照る日曇る日第988回
本書を初めて読んでの感想は、これはかつてかの折口信夫が言うておりました唱導文学、説教文学の現代版ではなかろうか、というものでした。
わが国には中世末からの語り物文芸の伝統がありまして、その流れを汲む「説教節」は明治大正にかけてかの有名な添田唖蝉坊の「ノンキ節」や「新トンヤレ節」を産出しましたが、その平成版がこの詩人のこの詩篇に該当するような気がいたします。
「生きている人がきみにできるのは、裏切りだけかもしれないね」(「水野しずの詩」)
「死んでしまうことを不幸だと思うなら、生きていくこともできない」(「とあるCUTE」)
「孤独な人ほど、きれいな人生」(「きれいな人生」)
などという「お筆先箴言」風のフレーズは、人世の因果律を説く説教詩、唱導詩であり、添田唖蝉坊が女性に生まれ変わった最果タヒという宣教師は、かつて昭和に尾崎豊がそうしたように、平成最晩年の若者たちに向って壇上から道学者風の真摯な生き方を歌い、教え、諭しているのです。
けれども詩はついに人世案内の呪文ではなく、詩人は悩める羊たちに対する牧者ではないのです。
ゴーストバスター鳴り響くメッツ球場大暴れする大リーガー青木 蝶人