今井聡著「ただごと歌百十首 奥村晃作のうた」を読んで
照る日曇る日 第2142回
奥村短歌とは「ただごと歌」であり、これについて奥村自身は「短歌は感動の器なり。最も些細な感動は〈気付き・発見・認識〉なり。〈ナルホドなあ〉と納得の世界なり。」とツイッターでつぶやいている。
そして本書は、そんな奥村晃作の弟子を自他ともに許す歌人の手になる出色の評論集であり、奥村20代の「三齡幼虫」の「くろがねの光れる胸の厚くして鏡の中のわれを憎めり」から始まって、80代の「蜘蛛の糸」の「今迄と何かが違う何だろう最終歌集を編まんと思う」まで、恩師の全作品の中から選び抜いた百十首に食らいつき、舐めるように、愛玩するように評している。
どの歌集のどの作品を取り上げてもいいのだが、例えば、奥村の第4歌集「父さんのうた」には、2つの別れがあると著者はいう。恩師宮柊二、そして愛犬プッキーとの永訣である。
脳血栓の御血の跡が黒く染む宮先生の頭骨内壁
という冷厳な観察の歌に対比させられるのは、宮柊二の
左前頸部左䪼顬部穿透性貫通銃創と既に意識なき君がこと誌す
という超リアルな、しかし情の籠った挽歌であり、この2首からは恩師相伝のただごと歌の淵源の残響が伝わってくる。
水さへも飲まずにわれを見つめゐしブッキーは別れを告げてゐたのだ
よろよろと立ち上がり妻の腕に倒れ一声長鳴きて果てゆきしなり
こういう万感胸に迫る哀歌も、また「ただごと歌」の本領なのだ。
著者は、このように生きものや小さな植物を詠む奥村の歌は、独自の光彩を放っていると指摘し、ここでも師と弟子の2つの短歌を挙げている。
春晩く五月のきたる我が郷や木々緑金に芽ぶきわたれる 宮柊二
緑金の背美しきコガネムシ葉に載って食うヒメリンゴの葉を 奥村晃作「ビビッと動く」
そして著者は、「ただごと歌」のありようは第17歌集の「八十一の春」あたりから微妙に変化していったと述べ、例えば
大きな雲大きな雲と言うけれど曇天を大きな雲とは言わぬ
も、気づきと認識の歌であるには違いないけれど、往年の鋭さが影をひそめ、「老年の作者の目が見、感じたままに提示する歌に変わった」と鋭く指摘している。
しかしこの歌を、著者が奥村の「滾血の時間」と位置付ける若き日の第9歌集「キケンの水位」の
どこまでも空かと思い、結局は 地上すれすれまで空である
を2首で一対の作品ととらえ、蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」や、柿本人麻呂の「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」とは東西南北とベクトルを違えても、全地球的規模の壮大な「ただごと歌」を最晩年に創造したと考えることも許されるのではないだろうか。
いずれにしても私たちは、奥村短歌を読めば読むほど、その年齢を感じさせない旺盛な好奇心と行動力を心臓部で支えている“不滅の生命力の発露”に心打たれるのである。
ダンボール2個分の柿を食べ尽くしかの正岡子規になりたる気分 蝶人