
音楽千夜一夜第326回
アルフレッド・コルトー(1877-1962)はサンソン・フランソワ、ディヌ・リパッティ、クララ・ハスキル、遠山慶子、エリク・ハイドシェックなどの素晴らしい名ピアニストを育てましたが、彼自身の演奏は彼の弟子たちのいずれにも似ていないように思われます。
いまや世界の若手ピアニストたちは、聴衆の迷惑を顧みることなくともかく超絶テクニックで弾きに弾きまくる、という味もそっけもない無味乾燥で不毛の荒野に突入し迷走するようになってしまいました。
コルトーは現在の水準からみればテクニクはないし、時々指がもつれて弾き損なったりしていますが、そのかわりに音楽への愛の心がみなぎっています。
ここには彼が1919年から1959年までに遺した40枚のCDが集められていますが、それらのどの録音を聴いていても、(私がてんで評価しないショパンの作品でさえも)、ピアノの音が鳴っているのではなくて、死にゆく老人が星空の森の中でひとり歌っているように思えてくるのです。
コルトーの前にコルトーなく、コルトーのあとにコルトーはなかったのです。
けれどもコルトー弧ならず。カザルスやシゲティの朴訥なバッハを、指のよく回るロストロやマ、スターンなどと比べてみると、後者がチェロやバイオリンの音を上手に鳴らしているのに対して、前者は「それ以上の音楽」を上手下手とは無関係に心の奥底から歌っているようです。
なにゆえに若手のバリバリコンサートに行かないのかコルトー、カザルス、シゲティがあればそれでいいから 蝶人