照る日曇る日第664回
クリミアを軍事力行使してまで自国領土に編入したロシアの帝国主義的領土拡張欲は、何世紀を経ても変わらないようである。
開戦に消極的だった元老伊藤博文の反対を押し切って、その狂暴な「北方の熊」に文字通り総力を挙げて歯向かった明治ニッポンが、どう考えても「奇跡的な」勝利を収めたことが果たして良かったのか、そうでなかったのか、この本を読むと複雑な感慨にとらわれる。
明治ニッポンは20億円の軍事費とおよそ8万人の血の犠牲の見返りとして、戦争の当初の目的であった「韓国の自由処分」「ロシア軍の満州からの撤退」「遼東半島租借権と東支鉄道の権利」に加えて南樺太を手に入れ、世界の自称「一等国」に成り上がった。
どうせ植民地利権を放棄せざるを得なくなったにせよ、これに満足して軍事増強に走らず、ひたすら通商貿易に徹する「小国主義」を貫き通していたらまだしもであったろうが、明治40(1907)年に山県有朋がロシア、アメリカ、清国に伍して大兵力を蓄える帝国国防方針を打ち出した瞬間に、本邦は大東亜戦争に直通する「大国主義」への道を一瀉千里に走り続けることになったのである。
歴史に「もしも」はないかもしれないが、もしこの時に我らの父祖たちがおのれの身の程をわきまえて、もう少し謙虚かつ賢明に身を処すことができたなら、と長嘆息せずにはいられない。
なにゆえに牛に負けぢと膨れあがる身の程知らずの日帝パンク 蝶人