をやってくれますか?」とお願いするような関係なら絶対にやりません。

部分的に切り取られて評価を受けたらあれこれ言われるのかもしれません。が、違いますよね?最初の話になるのですが価値観云々との部分で考えたときにここの部分は譲れないと思っています。

気がついたら差はつきます。だから冬期練習で逆転ができる。やっているときには気づかない。でも、時間が経過したときには気づくのです。「なんで自分の競技力はそんなに上がっていないのか?」と自問自答したときには遅いのです。冬を越えて飛躍的に強くなる選手というのがどれだけいるのかを考えてもらったら分かります。それほど冬期練習は大切。もっというと「計画的にきちんとやる冬期練習は大切」なのです。練習なんてどこでもやっています。やっている内容の「差」というのはあると思います。

更に同じメニューをやっても必ず「差」が出る。当然の話です。そこをなくしていけるかどうか。私の役目はそこだと思っています。この「差」を数ヶ月後に感じさせないようにしたいなと思ってはいます。最後は自分自身に返ってくることだから。私がどれだけ真剣になっても最後は選手。

最初に比べると全くの別チームになっていると思っています。が、それは過去の自分との比較でしかない。本当に必要な練習ができるかどうかが大切だと思っています。これからどこまで気持ちを持っていけるか?ここだと思います。

「差」を突きつけられたときにどう思うか?練習は正直です。嘘をつきません。だからこそきちんとやっていく必要がある。

練習が悪いと書いているわけではありません。誤解なきよう。きちんとやっていますよ。多分普通のチーム以上に。でも、ここで満足してもらったら困るというだけ。本当はもっとできる。そう思っています。
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限られた時間の中で

2015-12-03 | 陸上競技
テスト期間中。完全に自主練にするところもあると思います。塾の関係などでできない。または学校として考査期間中の練習は禁止するというところもあるでしょう。それぞれの所で考え方もあるでしょうし。

私は個人的に継続して身体を動かすほうが良いと思っています。前の記事にも書きましたが「1時間程度」身体を動かしたことで本当にそのあとの勉強が出来なくなるというのでは意味がなくなってしまうと思います。「競技をやりたい」と思うのであればそこにある自分の時間を使っているのです。他の人が休憩してテレビなどを見ている時間を削って練習をする。それなら他の時間を勉強に充てる。当然のことだと思っています。これも価値観の押し付けになるといえばそうかもしれません。が、練習をやっているからテストの点が悪かったと言われればその選手は今後テスト週間中に練習をさせることが出来なくなるでしょう。

テスト期間中はかならず時計を見ながら練習をしています。1時間程度を守るためです。多少前後することはあるかもしれませんが。ここをきちんとやっておかないと練習自体がやりにくくなります。そういうご時世なのです。だからこちらもかなり気を使ってやるようにしています。余程のことがない限りはテスト期間中でも練習にでます。

普段の練習をの3分の1程度であれこれやらのは難しいと思っています。だからこそこちらとしてもやる事を限定してやっていきます。これまでのスタイルとは変えています。考査期間中の走練習はハードルとタイヤ。ここに限定しています。あれこれやる時間はありません。本数などはその日の状況によって調整します。決まり切ったパターンの方が準備などもやりやすいでしょうし。課題は接地のポジションを作ることとフォロースイング。もちろんこちらが狙いとする動きが毎回できているとは思いません。後半動きが鈍ってくることもあります。それでもやる。

この時期の練習であまり細かいことを求めてもできないと思っています。まずは身体を動かすのが最優先。めちゃくちゃ良い動きが出来るようになれば理想なのですがそれかなかなか上手くいかないのが現状。当然の話だと思っています。だからといってそこにこだわって動きを修正していたら本数が走れません。これまではバトン走などもやっていましたが今はハードルとタイヤ限定。無理矢理にでも動きを作るための練習をしていきたいと思っています。後半の足の動きの維持ができない部分はやっていく中で克服させたい。

タイヤ引きとスプリントはセットにしています。タイヤ引きが速くてもスプリントに結びつかなければ意味はないですし。練習の組み立ての中でこちらとしても考えています。限られた時間の中でどれだけ意識して練習ができるか。とりあえず走るだけでは効果は上がりません。狙い通りの動きができないとしてもそれをやろうとする姿勢は大切です。これも全てがつながっていると思っています。勉強も練習もやらないといけない。それは当然の話。

