カンレの日記

還暦の年から始まったブログ、いつの間にか古希そして喜寿を迎えた日々のこと。思いのままに。

カレーライスの想い出

2024年01月27日 | 思い出話

無性にカレーが食べたくなり、今日は、カレーライスでした。

うっかり食べ始めちゃって、半分しか撮れていません。(*_*;

まぁまぁの出来で美味しかったのです。

じいちゃんと我が家でのランチでした。

 

 

カレーライスと言うと、子どもたちが小さい頃のことを思い出します。

あの頃、若かったじいちゃん(カンレ夫)は

「カレーなんて夕食にならない!」と、頑固に

自論を家族に押し付けていた時代がありました。

そんなころから、私と子どもたちと名案が浮んだのです。

 

 

その頃、父親であるカンレ夫は

毎週金曜日になると徹夜のマージャンをやる日でした。

なので、何かと口うるさい父親のいない日の

金曜日は「カレーライスの日」と決めて

カレーライスを食べ

お行儀を悪くして食べても良い日

くちゃくちゃ音を立てて食べても良い日

そんな日にして、ストレス解消をしておりました。

今考えると

母と子のせめてもの反撃行動の日だったのだと思うのです。

 

 

今のじいちゃん(昔夫・父親だった)は

徹夜マージャンをやる時代でもなく、そんな元気もなく

頑固なところは、時折出てきますが・・・

硬いものも食べられなくなり

入れ歯をガクガク音を立てて食べ

子どもや、孫の言うことは何でも聞きいれて・・・

父親の威厳もなく、かわいそう!

とは、思いませんが・・・なんとなく穏やかに過ごしております。(笑)

 

 

時代が変わり、年齢を重ねた今だから

互いに弱くなり、夫婦げんかの元気もなく

互いの思いやりが出て来ている感じ?かな?

そんな訳で、今日も、我が家の恥をさらしちゃいました。

今後ともよろしくぅ。(^。^)y-.。o○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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九十九里浜に泊まった・・・あれから13年も経った

2023年10月28日 | 思い出話

カンレ夫婦が結婚したばかりの頃

社宅の隣り合わせに住んでた夫の友人ご夫妻と

その時も10年ぶりくらいに逢うことになり

九十九里浜に泊まったのは、13年も前でした。

その時のブログを、きょう偶然見つけて読んでいたら

妙に懐かしくなって、続きを投稿したくなりました。

 

 

あの時の、ご主人は昨年亡くなってしまいました。

なので、ブログの画像はとっても懐かしくて

いい想い出となっています。

で、今日も「ブログをやっていてよかった」を再認識したのでした。

 

 

その時のハプニングの話の内容は書いてなかったのですが

今、書いておきます。

実はあの時

夕食の宴にビールを飲んで和やかに過ごした後

部屋に戻りくつろいでいた時のことです。

 

ご主人(夫の友人)が急に足がつって

痛い、痛い、う~! と何度も声をあげて

のたうち回り苦しんでいるのですが

何の手立てもなく

救急車を呼ぼうか!?と言っても

「大丈夫、いつもなるんだから呼ばないでほしい」って言うものだから

ただただ見ているしかなかったのです。

その時間、ずいぶん長かったような?・・・・

 

 

今の我が家は

あの時の夫は、今はじいちゃんになり釣りやゴルフで疲れた時、この症状が出るので

痛み止めのテープを常備しているのです。

なので、足がつりそうになったら

すぐに、ロキソニンテープとか貼ってあげると

寸時に治って楽になっているのです。

13年前、痛み止めのテープってなかったのかなぁ?

私たちにその知識がなかったのかなぁ?

