ちょっと真面目に書きます。面白くないかもしれません。それでもきちんと書いておきたい。
様々な場所で話をします。自己満足なのかもしれませんが。こちらが想う事を他者に伝える。それが今の仕事で大切なことだと思っています。偉そうに人に話ができる人間なのか?そう指摘されたら「そんな立派な人間ではありません」と答えます。全てにおいて完璧を求められるなら誰も教育に関わる仕事はできない。
真面目な話をする。こちらの想いを伝える。それに対して「こいつ何言っているんだ」と思うのであればその場にいて話を聞く意味はない。心に響くような話をできない私の力不足だと思います。言っていることが矛盾しているといわれることもあるでしょう。では、私に何を求めますか?私は聖人君子ではない。一人の人間として気配りが足りないところもたくさんある。マイナス面だけを見られると「話しをする意味はない」と思っています。
私は全てのことは小さなことの積み重ねだと思っています。上手くいくことも行かないことも全ては小さなことから始まる。その小さなことに手を抜くと痛い目にあう。今は特にそう思いますね。これまでは普通に通っていた事でも根回しが足りなかったり、今までと同じ感覚でやっていてかなりしんどい想いをしました。それも元はといえば私の不徳の致すところ。身から出たサビですね。私はこうやって少しずつ失敗をしながら様々な事に気付いてきました。
そういう経験があるからこそ「今」がある。狭い世界で生きているとは思いますが、その中でも視野を広げようとしている。だからこそ偏った話ではなくて色々なことを伝えていきたいと思っている。
大切なこと。それは「自分が出来ることを精一杯やる」ことだと思っている。周囲から様々な事を言われたら私だってやる気は失う。人として当然だと思う。そこに対して他者から「もっとやらないといけない」なんて言われてもそんな必要はない。それでも「自分の使命」を感じてやるようにしている。私が投げ出したらそこで終わってしまうから。まずは物事に対して一生懸命にやることだと思う。そこが出来なければ他の人に「一生懸命になること」は絶対に伝えられない。
あとは「少しのことをきちんとやる」という部分が大切なんだと思う。指導をしていてずっと「補強」を重視してきた。これは「やれば必ず強くなる」から。同じメニューを与えても筋力が上がるものと上がらないものがいる。最後の数回をキツイから手を抜く。最後の数メートルを雑にやる。やったふりをして誤魔化す。こういう選手は絶対に「強くなることはない」と思っている。
本当に強くなりたいなと思うものは最後の一回まで絶対に手を抜かない。逆に一回多くやるくらいの気持ちを持っている。キツイから少しくらい手を抜いても良いだろう。誰でも思うこと。でもそこに負けずに「ここで我慢しないとダメだ」とというのを補強などを通じてひたすら経験して欲しい。手を抜いてもすぐには気づかない。その「差」は必ずどこかに現れる。根性論といわれるかもしれませんが最後は「心」だと思っています。
人は基本的に「楽」に流れるのです。それが文明の発展に役立っているのは間違いない事実。でも、世の中は全てが「楽」にできるわけではない。大半は苦しくて我慢しなければいけない。嫌だけどやらなければいけないことの方が多い。今のご時世、「苦しいことはやらなくて良いじゃないか」という風潮が強くある。が、そんな教育活動をしていて本当に社会の中でやっていけるのだろうか?誰も守ってくれない。自分の力で乗り越えないといけない。そういう感覚を常に持っておかないといけないと思う。
だからこそ、部活動をする中で色々な力を身につけていかないといけないと思っている。「そんなにキツイことはやらなくて良い」と言うのは簡単。「楽しい」からやるというのがスポーツ乗り越えないも根底だと言われる。まさにその通り。が、そこだけを見ていたら本当に人は成長するのだろうか?レクリエーションスポーツとは違うと思っている。0.01秒を争う種目をやろうとしているのに「無理せずやっていこう」となるだろうか?