休まずに走るので本数的にはそれなりにいきます。これも大切な要素かなと。きれいな練習をするだけではなく、ひたすら走ることでつかむこともある。もちろん、普段からきちんと技術練習をしておかないとダメだと思いますが。それがあるから時々こういう時期があっても良いかなという気はしています。この時期をどうやって乗り切るか。しっかりと考えてやっていきたいと思います。

また書きます。
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テスト週間

2015-12-02 | 陸上競技
今日から期末考査開始。進学校などと比べると1週間遅れ。センター試験があるのでその辺りの関係もるのだと思います。学校によって随分違うと思います。

1週間前からテスト週間となっていました。blogの内容自体も練習についてはほとんど触れていません。基本的にテスト期間中の練習は1時間としています。土日は休み。前任校では土曜日に練習をしてから勉強会としていました。この辺りも今年はやっていません。個別に教えて欲しいという選手がいたら教えますが。それ以外は自分の力でやる。学校に集めて勉強会というのはやらないようにしています。

これまで「与える」ことが多かった。こちらが全て道筋を示してそれに従ってあれこれやる。もちろん必要な部分はあると思います。ある一定の水準までは進む方向を示さないとやることは難しい。が、本人達が望んでいるかどうかは分からないのです。自分でこれから先を切り開いていかないといけない。そう考えてこちらとしても全ての準備をするのを止めようかと考えています。正しいかどうかは分かりませんが。

進学校の部活動ではそのようなことはやりません。塾に通ったりする部分があるので自分たちでやるという感覚があるのだと思います。これまでの経験上、こういう部分で「進学校」と言われる学校の集中力に勝てないなと感じるところがありました。「自分のためにやる」という感覚。それを育てていく必要があると強く感じています。なんとかつじつまを合わせるだけの勉強ではなく自分のために自分から努力する所が必要になると感じています。

これまではそれを越えるだけの事を常にやっていました。高い集中力を越えるために地道に練習を積み重ねる。そこのスタンス自体から見直す必要があるのではないかと考えています。これまでの否定をする気はありません。それはそれで本当に必要だった。今のスタンスであれば「面倒だから手を抜こう」と思えば確実に手を抜けます。最後は自分のことになります。無理矢理勉強させるという感覚よりも「自分にとって必要だからやる」と感じてもらいたい。それが最後に力を発揮することにつながるのではないかと思っています。

1時間練習をしたらそれが勉強に影響する。そういう考え方もあるでしょう。が、本気になればそれ以外の時間の使い方で全く変わってきます。1時間を言い訳にしてそれ以外の時間の使い方を考えないと何も生み出さないのです。土日を休みにする。その時間をどう使うのか?身体を動かしておくようにという話はしています。どれだけやるのかはわかりません。それでも「勉強だけ」やっていたら普段やっている練習の意味は全くなくなります。高校受験の時に体力が落ちてしまうのも「勉強が大切だから」という理由で身体を動かさなくなるからです。当然の話。本当はそれ以外の時間をどう使うかなのだと思います。

このテスト週間は同じメニューの繰り返しです。短い距離を走る日とトレーニングを交互に。特別難しいことはしません。もちろん新しいこともやりません。が、それで十分なのです。基本的に最優先するべきことを私が選択して行わせています。もちろん練習に参加して動きなどがきちんとできていないなと感じる部分は指摘をします。

体幹を鍛える事を最優先していく事で次につながっていくと思います。体幹トレーニングはやる学校によって全く違ってきます。ノウハウだと思います。私はここの部分に意識をしています。使い方を短時間で意識させていきたい。逆に短時間だからできることもあると思っています。普段のトレーニングのポイントになる要素を抜き出して実施。これから大切になる部分を意識しておきたいと思います。

出来ることを最大限にやる。それだけです。手を抜かず一生懸命にやる。それは最終的に自分自身に返ってきます。嫌なことから逃げずに前向きに取り組む。これはこれからの生活に生きてきます。思い通りにならないからといって投げ出したり、不機嫌になったりするようでは世の中ではやっていけません。不得意なことだってある。そこに対する取り組みの姿勢を私は求めていきたいと思います。最大限にやって本当にできないのか、実際はできる可能性があるのにやり切っていないのか。そこだと思います。

