照る日曇る日第987回
アーヴィング最新刊の特色は、今までにもよくあったことだが、読者の心にしっくりと馴染んだ登場人物をあっけなく殺してしまうことだが、それは本巻においても例外ではない。
あんまり頻繁かつ効果的にそれがやらかされると、なんか文学形式の定番か作家の個人的趣味ではないかと疑いたくなるときもあるが、そうではなくてアーヴィングの死生観、それもなんとなくアーヴィング一流の諸行無常色即是空万物流転転生的仏教的宗教観によるものではないだろうか。
この作品ではカトリックの老神父や修道士、神学生が活躍するばかりか、南米特有の「黒い聖処女マリア」がとりわけ重要な役割を演じており、登場人物の遺灰をめぐる悲喜劇や、マリアの「奇跡」が物語の核心を構成している。
もちろんアーヴィングは、冷徹な無神論者である医師を登場させて、カトリックの非化学的な教義や儀式、法王庁の形骸化に対して批判的な言辞を弄してはいるのだが、医師はどうやら奇跡そのものを否定していないようにみえるし、この小説の主人公が、夢と現実、主観と客観、此岸と彼岸を混淆した多元的人世世界を瞬間ごとに往環する超自然的なあり方を人間の「真正な生き方」として是認しているようにみえる。
作家は、悪くするとスピリチュアルやオカルトになだれ込む一歩手前で踏みとどまり、現代社会にあって宗教の果たす役割、現代人の神との新しい付き合い方についてもういちど深く考えようとしている。
本作の構成が、時系列に従わず、時間の階梯を(しかも終わりに近づくにつれて頻繁に)螺旋状に飛ぶように設計されているのはその証左ではなかろうか。
とまあそんな胡乱な解釈は明後日の方角にうっちゃって、私たちはこの小説の登場人物の大半が、精神や肉体の障がい者やLGBTの人々であることに注目するべきだろう。
この作家は、すべての健常者は障がい者であり、すべての障がい者は健常者であると知っているのである。
ナチス大好きの副総理てふきちがいが選挙大好ききちがいをきちがいといふ 蝶人