照る日曇る日 第1195回
奈良時代の薬師寺の僧、景戒が主に聖武天皇の御代の事跡を中心にコレクトした多種多様な勧善懲悪譚であるが、その顕現の在りように霊異的な類例があるので、このようなタイトルになった。らしい。
正式には「大日本国現報善悪霊異記」と称するようだが、いわゆる「親の因果が子に報い」というやつを、己の実例も含めて上中下巻の合計116発も本気でぶちまけられたら、ダンテの「神曲」同様いささか動揺する。
その一例を挙げてみましょうか。
昔ひとりの比丘ありき。山に住みて座禅しき。食事の度に鳥に与えていたが、ある日石ころを庭に投げたら、鳥に当たって死んじゃって、それがイノシシに生まれ変わったが、ある日そのイノシシが、山の崖から落とした石が転がり落ちて、下にいた比丘に当たって死んじゃった。無意識に罪をなせば、無意識に報復されるのである。(下巻の冒頭より意訳)
閻魔様だって頻繁に登場するので、怖いなあ。
さりながら仔細に点検すれば眉唾物も三々五々紛れ込んでいて、かの悪辣な藤原氏に陥れられた長屋王とその息子を当時の権力者に忖度するかのように悪しざまに表記したり、母親に負担をかける障害児を深き淵に投げ入れよと行基が言うたのは、赤子が前世で取り損ねた借金をそうやって取り返していたのだ、と種明かししたりするのは、いかにも見え透いた作り話のようで、読むほどにシラケてしまう。
これでは長屋王も障害児も死んでも永久に浮かばれまい。
さりさりながら、おっぱいをベロっと出して児に乳をやる母親や、蛇に犯されてその虜になってしまう女、大船を曳いたり、相撲取りなんか軽く投げ飛ばしてしまう快力無比の大女など、奈良時代の多種多彩な女性像が生き生きと描き出されているのは、読んでいても楽しいのでしゅ。
我のことを呼び捨てにする上司あり心の底でいたく憎みき 蝶人