あまでうす日記

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夏目漱石全集第23巻「書簡 中」を読んで

2019-12-14 11:29:07 | Weblog


照る日曇る日 第1323回

明治40年から大正元年までの全部の書簡を収めている。いやあそれにしても「毎日のように手紙をよく書くことよ。当時の東京ではなんでも1日に5回くらい配達があったそうだから、漱石はそれを今のネットやSNSのようにフルに活用して友人知己との交流を図っていたのである。

「日記」もそうだが、これを順を追って読んでいくと、朝日新聞社入りも「虞美人草」「三四郎」「それから」の執筆も、修善寺大患も、博士号辞退も、最愛のひな子の突然死も、それを「雨の降る日」に書きこんだ「彼岸過迄」の執筆も、当時の漱石の仕事や暮らしぶりが生き生きと立ちあがってくるようで、まことに興味が尽きない。

文芸欄の開設に尽力しながら悪童森田草平の阿呆莫迦騒動のせいで朝日新聞を辞め、間もなく早世した池辺三山の後ろ姿も懐かしい。

ひな子が突然死した雨の日にたまたま早稲田南町を訪れていた中村古峡は、漱石の推挽で朝日に小説を連載しているが、昭和12年の秋に死んだ中原中也が精神を病み、しばらく身を寄せた千葉の病院を経営していたのがこの古峡だった。

漱石は療養中の小説の校正を林原耕三に委ねているが、これを極貧の石川啄木に依頼するという道もあったろう。渋川玄耳などにそういう提案ができなかったものかしら。

   格下にとめどなく負ける錦織を己のごとく哀れに思う 蝶人

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