なかなかわかってもらえないかもしれないがいくつか書いておきたいことがある。blogに何を書いても基本的に感情が伝わらない部分があるので誤解を招く可能性がある。個人を特定して否定している話ではないので問題はないと思う。
そういえば、Yahooニュースのコメントで芸能人が「自分の子供の写真を載せた」ということでめちゃくちゃ批判されていた。ママ友達と食事をしてその時に子供の写真を撮って載せた。そこに対してめちゃくちゃ叩く。顔を出して良いのか?と。実際は本人達と許可を得て載せたという話だった。だからといって無責任に批判した人達は絶対に謝罪しない。叩かれた芸能人は「有名だから叩かれ、批判されるのは当然だ」という感じなのだろうか。ちょっと違う気がする。
話がかなり飛躍するが最近はバラエティ番組でも何かやったら批判される。うちの子供が「逃走中」という番組が好きで見ている。この中で「自首」をすると途中であっても賞金がもらえる。最後まで戦わなくて自首をするとかなりの確率で炎上するらしい。ルールの中でやっていたとしても「他の人は頑張って最後までやっているのに」という部分から批判が始まる。さらにはこの番組は「誰かが犠牲になる覚悟で行動を起こさないとハンターが増える」という仕掛けがある。だから何人かが危険を冒してハンター増殖を止める。そして見つかって捕まる。で、その恩恵により生き残る人が出てくる。
そうなるとまたバッシングが始まる。あいつは人を利用して生き残った。利用された人がかわいそうだ。そこでの行動がまるでその芸能人の人格を示しているかのような表現の仕方になる。実際は「バラエティ番組」だ。それなりに役割を演じている部分もあるだろう。こういう対応の方が番組的に盛り上がるだろうなという部分。そういう部分に対しても批判が出る。
何かやると批判される。テレビ番組が面白くなくなってきたと言われる理由は明らかにこの部分に影響してくる。噓偽りを重ねて面白おかしく番組を作るのも違うと思う。ドキュメンタリーや情報番組てば許されないことだと思う。しかし、バラエティはあくまでバラエティでしかない。ある程度の脚色をして視聴者を楽しませる。が、それを「実際にこんな発言をしている」「なんてひどい行動を取るんだ」と真剣に捉えて批判をする。窮屈な世の中になるんだと思う。
教育現場も同じようなものかもしれない。それだけ限らず全ての場面で「窮屈」だと感じることが出てくる。お店で何かあったらクレームがつく。少し前なら何ともなかったことでもすぐに批判が起きる。みんなの心に余裕がなくなってきているからなのかもしれない。多くの人が無記名で批判できる世の中になっているから「強気」になれるのかもしれない。情報機器の発達により全てのことが筒抜けのようになる。私もそうだがSNSを利用して情報発信をする。そのことにより何か得るものがあるのか?分からない。
最近はひょっとしたら冗談も言えないんじゃないかと思っている。本気で。芸能人を批判するコメントが増える。誰かを攻撃するコメントがネット上に溢れる。それにより何か生まれるのだろうか?単なるストレスのはけ口でしかないのでは?芸能人や有名人を批判した所で自分の立ち位置が変わるわけではない。誰かを引きずり下ろして自分が上がっていく感覚なのかもしれない。が、実際は何も変わらない。そこまでして批判するほどのことを芸能人がしているのだろうか。
単に「好きではない」という理由でその芸能人を叩くというのは違う気がする。好き嫌いは誰にでもある。性格的に嫌いだからとバッシングするのは違和感を感じる。まーこんなどうでも良いことを真剣に考えたところでどうにかなるのか?という話ですが。あまりにも「他者批判」がと多すぎる世の中になってきていると思う。目立つから何をされても良いわけじゃない。芸能人は批判されるのが当たり前ではないと思う。
一億総評論家時代。サッカーや野球の試合があれば采配や選手の批判が飛び交う。ファンだから何をしても良いというわけではないと思う。便利な世の中になったといえばそうだが実際は窮屈な環境に追いやられているのではないかと思う。
