照る日曇る日 第1906回
「谷の風」と書いて「やとの風」と読ませているから、これは鎌倉在住の人。和紙専門店「社頭」の女主人による「かまくら小町の春秋」記である。
「社頭」は喧騒只ならぬ小町通りのど真ん中にあったお洒落な趣味の銘店であったが、数年前に同じ鎌倉のどこかに移転していったが、本書の著者は引退され、いまは娘さんが跡を継いでおられるらしい。
もっとも著者は大正10年生まれなので、もしかすると?という気もするが、確認できなかった。さて本書であるが、半世紀前の閑静な小町通り界隈の思い出や、横光利一を師と仰ぐ作家でアナーキスト詩人でもあった夫菊岡久利(1909年~70年)にまつわる書画骨董の逸話などが満載で、まことに興味深い。
敗戦直後の鎌倉は、現在の国宝級、いなのちに国宝に認定された大雅や鉄斎や光琳や「のんこうの茶碗」などがむさくるしい骨董屋の店先に無造作に並んでいて、久利は毎日のように川端康成と一緒にそれらを物色しては買い込んでいたそうである。
驚くべきは川端の無欲恬淡ぶりで、久利が康成の手に在る光悦の書状を見て激賞すると「そうですか、じゃあ奥さんにあげましょう」といってくれてしまうのだが、久利自身も宋旦の「ふくべ花入」や中国伝来の美しい壺を、詩人高橋新吉の結婚祝いに惜しげもなく呉れてしまうのである。
結局菊岡家には何ひとつ銘品は残らなかった訳だが、のちに日本画家の小倉遊亀の家で久し振りに光悦の書を見た著者は「私はうれしく、心が豊かになった」と記すのだから叶わない。
猿之助よ記者会見をすぐ開き何かあったか明らかにせよ 蝶人