あの時、その処置をしてあげれば・・・

あんなに苦しまなくて済んだのに・・・

今でも悔やまれてならないのです。

 

あ、すみません。

今日の投稿は独りよがりの想い出話でした。

失礼しました。

 

 

 

 

 

 

 

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かるめ焼きを見つけた。

2023年06月15日 | 思い出話

朝ドラの「らんまん」で、万太郎さんが好きな

かるめ焼き、鎌倉日帰りバス旅行で見つけたのです。

美味しいと言う感じではないですが

子供の頃に食べた記憶が懐かしくて

一個だけ買って来て食べてみたんですよ。(^O^)/

 

 

とっても甘くて、この大きなカルメ焼きは

いっぺんに全部は食べきれません。

なので、何回かに分けて懐かしさに浸りながら食べています。

 

 

昔の記憶は、母だった?父だったか?が

七輪でカルメ焼き専用の銅鍋で

なぜか?トウモロコシの芯のようなもので

原料のザラメをいれて、炒るように混ぜていると

いつのまにか、モコモコって膨らんできて

ぱっと鍋から下ろして出来上がるんです。

兄弟でじーっと、出来上がるのを見て待っていたものでした。

あ、水とか?重曹とか入れていたのかなぁ?・・・

この辺の記憶は定かではありません。

子どもの頃は、美味しいと感じて食べていました。(*^^(*^^)v

 

 

鎌倉日帰り旅行の写真は、まだ整理されてなくて

しばらくお待ちを・・・(*_*;

このところネタはいっぱいあるのに、投稿の時間がないんです。

カンレは、投稿サボって元気でおります。

まずは、かるめ焼き一枚のアップでお許しを・・・・(^^♪

 

 

 

 

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麦の穂と初対面 2023春

2023年04月13日 | 思い出話

今日、そすいの郷(直売所)に、何か花が欲しいと思って行ったら

↓ こんなセットがあったので買ってきました。

近くに麦畑がないので、気づきませんでしたが

もうこんなに麦の穂に実が入って、しっかりとした麦の穂になっていました。

青々として、ツーンと伸びた穂を見ると

何だか、元気が出そうな気がいたします。

良いものですね。

やがて、麦茶になったり

小麦粉になったりする訳で・・・

国産小麦粉のいい香りが香ってきそうです。

って・・・(^O^)/麦の穂を見ただけで

ここまで想像出来ちゃうカンレは、自分でも不思議なくらい。

小さい頃、種を播き、麦踏をして、麦刈りをして

脱穀をして、小麦粉になるまで記憶がよみがえってくるのです。

のどかな日々を過ごしておりました。

 

4月15日(2日後)訂正です。

写真は、大麦でした。

想い出話は、小麦のことでした。

大麦も小麦も粉にはできるのですが、用途は違います。

一部訂正しておきますね。

 

 

それなのに、今朝は、北朝鮮が発射したミサイルが

北海道領海に落ちるかもしれないと臨時ニュースがあったり

相変わらず、ロシアとウクライナの戦争が終わらなかったり

物騒な世の中になって寂しいです。

どうぞ、穏やかに過ごせますように・・・

 

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母の着物は、ウールで一枚布の着物だった

2023年01月19日 | 思い出話

前から、「母の形見の着物で何かを作って見たい」

その思いはあったが、なかなか手を付けられないでいました。

とにかく、着物をほぐしてみないと何もできないかなと思い

縫い目を全部ほぐしてみました。

 

 

そしたらなんと、一枚布のウール地で出来ていました。

思い起こせば・・・当時(昭和30年頃)母から

この着物は、「洋服地でミシンで縫った着物」とは聞かされていました。

ちょうどその頃は、洋服が出回り始めた頃なので

安価な着物を作るための

最先端の技術だったのではないかと想像しています。

その数年後辺りからは

ほとんどが洋服を着るようになっていましたよねぇ。

 

 

カンレは昔、和裁も習ったことがあるので

うる覚えですが、解説してみます。

こうしてみると、ハサミを入れたのは

襟ぐりと前身頃とおくみの部分にハサミが入っていただけでした。

それにしても、こんな幅の布は特注だったのでしょうね。

 

さてさて、何にリホームしようかなぁ・・・

結局このままで終わってしまうかもしれません。(*_*;

とりあえず、クリーニングに出してみます。

 

 

こんなことを思っていた矢先、母の命日が近づいていました。

そして・・・なんとなんと、今年は33回忌にあたることに

義姉が気づき、今月の命日には

33回忌の法要をすることになったのです。

たまたま、父は50回忌と言う。

今年は、節目の年回りなのでしょうかね。

しっかり供養をして「孫やひ孫も見守ってください」と願ってきます。

先祖の供養は

供養をする側にも心安らぎがありますものね。

 