こういう指導をすることに関して意見はあると思います。が、最後の最後に「逃げずにやってきた」というのは一生の宝になります。そういう経験の場を作れるかどうかだと思っています。私が全てできるわけではない。最後は本人達がその気になれるか。その気になるための環境を提供していけるかどうかだと思います。綺麗事でしょうか?こちらがそういう視点で見ていかないといけないと思っています。やれば良いわけではない。

上手く書けません。全てのことを完璧にはできない。だからこそ今やれることをしっかりとやる。そしてこちらもそれを求める。こちらも単にやらせているだけではありません。部活だけやれというつもりもありません。「目指す姿」があるので指導をしているのです。この感覚も分かってもらいにくいかもしれません。それを理解してもらてると本当に大きく成長できると思います。そう信じています。

細かい練習に関してはまた書けたら書きます。テスト週間だから感じていることを記しておきます。
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大切なこと

2015-12-02 | 陸上競技
基本的にblogに家族の事は書かない。ネタがないというのもある。なかなか一緒に過ごせないので状況把握ができていないという現実がある。これは今の仕事をしている限り仕方ないことなのかなと思っている。それでも少しだけ書いておく。

息子達二人は学校で持久走大会があったらしい。前日に一番下の息子が「見に来て」と言っていたが仕事の都合上不可能。職場も遠くなりちょっと見に行くという話にはならない。ある意味可哀想な思いをさせているのかなとは思う。運動会なども見に行けない。話を聞くことしかない。

体調が微妙で少し早めに帰宅した。一番下の息子が帰ってきたので話を聞いてみた。「持久走どうだった?」と聞くと嬉しそうに「5位だった!」と教えてくれた。前回の練習では6位。その前の時は1位だったらしい。よくよく聞いてみると1位になった時よりもタイムが2秒上がったらしい。それが嬉しかったと。もちろん客観的な評価として5位よりも1位の方が良いのかもしれない。1位になれば周りの保護者も「すごいですね!」と声をかけてくれるに違いない。悪い気はしないだろう。勝負事だから負けたくはない。でもそこだけでこの子の価値が決まるわけではない。

順位が上がったとしても下がったとしてもそれはそれで良いと思う。大切なのは力を出し切れたかどうか。前回6位だった時には「途中でお腹痛くなって」と言っていた。まーそれつて他の子も同じかもしれないからね。痛くてもきちんと走れるようにならないとねっていう話だけはしていた。小さい時から言い訳をしていたらこれからずっと同じことをしてしまう気がするし。

1位だった時は自分から言ってきた。6位だった時はこっそり言ってきた。今回は同じ話を3回聞いた(笑)。「さっきも言ったけど5位だったんだ。でも1位の時より2秒速く走れた。」と言っている姿を見てこちらも嬉しくなった。この子が速く走ろうが遅かろうがそんなに大きな問題ではない。それによりこの子の存在が肯定されることも否定されることもない。ましてこの子が1位になってもならなくても私自身の周りからの評価が変わるわけではない。「お父さん見かけたことさえないよね」というのは変わらない(笑)。

1位と5位の差は11秒だったとのこと。この差がどれくらい大きいのか分からない。なんせ何キロ走ったかも知らないし(笑)。そこの評価なんて一時的なこと。10年もしたら忘れてしまう。それよりは周りの速い子を認めてあげたり、転んだ子を心配してあげられる気持ちを持てる方が良い。そう感じた。下の息子は「○○くんがスタートしてから転んでしまった」という話もしてくれた。そういう気持ちがあるだけで良いんじゃないかと思う。

その話をしている時に真ん中の息子も話に入ってきた。「1位から5位の差が11秒だったらかなり接戦やね」と。おーそうなんだと感心する。「俺は2位と7秒差だった」と話すので順位を聞いてみるとなんと1位だったらしい。おいおい、調子に乗るなよ(笑)。最初帰ってきた時に「どうだった?」と聞くと言葉を濁して何も言わなかった。照れくさかったのだと思う。そういう年頃。特別な褒めるわけでもない。すごいね、とは話をするがそれ以上ではない。1位になるということは他の順位の子もいるのだからそこだけを見ておくわけにはいかない。他の子も一生懸命に走ったのだから。

