式場は、東京乃木坂の乃木神社で、PM1時
披露宴は、乃木会館 PM2時
式の日取りが決まってから
意外に早い当日が来てしまいました。
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式場の手配、披露宴の企画は
二人がほとんど、会場側と進めてきました。
親は、「親族を、会場までの案内を段取る」
たかがそれだけの役割にもかかわらず
夫と意見が合わず、もめること数点。
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そんなこんなで、迎えた当日の朝
那須塩原を 8時28分、15名で出発
東京駅からタクシー、20分で乃木会館に到着。
着付けも終わり、親族紹介(新郎新婦の父親が)
両父親とも初対面の初めてのしゃべりで、
両家の父親が、予想以上にあがってるのは、
笑っちゃいました。
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クスクス後ろで笑っていたら。。。
「あ。すみません一人忘れてました」
と、私を紹介する夫。(まったくもうー!ぷんぷん)
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13:00 式の開始
乃木会館から
乃木神社まで歩くこと
2分くらいだったか?
式場は、撮影禁止のため撮影できず。
厳かな雰囲気の中
儀式にのっとり、(詳しくはHPここでどうぞ)
進行いたしました。
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雅楽の生演奏は初めて聞き
舞楽(ぶがく)も初めて見ましたが
とても感動しました。
式も終わり、神社境内でしばしくつろぎ
集合写真も外での撮影でした。
ここでは、参列者意外、招待者以外の
友人たちも少しの時間語り合い
集合写真にはその友人たちも
一緒に入っていただくのが
恒例になっているようでした。
最初、この話を聞いたときには、驚きました。
「せっかく来ていただいたのにお振る舞いをしなくていいの?」
と、思い頭の切り替えに、ちょっと時間がかかりました。
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無事式も終わり、お嫁さんゲット(^o^)/
後姿も素敵なカンレ家の嫁です。
今から、嫁自慢
親バカならぬ
姑バカの芽が出てまいりました。
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14:00時から、披露宴が始まりました。
レストラン側のマナーなのでしょうか
ナプキンの折り方に目がいった
奥の扇形がお客様用
そして、手前左のくるっとまとめ折は
主催者側の折り方なのでしょうね。
「 披露宴は二人の手作りにしたい」
そんな思いがあったらしく
手作りの席次表や予定表が渡されていました。
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新婦が、お色直し中座の時
司会者の方が
○○○カンレさまー!と呼んでいる。
「え!何かの間違いだ」 と思っていた。
そしたらもう一度
「新郎のお母様の○○○カンレさまー!」
え、私?ほんとに?と思い
行ってみると
「新婦の願いで、介添えをお願いしたいのです」
という。
信じられな~い。うれし~い。
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スポットライトを浴びて、お色直し中座の介添えが始まった。
うれし涙をこらえながら、ゆっくりと出口に進み歩く
出口で一礼するころには、涙が眼鏡の範囲から
流れ落ちるくらいになっていた。
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無事廊下ににでて、そこで、お嫁さんが、
「最初から、お母さんにしてもらいたいと思ってたんですよ」
「お母さんありがとうございました」
との言葉。
えー! カンレの涙腺は洪水状態。
洗面所に駆け込み、洪水対策
ふー。。。。。やっと自席に復帰。
これが、予定表の赤線部分
先導(サプライズ)?????でした。
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50人ほどの招待者を招き披露宴は
アンティーク風のレストランでした。
自分たちのアトラクション的なことは
できるだけ少なくして、あくまでも心をこめた
手作りを強調していたようでした。
ビデオ上映、再入場、余興と順調に進み
同い年の友人からの祝辞と唄い
(昔から高砂や~っていうお祝いの唄)を
聞かせてくれました。
途中からなのですが、数秒お聞きください。
余興はその後も
新郎伯父の「娘へのバラード」
新婦伯父と新婦の父、3人でのバンド演奏
新郎姉のピアノ演奏
笑わされたり、泣かされたりの大忙し
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新婦の母のカンレとしては
娘(新郎の姉)が、弟夫婦に贈る曲
エルガー作曲の「愛の挨拶」では、
またまた号泣でした。
演奏が上手だったのではなく
エルガーがこの曲を作ったいわれなど
エルガーのように、「弟夫婦は仲良く暮らしてほしい」
・・・・といった言葉を演奏の前の
スピーチしていたのを聞いたときでした。
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カンレ夫婦は、いつも口論が多く
夫婦仲むつましい光景は見せてなかったような・・・
私たちは、反面教師的存在だったのかなぁ。。。
それにしても、まぁ、結果オーライ?
ま、いっか。
そんなかんなで、あわただしく披露宴も終了しました。
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司会者、カメラマン、ビデオカメラマンも
友人にお願いしたり
関係者の方々、遠方からのお客様
ブログ閲覧してくださっている皆さん
心から祝してくださいまして、ありがとうございました。
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二人には
末永く、末永く、末永~く
いつまでも、いつまでも、いつまで~も
この日を忘れないで欲しい
そう思いながら
愚息の結婚式の報告とさせていただきました。