 

 

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”2022” 442年ぶりの皆既月食だと言うので

2022年11月09日 | 思い出話

昨夜は、皆既月食の中でも天王星食も見られると言うので

スマホでは撮れないと思いながらも、明るさを調整すればよいとか言うので

いろいろやってみたが、お見せできるものは撮れませんでした。

 

 

そうこうしているうちに、東京に住む息子から

天体望遠鏡(家庭用)で撮った映像が送られてきました。

記念なので載せておくことに・・・

一枚目の左下の星、4枚目の右の星が天王星?

か、どうかは、分からないのですが・・・

良く撮れるものですね。

 

 

この画像をスマホ撮るには、どうやって?撮るの?って聞いたら

それ用のアタッチメントがあるんですって。

なるほど、なるほど・・・感心することしきり。

そんな訳で、昨夜は

東京に住む息子家族と

栃木に住むカンレ夫婦と

北海道に住む娘家族が

同じ月を同じ時間に観察できたことも嬉しかった。

こんな平和な時間がこの先どのくらい続くんだろうなぁ・・・

昨夜の出来事でした。

あ、お月様に願い事するの・・・忘れちゃったわ(^O^)/

 

 

我が家と天体望遠鏡の関わりの話は、折を見てお話したいですね。

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若い頃の作品・SDGsって?

2022年03月05日 | 思い出話

若い頃(20歳頃)?

年月が忘れるほど昔ですけど

カンレにも20代があったのです。

編み物とか、洋裁とか作り物をするのが好きで

時間があると手を動かして何かを作っていたのです。

その中の一つ

ずっと捨てられなくて取って置いたものをお披露目します。

細いレース糸を使い、細いレース針で編むのですから

何日も何日も?いや、何か月のレベルだと思います。

このころの自分をほめてあげたいです。

数年前から、玄関の花台にかけていましたが

先日から、テーブルクロスとして使い始めています。

あの頃、こんなIT時代が訪れようとは

想像もつきませんでしたが、これぞ個人で出来る

SDGs(エスデージーズ)?ではないか?と

この投稿をしながら、ふと頭をよぎりました。

 

 

世界で大きな取り組みをしているのは他人事でしたが

そんなことを考えて、ちょっとググってみましたら

ヒットしたのが ↓ ここでした。

個人でできるSDGsの取り組み|日常生活に取り入れられる10個の例をご紹介

すっごく勉強になりましたよ~!

個人で出来る?て・・・昔の生活を振り返る

と、考えさせられた日でした。

 

 

で、たまたま、今日は、縁あって集まった仲間の一人

いろんな布で手作り品を器用に作っている友人に

お願いしていたことがありました。

それは、昔、フラダンスで着たドレスの布だけでも

何かに使ってもらえないかとお願いしていていたのです。

そしたら、たまたま居合わせた友人の友人(手芸大好き)も

喜んでもらってくれたのです。

何かの形で生かしてくれること間違いなし。

もらってもらって助かりました~!

こういう事も「個人で出来るSDGs」に入るみたいですよ(^O^)/

物は試し・・・後半まで読んでみるとなるほどって思いますよ~!

ちょっと美化しすぎかしら・・・( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

レース編みから・・・ずいぶん飛んでしまいましたね。(笑)

今日も、お付き合いありがとうございました。<m(__)m>

 

 

 

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イナゴ獲り体験も

2021年10月25日 | 思い出話

昨日は、サトイモ堀体験を解散した後

何故か、イナゴ獲りの話になってイナゴ獲りも

懐かしさのあまり、やってきました。

産直へ行くと、イナゴの佃煮が売っているのを見たことがあると思いますが

そう、その、イナゴ(昆虫)ですよ。

イナゴを知らない方は、ここへ

 

 

土手を歩いていると、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん飛んで

追っかけるのが大変です。

目も衰え、運動神経も衰えて、そりゃもう大変!

