4月26日は、劇団四季(ミュージカル、キャッツ)観劇のチケットを
取って、楽しみにしていたり
GWには、孫が来るし
連休の後も、沖縄旅行を申し込み、お金も払い込んでおりました。
その頃は、とても気分はハイになっていました。
そんな、4月23日の夜、娘から電話があって
なぜか、、、このときばかりは・・・ドキッ!としたのです・・・
娘は、淡々と話し始まりました。
「あのさぁ・・・この間から胃の検査をしていたんだけど、検査の結果が出てね。痛みがあったのは、十二指腸潰瘍なんだけど、そのほかにもポリープがあって、そのポリープの検査の結果、癌だったんだって」
「えー!・・・」・・・まさかぁ?・・・
「ほんとなの~?」
・・・・・
「それでね。急いで手術をしろといわれたわけではないんだけど、この連休なら仕事に影響なく入院できるので、手術することにしたから・・・」
もう、あまりのことに、私のほうが取り乱して電話口で涙声になってしまい
受話器を夫に渡した。
どうやら、検査結果の報告と、手術のときの保証人になってほしい、そんな電話だった。
いろいろ詳しい話を聞いていくと
胃が痛くて病院に行ったら十二指腸潰瘍と診断され
それは治ったのだが、そのとき別の場所にポリープが見つかり
検査の結果、初期の癌だった。
ごく小さなものなので、内視鏡の手術で済むかも知れない。
早期発見できたのは、とてもラッキーだったとのことでした。
そんな訳で、30日が手術の日でした。
北海道に住む娘は「来なくても大丈夫」と、言うが・・・
とにかく、娘に会いたい、そばについていたい、その思いがこみ上げてきて
夫とも話し合い、二人で北海道行きを決意したのでした。
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連休にもかかわらず安めの航空券が取れた。
幸い娘が、ひょうひょうとしていて
「そんな心配しなくても大丈夫だよ」と、反対に励まされてしまう始末。
その頃には、私の心も落ち着いて
初期ならば治る病気なんだ、と、頭の切り替えがつくようになりました。
でも、ブログに集中できなくて
ブログを断って、結果を待とうと思ったのでした。
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手術の前日、4月29日羽田空港から千歳空港に行き娘たちと落ち合った。
手術となれば、しばらくは絶食しなければならないので
「思いっきり食べたいものを食べたい」
娘のそんな思いから、寿司屋さんで思いっきり寿司を食べて
ガン患者とは思えない食べっぷり、デザートの甘いものもたらふく食べて
いつもより明るく、はしゃいでいるような感じさえする娘の態度。
食後には、すし屋さんのテーブルで自分のガンの位置、進行の度合いなど
医師からもらった図入りのメモで、私たちに説明をしてくれた。
保証人の書類もすし屋さんのテーブルで署名して
なんともあわただしく、その足で入院となったわけです。
病院は、大きな病院だし、病室は清潔な印象、
スタッフの方も優しくテキパキと対応してくれて
病院に関しての不安はなくなった。
・
4月30日手術の当日がきた。
前日から、点滴をしたり手術に関しての準備が始まっていて
病院で準備されているパジャマを着ていると、やっぱり病人なのか?
患者なのかと現実を認めざる終えない、複雑な心境になってきた。
手術の時間は、午後3時頃ということではっきりと時間が決まっていない。
やっと、午後3時45分、娘は車椅子に乗り点滴を持って
ニコニコと、を振って手術室に入って行った。
その頃には、婿殿の両親も来てくれて、大人が5人待合室で手術が終わるのを待った。
・・・・・
当初の説明では、2時間くらいと言われていたので
2時間までは平常心でいられたが、2時間半になっても出て来ない。
予定外のことが・・・何かあったのでは?とか、余計なことを考えてしまい心配になってきた。
手術室のすぐ横に近づいてみると
ピコピコと電子音
「もうすぐ終わるからねぇ~頑張ってね~」と
看護婦さんの声も聞こえる。
(全身麻酔ではなく、局部麻酔と意識がもうろうとする麻酔程度と知らされていた)
今、娘が、苦しんでいる、そう思うと・・・
なぜ?娘が?・・・私がガンになったほうが良かったのに・・・
そんなことを繰り返し思った。複雑な思いがこらえきれなく涙になる。
内視鏡の手術とはいえ2時間半を過ぎた頃には、5人とも落ち着かない。
そして、3時間近く(午後6時45分ごろ)にやっと終わった。
婿殿だけが呼ばれ、切り取ったガンを見せてもらったようでした。
(そのとき、娘もわかっているような顔でうなずいていたらしいが
後から聞いたら覚えてないという)
さすがの娘も術後は、病室に入ってからもぐったりして苦しそうだった。
その夜は、一緒に泊まれれば泊まろうと準備をしていったが
娘は 「子どもじゃないんだからいいよ」 と言う。
病院側でも 「完全看護ですから大丈夫ですよ」 と言う。
仕方なく、病院を後にしたが、その夜は眠れなかった。
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次の日は、もうすっかり元気になって明るい表情をしていて、一安心。
手術の局部が胃の入り口と言うことで、癒着の恐れがあるため
しばらくは、定期的にカメラを飲んで
癒着防止の処置をしなければならないようなのですが・・・
5月1日と2日は、私が病院に残り夫と婿殿は庭作りができるまでに
お互いの心に少しずつゆとりができ始めた。
で、私と夫は3日の朝、もう一度娘に会い
その足で、千歳→羽田→栃木へと戻ってきました。
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栃木では、孫が来ており久々の再会でした。
娘のほうはその後、5月8日退院して食事も普通の食事が取れるようになって
9日には仕事を始めたと言う。
まずまず、一安心です。
しかし、手術で摘出した部分の病理検査で、
下の層までガンが進行してないかどうかの検査も行われ
その結果が出るまではまだ心配は尽きない状況です。
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でも、とりあえず、手術も一段落したことですし
仲間と申し込んでいた10日出発の沖縄旅行は
「大丈夫だから思いっきり楽しんできてよ」
と、娘も言うので行って来たのでした。
人生って、ほんとにいろいろあるものですねぇ~・・・・・・
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娘もこのブログは見ていまして
ブログを休んでいること
皆さんが待っていてくださること、などを気にしていて
当初から、「私のことを書いてもいいよ」と言っていたのですが
親としては複雑な心境で今日まで悩んでおりました。
どうぞこの話は、ここだけの話にしていただけるとありがたいです。
でも、カキコミは大歓迎、うれしいです。
私も娘も、もちろん家族のものにはとても励みになります。
直接優しい言葉をかけられると
このところ涙腺が弱っておりまして、人前で涙が出てしまうのです。
かと言って、いつまでも、めそめそはしていられませんので
「カンレの日記」は書いていきたいと思っています。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。<m(__)m>