
照る日曇る日第661回
著者の処女長編「エホバの顔を避けて」を冒頭に据え、後年の中短編「贈り物」「にぎやかな街で」「秘密」「川のない街で」「思想と無思想の間」「男ざかり」を従えた全集の第1巻である。
「エホバの顔を避けて」は旧約聖書の「ヨナ記」を元に著者が想像の限りを尽くして延々と拡張しつつ再創造した神と人との対決というか対峙の物語である。
だいたい聖書の中の人物の多くは、いきなり神の子を産めとかイエスの弟子になれとか鶴ならぬ天の一言で命令(召命)され、彼らはそれがどんな無理難題であってもたやすく受け入れるのであるが、この物語の主人公は「エホバの顔を避けて」断固としてそれに逆らう。
腐敗堕落したニネベの街が、ソドムやゴモラのように王や住民もろとも滅亡したって彼にはなんの関係もない。もしも彼らが前非を悔いて懺悔するなら、慈悲深きエホバは彼らを救ってやるに決まっているのだから。
それなのにエホバは、あくまでヨナに対して「その街へ行って40日以内に全員悔いあらためなければ皆殺しにすると告げよ」と命じるのである。
小説では俄か預言者となった彼がニネベの民に懺悔させるために超人的な努力を払う有様を色々な協力者を繰り出して延々と書き綴っているが、その点が原本の聖書とは全然違う。
彼らがあんまりあっさりと改心してしまい、エホバが殲滅するという前言をあっさりと撤回してしまうので、ヨナが「結局そんな簡単に出来レースにするのなら、なんでおいらを海に投げ込んだり大魚に食わせたりするんだ。許せない」と他ならぬ神様!に対して怒り狂って抗議するのである。
ところが驚いたことに、ただの庶民がエホバの予定調和なゆるいやり方に対して激昂するという前代未聞の肝心かなめのシーンが、この小説ではすっぽり抜け落ちているので、物語の最後の「お前はたかが影よけの瓢の木が枯れただけで勿体ないと嘆いているが、12万人が住む大都市が一夜にして滅亡するのを惜しいとは思わないのか」というオチがてんで効いていないのである。
大山鳴動して鼠一匹とはこのことだろう。
なにゆえに横を向いて眠るのか天界が落ちてくるのが怖いので 蝶人