抽象的な話が多くなっているので面白くないかなとは思っています。いろいろな考え方がある。このblogに何かを期待されているか?それはよく分かりません。特別なことはない。私のように自分の関心のあること以外本当に興味がないという人間には多くの人を楽しませるほどの内容は書けません。だから気にしないで書いていく。こうやって書いていると逆に周りの評価を気にしているのではないか?と思われるでしょうね。評価を気にするというよりも「自分自身の価値観」を問う感覚が強くあります。基本的に小難しい生き方をしているのです。
トレーニングをしています。見ていると動きが甘くなる選手も出てきます。当然だと思います。かなりきついですから。そこを意欲的に取り組むというのは簡単なことではないのです。人は誰もが「楽をして生きたい」生き物です。だから文明が発展し様々なモノが生まれた。単純に速く移動したければ自転車やクルマを使えばいい。その方が「速い」という所だけを見れば明確です。が、競技をするためにはほかのだれでもない「自分自身の身体」を鍛えていかなければいけなくなります。それ以外に手段はないと思っています。
が、やっている時はそこを見失ってしまいます。早く終わらせることに主眼が置かれてしまう。なぜならキツイから。人は楽をしたいと思っているのですからあえて自分からキツイことをやるというのは理に反しています。もちろんそこまでキツイことをしてまで勝ちたいと思えるかどうかというのは大きく影響してくるとは思いますが。そこまでしてやらなくてもいいや、と思うのであれば「競技」には向かないと思います。
だからと言って最初から誰もがそれができるわけではない。前にも書きましたがある一定の水準までは「強制的にやらせる」という部分が必要だと思っています。やりたい練習はやる。苦手な練習はやらない。これは一番結果につながらない部分だと思います。だからある程度のところまではこちらが無理やりにでもやらせる必要があると思っています。それが嫌だと思う者も当然出てくるでしょう。私が今書いているのは「競技スポーツをやるために」という部分です。レクレーションで身体を動かすのであればそこまでは求めません。
で、話を戻します。トレーニングになるとやはり「差」が出ます。筋力的に弱い選手は一生懸命やっていても思い通りにできない。だから面白くない。筋力がない選手は深く曲げることもできない。分かっています。でもやらないといけない。ここで適当にやってごまかしたら必ず数ヶ月後に大きな差がつきます。経験したことがないから分からない。少しくらい良いかなと思ってしまう。しかし、実際はその差が大きな差となる。正直、この冬の間にチーム内の力関係に大きな変動があるのではないかと思っています。が、気がついたときには時すでに遅し。取り返しはつかなくなります。
だからこそ練習中に厳しい言葉かけをします。「言い方が悪い」と思われているかもしれませんが。「もっときちんとやった方が良いよ!」なんて悠長な事を短時間の練習の中でいえるのでしょうか?色々な意味で選手に嫌われても良いと思っています。単に気に入らないという部分で私は指導したことはありません。これから先の事を考えたときに厳しく指摘してでもやらせないといけないと思っています。選手の機嫌をとりながら練習をやるくらいなら絶対に部活はやりません。私が頭を下げて「練習をやってくれますか?」とお願いするような関係なら絶対にやりません。
部分的に切り取られて評価を受けたらあれこれ言われるのかもしれません。が、違いますよね?最初の話になるのですが価値観云々との部分で考えたときにここの部分は譲れないと思っています。
気がついたら差はつきます。だから冬期練習で逆転ができる。やっているときには気づかない。でも、時間が経過したときには気づくのです。「なんで自分の競技力はそんなに上がっていないのか?」と自問自答したときには遅いのです。冬を越えて飛躍的に強くなる選手というのがどれだけいるのかを考えてもらったら分かります。それほど冬期練習は大切。もっというと「計画的にきちんとやる冬期練習は大切」なのです。練習なんてどこでもやっています。やっている内容の「差」というのはあると思います。
更に同じメニューをやっても必ず「差」が出る。当然の話です。そこをなくしていけるかどうか。私の役目はそこだと思っています。この「差」を数ヶ月後に感じさせないようにしたいなと思ってはいます。最後は自分自身に返ってくることだから。私がどれだけ真剣になっても最後は選手。
最初に比べると全くの別チームになっていると思っています。が、それは過去の自分との比較でしかない。本当に必要な練習ができるかどうかが大切だと思っています。これからどこまで気持ちを持っていけるか?ここだと思います。
