あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

加藤典洋遺著「大きな字で書くこと」を読んで

2019-12-25 13:26:21 | Weblog


照る日曇る日 第1328回


今井さんとか巽君の逝去に紛れてあやうくド忘れするところだったが、本書を手にとって5月に死んだ加藤典洋氏のことを思い出した。

彼は私の友人カド君が、かつて国会図書館に勤務していた時の同僚で、カド君が誘ってくれた若杉弘指揮都響によるブラームスの交響曲のコンサートで同席したのが初めての出会いだった。

カド君は彼がノートに書き殴った「中原中也論」を読んだ(まされた)ことがあるそうだが、本書によれば勿体ない事にその記録は、モントリオール行きの国際便未着によって永久に失われてしまったそうだ。

私は彼から頂戴した処女作「アメリカの影」を読んで大きな衝撃を受けたが、感想と共に戸田ツトム氏の装丁を誉めると、「自分で探して頼んだ」とうれしそうだった。

その後しばらくして、私がJLGに製作を依頼したCMが出来た時、仏語に不調法な私のために作中の登場人物のセリフを邦訳してくれたのが加藤氏で、私はお陰で蓮實重彦編集長から執筆依頼された映画雑誌「リュミエール」の原稿を書くことが出来たのだった。

余談はさておき、氏の遺作となった本書には、彼の父親が干刈あがたと同じく警察官だったので、全共闘時代に絶対に逮捕されたくなかったこと、吉本隆明の「試行」の「情況への発言」の「きわめて精緻かつ丁寧な」元原稿を、過激で乱暴な物言いに「校正」していたのは書誌学者の青山毅であったとか、思いがけない発見もある。

これまで知ることのなかった彼の来歴、懐かしい幼少時の思い出や心温まるこぼれ話が随所に散りばめられており、他の格調高い著作とはおのずから違った側面を窺うことができて楽しいが、読むほどにその早すぎた逝去が惜しまれてならない一冊である。



 知らぬ間に大人になりし後藤久美子ゴクミに似たる娘生みたり 蝶人
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