照る日曇る日 第2139回
すでに岩波文庫から本書の抄訳の「終戦日記一九四五」が同じ訳者で出版されているそうだが、そんなこととは知らないで反ナチの反戦主義の民主主義者の手記かと思って読んでいたら、このひと、けっこう半ナチの愛国民族主義者なので驚いた。
トーマス・マンをはじめ、心ある反ナチの文学者や芸術関係者は続々と所謂海外の民主主義国に亡命しているのに、その機会も時間も資金もあったケストナーのような人物が、母国の成り行きを最後まで見届けると称して、結局ずるずると第三帝国の敗戦まで母国と隣国スイスに滞在しつづけた本当の理由は、最後まで分からなかった。
はしなくも思い出したのはヒトラーの誕生日だけではなく、戦うドイツ国民のために最後まで奉仕したいと称してヒムラーから逮捕命令が出される45年2月までベートーヴェンやワーグナーを演奏し続けたフルトヴェングラーだが、ケストナーという人物はフルヴェンよりもナチスと習合していたと思われる。
その証拠が、本書と「終戦日記一九四五」との食い違いである。ケストナーはこの日記を書き始める理由を「戦時下の日常で起きた重要なことを忘れないために書く」と1941年1月16日に記し、以下第3帝国でのナチの施策や空襲などの日常生活をありのままに書き綴っており、だから読者は、彼が必ずしもコテコテの反ナチではなく、いわば愛国的半ナチという印象を懐いたりするわけだ。
ところが1961年に公刊された「終戦日記一九四五」の序文は、「この日記は、将来書く予定の長編小説のために書かれた」と宣言され、みずからを「第三帝国内の反ナチの少数者」という位置づけに巧みにすり替えてしまっている。
これがあの「飛ぶ教室」の作家のすることなのかと思うと、そぞろ肌寒いものがあるが、戦乱の世にあって生き延びるためには、イデオロギーなどくそくらえという生活第一、いな生命第一の処世術を、いったい誰が否定できようかとも思うのである。
2024年は漢字一語で何になる妻は「暑」なりわれは「空」なり 蝶人