あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

今井義行著「SWAN ROAD スワンロード」を読んで

2017-01-24 11:26:38 | Weblog


照る日曇る日第929回



1991年1月17日、私はモンテゴベイのハーフムーンビーチでプカプカ浮かんでいたらドイツ人のような顔つきをした青年が近づいてきて「ねえ、世界はこれからどうなるんだろう?」と尋ねたので、私は「分からない。てんで分からない」と答えた。

その夜ホテルのロビーに集まった世界各国からやって来た観光客に混じって、私もその青年も父ブッシュの湾岸戦争の宣戦布告を告げる演説を聞いたのだが、その時初めて私は、「これから世界はとんでもないことになっていくに違いない」という、その後は世界中でお馴染みのものになっていく不穏な思いに摑まれた。

そしてちょうどその年、極東の島国でひとりの青年が出版した第一詩集の奥底に澱んでいる感情も、私があの時に体感した、胸の奥に澱のように沈みこんでいく灰色の不穏な思いではなかっただろうか。

それはともかく、手にとれば思わずため息が出るような美しい書物である。

いまどき珍しい凝りに凝った特製仕様で、吟味された和紙のような柔らかな用紙、洋書なのに特別の意匠で2重の帙で収められた造本、フランス装の挿入など、生涯で最初の詩集をこんなにも贅を尽くした繊細な装丁で、これを世に送った人の感受性と豪儀さに脱帽せざるを得ない。

わたくし的にわりあい素直に入り込むことができた「MIO」、「ダリアの場合」「星座館」などなど、全部で17の詩篇が格納されているが、その多くは作者28歳当時の生々しい青春の生と性の息吹、切れ味鋭いレトリックと独特の言語感覚に花冠されていて、ああ、ここがかの恐るべき詩人が離陸していった地点なのだなと頷ける。

しかし「静謐な翅」あたりから開始された作者の詩と詩形を巡る実験的冒険は、最後に置かれた「硝子曜日のパラダイス」において最高潮に達する。

そこでは2次元の平面に並べられていた詩の言葉が図像と衝突し、個性豊かなグラフィック・デザインによって旧い意味が捻じ曲げられたり、倒置されたり、突如変容増殖して三次元的な曼荼羅世界が展開され、その姿形はあたかも吉増剛造の「怪物君」のアヴァンギャルドな試行錯誤のさきがけのようにも思われたのだった。


    楚々として見目麗しきひとなりき東京五輪開会式の青空の下  蝶人

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