照る日曇る日第662回

長編「たった一人の反乱」を2つの短編「中年」「横しぐれ」がサンドウイッチしたような構成です。
「たった一人の反乱」は、いったい誰が何に対して反乱するのか頭の悪い私には最後まで分からないじつに妙な小説で、通産省から防衛庁への横滑りを拒否して電機メーカーに転職し、成り行きでファッションモデルと結婚する主人公よりも、そのモデルの祖母(配偶者を殺して刑務所から出てくる!)が新宿駅騒乱事件で機動隊に投石したりするアナーキーな行状についつい目がゆきます。
権力の犬共に対しては、ひとかけらの路傍の石でも呉れてやるというのが当時の一般大衆の流儀であったことを思うと、権力に慕い寄って頭を下げ、いそいそと尻尾を振って忠誠を誓う昨今の風潮は嘆かわしいというも愚かなものがあります。
ところで多彩な登場人物たちが繰り広げる悲喜劇を器用に紡いだこの風俗小説は、そのお話のもっともらしさより、その物語の基底部で沸騰揺曳している「小説が書かれた頃の時代と社会の不穏さ」のマグマのほうに魅力があるというような、そんな佇まいをしています。
本書でもっとも鮮烈な出来栄えを見せているのは、まぎれもなく巻末におかれた素晴らしい短編「横しぐれ」で、主人公の父親と漂泊の歌人山頭火とのミステリアスな遭遇を、著者の博識と博引傍証、国文学の知見と作家的想像力の限りを尽くして追究した力量はまことに尋常ならざるものであり、もしかすると本作こそ著者の最高傑作かもしれません。
この作品は、源三位頼政など中世の列島各地のなまなましい現実に触れた武士たちの体験から生まれた「横しぐれ」風の和歌が、藤原俊成などが墨守した保守的な古典主義と激突し、やがてそれが「後ろ姿のしぐれてゆく」山頭火のごとき「死暮れ型の横死的歌人」を胎内の臓物から産みだしつつ自死してゆくという、本邦短詩形文学史の運命の象徴であり、見事な要約でもあるのです。
なにゆえにあの暴漢を放置したのかわれに一挺の拳銃ありせば 蝶人