それでも、↓ これだけとれました。

佃煮にするには、とても大変な仕事と聞いているし

作ったことがないので友人に預けました。

これ、そうね・・・30匹くらいは獲ったかな?

 

 

イナゴの想い出は

小学生のころ、イナゴ獲りの日ってのがあって

生徒全員(小さな小学校なので)で、授業は無しでイナゴを獲って

獲ったイナゴを売って、学校の資金にしたんですよね。

昭和30年頃だったかなぁ・・・?

手拭いで縫った袋に、10センチくらいの竹筒を付けて

左手で、竹筒をもって

右手で獲ったイナゴを竹筒から入れて行くのです。

家庭でも獲って佃煮にして

当時の、貴重なたんぱく源だったようです。

昭和の時代が懐かしいなぁ( ^^) _U~~

 

 

今は、バイクの両端に網を取り付けて

土手を走りながら捕獲するって・・・いつかテレビでやってました。

佃煮とは言え

昆虫を食べるのですから、好き嫌いはあるでしょうね。

 

 

 

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ふるさと散策で思ったこと

2021年03月17日 | 思い出話

今年は、コロナ禍でお彼岸でも

みんなで集まれないし

ひと足先に実家に行くことにした。

相変わらず気まぐれなので

連絡もせずに訪問したら、案の定誰もいなくて

それでも、玄関は開いていたから不思議。

お仏壇に、手土産とお線香を供えて

故郷の山々(田畑)を散策してきた。

 

庭の花々も、咲き誇っていて春を感じた。

小学生の頃の道草をした場所も歩いてみた。

小さい頃は、ガードレールもなかったし、道も砂利道だった。

この石仏は、もう少し小高いところにあったきがする。

その土手で、連日ともだちが持ってきたイチジクを食べた。

その時の、まったりとした時間と味が忘れられない。

この石仏は、馬頭観音?とか言っていたっけ。

横から見ると馬の顔に見えた。

 

あちこち歩いて4000歩

フキノトウを取って、ヨモギを摘んで最高の癒しだった。

父や母が農作業をする傍らに、何時もついて歩いて

幼い私の、質問にも丁寧に答えてくれた母。

 

 

その中の一つに

田植えの時、綱を貼るのは(寸法を決めるゲージがあった)

子どもの仕事だったとき、初めて直角を教わった。

今思えば、毎日の生活の中には、教材がいっぱい転がっていたのだ。

貴重な生活の知恵を教わっていたのだ。

昔のことなので、母は、朝から晩まで働いていたのに

丁寧に教えてくれたことは、今でも忘れない母の偉大さを今感じる。

母の汗臭い臭いも、いい匂いに感じた。

田畑の畔で、こじはん(おやつ)も楽しい時間だった。

 

ふるさとは、何とも言えない安らぐ場所となっている。

父母兄弟や、幼い頃の友達の想い出がよみがえった日は

カンレ74歳の一コマとなった。

 

 

子どもにとって親の存在は

一生忘れられないものになること。

どんな環境でも、両親の無償の愛は

子どもに伝わることと信じている。

そして、無償の愛は、子どもの無限の可能性につながること

身をもって感じている。

果たして我が子には、無償の愛をふんだんに注いだか?

は、数値で表せるものではない。

反省点もいっぱいだ・・・

今日は、老婆の思いを伝えたいと思った日ともなった。

 

 

 

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昔の機械編み羽織が見つかった

2021年02月19日 | 思い出話

数日前のこと、タンスを片付けようとしたら

20才ごろだったかなぁ?

機械編みを習っていたころに編んだ、羽織が見つかりました。

羽織と言え着物を着たときに羽織るものなのですが

洋服の上に羽織ってみたら

あれ?これ部屋着に着れるんじゃない?(^O^)

ってことで、この頃利用しています。

ただ、炊事をするときは、袖が邪魔になるのんですよねぇ。

でも、もったいないので

かっこいい~と思いこんで着ることにします。( ̄∇ ̄;)

 

 

