倉本一宏全現代語訳・藤原道長「御堂関白記下」を読んで
照る日曇る日 第2138回
人の命はまことに果敢ない。望月の欠けたることもないと恥ずかしげもなく自画自賛し、「一家三后」という前人未到空前絶後の栄華栄光を極めつくした藤原道長も、胸と目の病が亢進し、万寿4(1027)年、62歳にしてついに命終した。
脚本家の自儘な妄想を毎週展開している公凶放送の大河ドラマにつられて読み始めた本書であったが、あとがきを見ると著者は「御堂関白記」を読んで31年、この1年間というものの朝から晩まで毎日本書を通読しながら現代日本語に翻訳されたということを知って、学者の仕事の空恐ろしさに瞠目した次第である。
それで今回は下巻の感想文を認めるのはよして、この「あとがき」の中で印象に残った点をメモしておきたいと思う。
まず道長の文章であるが、その直筆を写真で見ても分かる通りじつに雄渾で大胆不敵。他人に見せるためではなく、完全に自分自身の覚えとしてその日その日の感興に任せて書きているから、ある意味では個性豊かな書き殴りにも見えるが、倉本氏は「本気で綺麗に書こうと思えば書けた」と証言されている。
あくまでも自分自身のために書いているから、自分に都合の悪いこと、書きたくないこと、例えば三条帝との不快な交渉事なんかは沈黙を守っている。それはそうだろう。
また道長は「作文(さくもん)好き」だったが、それは自分流に漢文、漢詩を弁妙しているうちに、だんだん上達してきたのではないか。
雨に対する記述がやたら多いが、それは民草の豊作を願っているからではなく、自分の体調が悪くなるので気にしているからのようだ。それから最晩年は毎日やたら写経をしているが、どうやら道長は本気で神仏を信心していたようだ。
とか、とか。
「ラズモフスキー第3番」の高揚を追体験する生きるよろこび 蝶人