大切なこと。まずは自分の力を出すこと。そして他者を認めること。それができて初めてスポーツをする意味がある。二人とも今はバスケに夢中。それはそれで良いと思う。その中で学べることがあれば学んでいけば良い。足が速いことは偉いことでもなんでもない。これは選手にもいつも言っている。それ以外の部分が出来るようになることが大切。

少し癒された。ありがたい。
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まずはできることを

2015-12-01 | 陸上競技
寒くなってきました。とにかく寒い。基本的に寒さに弱いのでこの季節は苦手です。不健康のくせに太らないので脂肪も付きません。着込むしかない。なんとかして冬を乗り越えなければ。

blogを書くエネルギーが尽きていたので昨日は書けず。毎日更新が目標なんですけどね。やはりこれはかなり難しい(笑)。遊んでいるわけではないので時間の確保も思うようにできない。これも仕方ない。だからこそ自分にできることを少しずつやっていくしかないと思っている。

何ができるのか。これはいつも分からない。そして正解はないと思っている。だからこそ目の前にあることをやりたい。何もかもきちんとできるか?と問われると難しいと思う。でも、私にしか出来ないこともたくさんあるんだと思う。そこを冷静に見極めていく力が必要になる。全てのことを誰もが満足するようにやっていくのは無理だから。

世の中の大半のことはトレードオフの関係にある。お金が欲しい。それなら自分の「時間」を労働という形で売って対価としての「賃金」を得る。誰かのために生きようと思って「時間」を使えば自分自身のために使う「時間」を失う。当然の話。人生の中で一番貴重なのは「時間」だと思っている。これはあくまで私自身の価値観だから他の人にそれを共感してもらおうとは思わない。

楽をしてお金を稼ぎたい。たった数千円のためにコンビニ強盗をする。安易に考えたらそれが一番時間も労力もかからない。実際は大きなリスクを伴うのだがそこは分からない。先のことを見据えた行動ではないから。振込詐欺などはかなり細かく設定がされているらしい。バレないようにするために社員(?)教育を徹底し、もし誰かが捕まっても他の者が芋づる式に捕まらないようにしている。このアイデアを違う所に使えばもっと素晴らしいモノが生み出せるのではないかと思うがどうも違うらしい。考え方や行動は様々。世の中に悪いことだけをして成功した人というのは存在するのだろうか。結局何かを「失っている」のではないか。これは経験したことがないの分からない。聞いてみたいがそのような知り合いはいないので聞けない・・・。

勉強も同じ。自分の目標に近づこうと思えばやはり嫌でも勉強をしなければいけない。勉強せずに自分の目標に近づこうとするのは不可能。カンニングをして良い点を取ったとしてもそれは何も意味がない。自分の力を上げておくことが必要だから。その場を誤魔化しても結局は自分自身に返ってくる。だからこそ自分の力で自分のために努力していかないといけない。

練習も同じ。「強くなりたい」と思うのであればやっぱりやらないといけないことがある。苦手な練習から逃げていたら絶対に力はつかない。「やっているふり」をしても力は上がらない。嫌だけどやらないといけない。それが世の中の大半のことに当てはまる。好きな練習だけやって結果を出せるほど甘くはない。トレードオフの関係にある。腹筋をする。自分でやらなければ誰も代わりにやってくれない。

今私自身は何かを得るために何かを失っている。それが何かは今の自分にはわからない。やっていること、考えていることが正しいかは分からない。だからこそ自分にできることを少しずつやっていきたい。何ができるか分からない。でもできることをしっかりとやる。できることをやったとしても少なからず失うものがある。

時間がたてば自分にとって大切な人の存在やそうでもなかった人の存在にも気づくのかもしれない。自分のとってそれがいつ来るのかは分からない。でもやれることをやりたい。目の前のことで自分の時間が過ぎて行ってしまう。でもその時間は戻ってこない。これまで使った時間の中で有益ではなかった時間もあるだろう。それを判断するのは難しいこと。

できることをやっているだろうか。本当はもっともっとできるのではないか。これも分からない。だから目の前のことをやる。

うーん、まとまらないな。相変わらずです(笑)。
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