それともう一つ

成人式の時に着たショール

さて、どうしようかと悩んだ挙句、やっぱり捨てられず

ソファーカバーとなって活躍中(^O^)/

まぁ、相変わらず捨てられない

もったいないの性分(貧乏性)は、治らないものですね。

困った困った。(^O^)/

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見習いたいと思ったお隣の奥さんの話だが

2021年02月18日 | 思い出話

今日は、とっても寒くて外に出たくない気分。

洗面所を片付けていたら、洗濯槽洗浄剤の箱を発見した。

そう言えばしばらくやってないなぁと思い洗濯層の洗浄に取り掛かった。

ぬるま湯の方が洗浄効果があると書いてあったので

おふろの残り湯を入れてみたら、今までにない汚れの落ち方

海苔を浸したような細か滑りのあるごみが、いっぱい取れた。

いや~!スッキリ~!いい感じ~(^O^)/

 

 

カンレには、掃除とか、お料理と言うと思い出す人がいます。

今から、40年以上前の話で

私が30代社宅に住んで、子育て真っ最中のころでした。

お隣に住む同年代の奥さん(子どもたちも同年代で)

とてもきれい好きで、お料理上手で、片付け上手

主婦の鏡と言うのはこう言う人だと、今でも思っている方でした。

 

 

当時とても親しくお付き合をさせて頂き

買い物も一緒、子ども遊ばせる時もおやつの時も一緒

常にその方の動きは把握できる環境でした。

その奥さんが、窓ふきをしていたり

換気扇の掃除をしていると

あ、私もやらなければ・・・と数日後にやっていたり

お料理も上手で、時々おかずを頂き

この味は?この食材は?ってな感じで

お手本にさせてもらって、とても勉強になった奥さんを思い出すのです。

 

 

その方は、独身の頃

某企業の社長宅で住み込みでお手伝いさんとして働いていた方でした。

あの時代は「住み込み」って言う働き方がありました。

その時、行儀を身につけ、家事もプロとして身についた方だったんですよね。

「娘を嫁に出す前に奉公に出せ」と言っていた人もいた時代。

 

一方私は、昔で言う行儀見習いなるものは何も知らずに

会社勤めからいつの間にか、主婦になり母になり

手探り状態でしたから、お隣の奥さんと出会えたことに

今でも、感謝しています。

あれから40年、お隣の奥さんのようにはいかないが

それなりですが・・・主婦と子育て、頑張ったと・・・自画自賛!(*_*;

 

 

が、しかし、夕方に大失敗!

甘酒が飲みたくなって酒粕買って来て

甘酒を作ったのです。

・・・・で、一口飲んでみたら

え~なにこれ~!しょっぱ~い!・・・あ~ぁ・・・・

・・・「いろんな人との出会いで、今の自分がいる」

そんなことが言いたかった話なのに・・・

この落ちは・・・悲しすぎる~・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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すごい!丸太の積み方

2021年02月12日 | 思い出話

先日、御亭山に行った時の林道に有った杉の丸太が

芸術的?アートではないかと思うような積み方がされていたのです。

とにかく、写真を撮ってきたので見てください。

両側が崩れないように組み立てられた丸太ん棒は、整然と積まれているのです。

今は、こういう積み方も機械を用いてやるのでしょうが

昔は、人力でやってたのでしょうね。

林業の一コマと遭遇できラッキーでした。

わざわざ車を止めて、写真まで撮って

好奇心旺盛なカンレの一コマでもありました。( ^^) _U~~

皆さんは見たことありました?

林業の知恵もすごい!と、思いませんか!

 

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余笹川ふれあい公園(冬)

2021年01月27日 | 思い出話

昨日、苔を見つけた公園は

前から気になっていた、那須町の「余笹川ふれあい公園」でした。

こちら方面に行く用事のついでに立ち寄ってみたのです。

広々とした、気持ちの良いところでした。

烏が森公園から見る那須山とは違って、とても近くに見えます。

なぜこの公園が気になっていたかと言うと

 

 

忘れもしない、放牧されていた牛が何頭も流された映像がテレビに映って

目を覆いたくなるような、豪雨災害でした。

↓ この石碑を見ると、あれは、1998年8月27日だったんですねぇ・・・

今は、こんなに穏やかな川なのに・・・

あの時、私は、フルタイムパートとしてバリバリ働いていた時でした。

あっという間に某企業の広~い駐車場が

水深10センチくらいになってしまい

ヒールのまま、ジャブジャブと歩いてやっと車までたどり着き

帰りの車の運転は、ワイパー全開でも前が見えず怖かったっけ・・・

あれからもう、23年もたつんですねぇ。

 

 

その後も災害は繰り返され、

今は、コロナ禍・・・・・あ~ぁ・・・・

おっと、暗い話になってしまいました。

気を取り戻そう!