ん?何だか最初に書こうと思ったことと全く違う内容を書いている気がする(笑)。また書きます。今度は思うことをきちんと(笑)。多分。
そういえば、Yahooニュースのコメントで芸能人が「自分の子供の写真を載せた」ということでめちゃくちゃ批判されていた。ママ友達と食事をしてその時に子供の写真を撮って載せた。そこに対してめちゃくちゃ叩く。顔を出して良いのか?と。実際は本人達と許可を得て載せたという話だった。だからといって無責任に批判した人達は絶対に謝罪しない。叩かれた芸能人は「有名だから叩かれ、批判されるのは当然だ」という感じなのだろうか。ちょっと違う気がする。
話がかなり飛躍するが最近はバラエティ番組でも何かやったら批判される。うちの子供が「逃走中」という番組が好きで見ている。この中で「自首」をすると途中であっても賞金がもらえる。最後まで戦わなくて自首をするとかなりの確率で炎上するらしい。ルールの中でやっていたとしても「他の人は頑張って最後までやっているのに」という部分から批判が始まる。さらにはこの番組は「誰かが犠牲になる覚悟で行動を起こさないとハンターが増える」という仕掛けがある。だから何人かが危険を冒してハンター増殖を止める。そして見つかって捕まる。で、その恩恵により生き残る人が出てくる。
そうなるとまたバッシングが始まる。あいつは人を利用して生き残った。利用された人がかわいそうだ。そこでの行動がまるでその芸能人の人格を示しているかのような表現の仕方になる。実際は「バラエティ番組」だ。それなりに役割を演じている部分もあるだろう。こういう対応の方が番組的に盛り上がるだろうなという部分。そういう部分に対しても批判が出る。
何かやると批判される。テレビ番組が面白くなくなってきたと言われる理由は明らかにこの部分に影響してくる。噓偽りを重ねて面白おかしく番組を作るのも違うと思う。ドキュメンタリーや情報番組てば許されないことだと思う。しかし、バラエティはあくまでバラエティでしかない。ある程度の脚色をして視聴者を楽しませる。が、それを「実際にこんな発言をしている」「なんてひどい行動を取るんだ」と真剣に捉えて批判をする。窮屈な世の中になるんだと思う。
教育現場も同じようなものかもしれない。それだけ限らず全ての場面で「窮屈」だと感じることが出てくる。お店で何かあったらクレームがつく。少し前なら何ともなかったことでもすぐに批判が起きる。みんなの心に余裕がなくなってきているからなのかもしれない。多くの人が無記名で批判できる世の中になっているから「強気」になれるのかもしれない。情報機器の発達により全てのことが筒抜けのようになる。私もそうだがSNSを利用して情報発信をする。そのことにより何か得るものがあるのか?分からない。
最近はひょっとしたら冗談も言えないんじゃないかと思っている。本気で。芸能人を批判するコメントが増える。誰かを攻撃するコメントがネット上に溢れる。それにより何か生まれるのだろうか?単なるストレスのはけ口でしかないのでは?芸能人や有名人を批判した所で自分の立ち位置が変わるわけではない。誰かを引きずり下ろして自分が上がっていく感覚なのかもしれない。が、実際は何も変わらない。そこまでして批判するほどのことを芸能人がしているのだろうか。
単に「好きではない」という理由でその芸能人を叩くというのは違う気がする。好き嫌いは誰にでもある。性格的に嫌いだからとバッシングするのは違和感を感じる。まーこんなどうでも良いことを真剣に考えたところでどうにかなるのか?という話ですが。あまりにも「他者批判」がと多すぎる世の中になってきていると思う。目立つから何をされても良いわけじゃない。芸能人は批判されるのが当たり前ではないと思う。
一億総評論家時代。サッカーや野球の試合があれば采配や選手の批判が飛び交う。ファンだから何をしても良いというわけではないと思う。便利な世の中になったといえばそうだが実際は窮屈な環境に追いやられているのではないかと思う。
ん?何だか最初に書こうと思ったことと全く違う内容を書いている気がする(笑)。また書きます。今度は思うことをきちんと(笑)。多分。