0.01秒という本当に一瞬の記録を短縮するために毎日3時間以上使ってやっている。ほんの少しのことでしかない。0.01秒とという「少し」の事にエネルギーを使っている。そういうスタンスでやっている。少しくらい良いだろうというその「少し」が様々なことを分ける。だからもう少しやらないといけないという気持ちを持てる子供達を育てたい。分かってもらえないだろうけど。
大切なのは目の前のことを一生懸命にやること。そして「少し」のことを大切にすること。それしかない。どんなことがあっても「目標を達成する」という強い気持ちを持てるかどうかだと思う。そこまで「心」を育てていかないといけない。否定的な目で見てアラを探すのではなく、「素直」な心で前を向いていけるかどうか。話をする中で何を伝えようとしているのかを感じ取れるか。それが大切だと思っている。
まとまらない。それでも書いておきたい。思っていることを書く権利くらいはある。多くの人が見てくれている。だから言葉を選びながら書く。上手く表現できない気持ちがある。
真面目しか取り柄がない。面白くない人間だと思う。それでも進みたい。心からそう思う。
様々な場所で話をします。自己満足なのかもしれませんが。こちらが想う事を他者に伝える。それが今の仕事で大切なことだと思っています。偉そうに人に話ができる人間なのか?そう指摘されたら「そんな立派な人間ではありません」と答えます。全てにおいて完璧を求められるなら誰も教育に関わる仕事はできない。
真面目な話をする。こちらの想いを伝える。それに対して「こいつ何言っているんだ」と思うのであればその場にいて話を聞く意味はない。心に響くような話をできない私の力不足だと思います。言っていることが矛盾しているといわれることもあるでしょう。では、私に何を求めますか?私は聖人君子ではない。一人の人間として気配りが足りないところもたくさんある。マイナス面だけを見られると「話しをする意味はない」と思っています。
私は全てのことは小さなことの積み重ねだと思っています。上手くいくことも行かないことも全ては小さなことから始まる。その小さなことに手を抜くと痛い目にあう。今は特にそう思いますね。これまでは普通に通っていた事でも根回しが足りなかったり、今までと同じ感覚でやっていてかなりしんどい想いをしました。それも元はといえば私の不徳の致すところ。身から出たサビですね。私はこうやって少しずつ失敗をしながら様々な事に気付いてきました。
そういう経験があるからこそ「今」がある。狭い世界で生きているとは思いますが、その中でも視野を広げようとしている。だからこそ偏った話ではなくて色々なことを伝えていきたいと思っている。
大切なこと。それは「自分が出来ることを精一杯やる」ことだと思っている。周囲から様々な事を言われたら私だってやる気は失う。人として当然だと思う。そこに対して他者から「もっとやらないといけない」なんて言われてもそんな必要はない。それでも「自分の使命」を感じてやるようにしている。私が投げ出したらそこで終わってしまうから。まずは物事に対して一生懸命にやることだと思う。そこが出来なければ他の人に「一生懸命になること」は絶対に伝えられない。
あとは「少しのことをきちんとやる」という部分が大切なんだと思う。指導をしていてずっと「補強」を重視してきた。これは「やれば必ず強くなる」から。同じメニューを与えても筋力が上がるものと上がらないものがいる。最後の数回をキツイから手を抜く。最後の数メートルを雑にやる。やったふりをして誤魔化す。こういう選手は絶対に「強くなることはない」と思っている。
本当に強くなりたいなと思うものは最後の一回まで絶対に手を抜かない。逆に一回多くやるくらいの気持ちを持っている。キツイから少しくらい手を抜いても良いだろう。誰でも思うこと。でもそこに負けずに「ここで我慢しないとダメだ」とというのを補強などを通じてひたすら経験して欲しい。手を抜いてもすぐには気づかない。その「差」は必ずどこかに現れる。根性論といわれるかもしれませんが最後は「心」だと思っています。
人は基本的に「楽」に流れるのです。それが文明の発展に役立っているのは間違いない事実。でも、世の中は全てが「楽」にできるわけではない。大半は苦しくて我慢しなければいけない。嫌だけどやらなければいけないことの方が多い。今のご時世、「苦しいことはやらなくて良いじゃないか」という風潮が強くある。が、そんな教育活動をしていて本当に社会の中でやっていけるのだろうか?誰も守ってくれない。自分の力で乗り越えないといけない。そういう感覚を常に持っておかないといけないと思う。
だからこそ、部活動をする中で色々な力を身につけていかないといけないと思っている。「そんなにキツイことはやらなくて良い」と言うのは簡単。「楽しい」からやるというのがスポーツ乗り越えないも根底だと言われる。まさにその通り。が、そこだけを見ていたら本当に人は成長するのだろうか?レクリエーションスポーツとは違うと思っている。0.01秒を争う種目をやろうとしているのに「無理せずやっていこう」となるだろうか?
0.01秒という本当に一瞬の記録を短縮するために毎日3時間以上使ってやっている。ほんの少しのことでしかない。0.01秒とという「少し」の事にエネルギーを使っている。そういうスタンスでやっている。少しくらい良いだろうというその「少し」が様々なことを分ける。だからもう少しやらないといけないという気持ちを持てる子供達を育てたい。分かってもらえないだろうけど。
大切なのは目の前のことを一生懸命にやること。そして「少し」のことを大切にすること。それしかない。どんなことがあっても「目標を達成する」という強い気持ちを持てるかどうかだと思う。そこまで「心」を育てていかないといけない。否定的な目で見てアラを探すのではなく、「素直」な心で前を向いていけるかどうか。話をする中で何を伝えようとしているのかを感じ取れるか。それが大切だと思っている。
まとまらない。それでも書いておきたい。思っていることを書く権利くらいはある。多くの人が見てくれている。だから言葉を選びながら書く。上手く表現できない気持ちがある。
真面目しか取り柄がない。面白くない人間だと思う。それでも進みたい。心からそう思う。