 

 

今回は、真冬の余笹川ふれあい公園でしたが

とても気持ちの良いウォーキングでした。

今度は、新緑の頃、緑の公園を歩いてみたい!

また行ってみよう!

カンレ夫の釣り場は、どうも余笹川一帯らしい。

 

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切り干し大根と納豆(ときなっとう)

2021年01月24日 | 思い出話

朝起きたら、深々と雪が降っていた。

この降り方だと、相当な雪が積もりそうと思っていたら

なんと、お昼ごろには雪はやみ溶け始めた。

 

 

で、こんな天気だと気になるのは、先日干した切り干し大根。

完成にはまだまだかかりそうなので

生乾きの切り干し大根で食べちゃうことにしました。

良く洗って、戻し時間なし、こりゃらくちんです。

ちょっと絞って鰹節とお醤油で食べてみたのです。

まぁ、歯ごたえ合って、切り干し大根の香りもあって

ちょっとした漬物のような感じで食べられました。

凍った大根も気になりませんでした。

明朝は、これを、納豆に入れて食べてみよう。

切り干し大根と納豆って合うんですよ。

皆さんご存じかな?

 

 

カンレが、小さい頃(自給自足の生活)は

大豆を煮て、藁で作った入れ物(つとと言って水戸納豆のような入れ物)に入れて

大きな穴を地面に掘って

その中で、藁を燃やし地面を温めるのと消毒?ですかね。・・・をして

熱い大豆が冷めないうちに

その中に、つとでくるんだ大豆を並べ数日置くと

藁から出る納豆菌の働きで納豆が大量にでき上ります。

 

 

一軒の家で大量にできるのですから

その保存方法として、イチョウ切りや半月切りにした切り干し大根と

(↑ このイメージとは違います。ちゃんと干しあがったものを戻して使う)

塩を混ぜて、瓶に入れて漬けこんでおくんです。

で、毎日そこから食べる分だけ小鉢によそって食べていたのです。

納豆の強い香りと、切り干し大根の強い香り

意外にマッチしていた記憶があります。

 

なので、今回は、納豆に入れた生乾き大根で

昔の味を楽しむチャンス到来!って解釈です。

結果オーライ~!

なのでした~!(^_-)-☆

 

 

今の納豆は小分けパックに入っていてなんと便利なことか

ありがたやありがたや<m(__)m>

 

 

 

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懐かしい赤チンのこと

2020年12月24日 | 思い出話

赤チンと言えば、昭和の時代の常備薬

転んで擦りむいても、赤チン

指の切り傷にも、赤チン

赤チンさえつけておけば、あらゆるキズは治ってしまう。

そう思い込んでいた昭和の世代の人は、多いのではないでしょうか。

私も、その一人でした。

 

しかしある時、製造禁止?

付けてはダメと言われ、傷の消毒はマキロンに変わっていったんですよね。

で、いつの間にか周りから赤チンが消えていったのです。

最初は、何だか、マキロンでは物足りない感じ

キズの治りも遅かったような?

 

ないものは使えないので、探す気もなくあきらめて

マキロン消毒→カットバンになっていったんです。

今のカットバンは、通気性もよく

衛生的で、ま、傷の治りも早いみたいですがね。

 

しかし、有るところには有ったのですね。

何だか、ネットニュースで

このクリスマスに、最後の最後まで作っていた会社が

この25日に製造を終了すると載っていました。

それなら、まだどこかにはあったのね。

一瓶買っておけばよかったとか思っちゃいました。

そんなニュースで、赤チンを思い出したのです。

皆さん思い出しませんか。

若い方は知りませんよね

 

こちらニュースです。

 

 

 

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