「差」を突きつけられたときにどう思うか?練習は正直です。嘘をつきません。だからこそきちんとやっていく必要がある。
練習が悪いと書いているわけではありません。誤解なきよう。きちんとやっていますよ。多分普通のチーム以上に。でも、ここで満足してもらったら困るというだけ。本当はもっとできる。そう思っています。
トレーニングをしています。見ていると動きが甘くなる選手も出てきます。当然だと思います。かなりきついですから。そこを意欲的に取り組むというのは簡単なことではないのです。人は誰もが「楽をして生きたい」生き物です。だから文明が発展し様々なモノが生まれた。単純に速く移動したければ自転車やクルマを使えばいい。その方が「速い」という所だけを見れば明確です。が、競技をするためにはほかのだれでもない「自分自身の身体」を鍛えていかなければいけなくなります。それ以外に手段はないと思っています。
が、やっている時はそこを見失ってしまいます。早く終わらせることに主眼が置かれてしまう。なぜならキツイから。人は楽をしたいと思っているのですからあえて自分からキツイことをやるというのは理に反しています。もちろんそこまでキツイことをしてまで勝ちたいと思えるかどうかというのは大きく影響してくるとは思いますが。そこまでしてやらなくてもいいや、と思うのであれば「競技」には向かないと思います。
だからと言って最初から誰もがそれができるわけではない。前にも書きましたがある一定の水準までは「強制的にやらせる」という部分が必要だと思っています。やりたい練習はやる。苦手な練習はやらない。これは一番結果につながらない部分だと思います。だからある程度のところまではこちらが無理やりにでもやらせる必要があると思っています。それが嫌だと思う者も当然出てくるでしょう。私が今書いているのは「競技スポーツをやるために」という部分です。レクレーションで身体を動かすのであればそこまでは求めません。
で、話を戻します。トレーニングになるとやはり「差」が出ます。筋力的に弱い選手は一生懸命やっていても思い通りにできない。だから面白くない。筋力がない選手は深く曲げることもできない。分かっています。でもやらないといけない。ここで適当にやってごまかしたら必ず数ヶ月後に大きな差がつきます。経験したことがないから分からない。少しくらい良いかなと思ってしまう。しかし、実際はその差が大きな差となる。正直、この冬の間にチーム内の力関係に大きな変動があるのではないかと思っています。が、気がついたときには時すでに遅し。取り返しはつかなくなります。
だからこそ練習中に厳しい言葉かけをします。「言い方が悪い」と思われているかもしれませんが。「もっときちんとやった方が良いよ!」なんて悠長な事を短時間の練習の中でいえるのでしょうか?色々な意味で選手に嫌われても良いと思っています。単に気に入らないという部分で私は指導したことはありません。これから先の事を考えたときに厳しく指摘してでもやらせないといけないと思っています。選手の機嫌をとりながら練習をやるくらいなら絶対に部活はやりません。私が頭を下げて「練習をやってくれますか?」とお願いするような関係なら絶対にやりません。
部分的に切り取られて評価を受けたらあれこれ言われるのかもしれません。が、違いますよね?最初の話になるのですが価値観云々との部分で考えたときにここの部分は譲れないと思っています。
気がついたら差はつきます。だから冬期練習で逆転ができる。やっているときには気づかない。でも、時間が経過したときには気づくのです。「なんで自分の競技力はそんなに上がっていないのか?」と自問自答したときには遅いのです。冬を越えて飛躍的に強くなる選手というのがどれだけいるのかを考えてもらったら分かります。それほど冬期練習は大切。もっというと「計画的にきちんとやる冬期練習は大切」なのです。練習なんてどこでもやっています。やっている内容の「差」というのはあると思います。
更に同じメニューをやっても必ず「差」が出る。当然の話です。そこをなくしていけるかどうか。私の役目はそこだと思っています。この「差」を数ヶ月後に感じさせないようにしたいなと思ってはいます。最後は自分自身に返ってくることだから。私がどれだけ真剣になっても最後は選手。
最初に比べると全くの別チームになっていると思っています。が、それは過去の自分との比較でしかない。本当に必要な練習ができるかどうかが大切だと思っています。これからどこまで気持ちを持っていけるか?ここだと思います。
「差」を突きつけられたときにどう思うか?練習は正直です。嘘をつきません。だからこそきちんとやっていく必要がある。
練習が悪いと書いているわけではありません。誤解なきよう。きちんとやっていますよ。多分普通のチーム以上に。でも、ここで満足してもらったら困るというだけ。本当はもっとできる。そう思っています。