あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

東山彰良著「流」を読んで

2016-03-16 15:49:46 | Weblog


照る日曇る日第852回

台湾に生まれて台北で過ごし9歳で日本に移住した変わり種の血沸き肉踊る一大歴史変遷人間惑乱&世紀の悲恋物語ずら。題材とプロットが大きく、それなりに造型が魅力的に描かれているので直木賞を受賞したのだろう。

中国からやってきた外省人と台湾固有の人々、国民党と共産党の骨肉の争いを描いて、義理人情でたまたまそれらの党派に属しただけなのに無慈悲に殺戮しあったと総括しているくだりには驚かされるが、この感覚は大陸的というかちょっと日本にはないものだと思った。

祖父を殺した犯人捜しを軸に据えたお噺はミステリーとしても面白いしクライマックスは映画のように盛り上がるが、文章自体は微妙なところで日本人の日本語とは異なっているのが欠点。中国語か英語で書かれたものを優れた翻訳者の日本語で読みたかった。

  願わくばテレビの取扱説明書を返してたもれ神隠しの神よ 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イングマール・ベルイマン監督の「第七の封印」をみて

2016-03-15 11:49:22 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.993



時はペストが蔓延し誰もが最期の日は近いと暗い予感におびえる北欧の中世。

「そろそろお前の番だ」というてお迎えに来た悪魔を、まだ生に未練のある元十字軍兵士が、「ちょっと待ってくれ。俺はまだ此の世に未練がある。チェスで勝負をつけようじゃないか」と提案し、ゲーム好きの悪魔がそれに乗るのが愉快である。

そしてついに悪魔の魔手におちる者と、まだほんの一時は生きる喜びに浸れる者との対比が、あざやかにまなうらに刻まれて映画は終わる。

ヨハネの黙示録の当該の箇所の映画化ではないが、なんという神話的幻想的超現実的な映像が次々に繰り広げられることだろう。登場する役者のすべてが素晴らしい!

聖書を読むよりもリアルに神と悪魔の存在がかんじとれるような玄妙な実存宗教映画である。


世間では「どうしようもない子」と言われてるその「どうしようもなさ」を抱きしめてやる 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アン・リー監督の「ライフ・オブ・パイ」をみて

2016-03-14 11:00:17 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.992


 特撮を駆使しても噺につじつまが合わないところがあるのはこの原作自体が事実ではないからだろう。

 あんな小さい船に凶暴な虎と一緒にいたらすぐに喰い殺されるはずずら。

 それでもまさかめ映画として成立しているのは、神と大自然と動物と人間を同じ地平、ここでは水平線上に並べたがっているからだろう。


   生きてなお完成の日を望むなく八方破れの明暗道を歩みけり 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村上龍著「オールド・テロリスト」を読んで

2016-03-13 09:56:50 | Weblog


照る日曇る日第851回



 後期高齢者の元気な老人たちが、腐敗堕落したこの国を一変させるために、テロをも辞さず立ち上がるという勇ましい話だが、その中に棺桶に片足入れた下流老人の私なんかが加入していないことだけは疑いない。

 村上選手などはまだ少し若いし、金も元気もあるから、そんな話を夢中になって物語れるのだろう。

 思うに小説というものは、具体的な事実(リアル)、それなりに衝撃的な社会的経済的政治的事実をいくらアマルガムのように溶接していってもリアルの糞溜めに過ぎない。

 それらの事実と遊離した宙空に、ひとつの効果的な「虚点」(例えば彼のライバルの春樹選手における月やリトル・ピープルなど)を設定し、それらと有機的に結線しなければ、ついにロケットになって物語という宇宙に飛翔することはできないのである。

 前の「半島を出よ」と同様、この作品においても村上選手は、膨大な事実や実話の断片をこれでもか、これでもかと読者につきつけ、現代社会の矛盾のただ中で心身ともにボロボロになった主人公やその奇妙な同伴者のヒロイン、そしてオールド・テロリストたちの献身的な大陰謀への共感を促すのだが、さきに述べた「虚点」の設定が欠落しているために、この小説は最後には営々と積み上げてきたリアルすらばらばらに空中分解し、巨大な一篇の漫画的法螺話と成り下がるのである。


 コーヒーにしますか紅茶にしますか自公にしますか自公以外にしますか 蝶人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潮日本古典集成「紫式部日記 紫式部集」を読んで

2016-03-12 10:26:36 | Weblog


照る日曇る日第850回


「あの「源氏」を書いたあなた、ちょっとなんか言いなさいよ」などと道長やまわりの人たちからちょかいを出された挿話をこの日記に書きとめているのを読むと、やっぱり紫式部があの偉大な「源氏物語」の作者なんだなあとしみじみ思う。

 寛弘5年の年末の夜には、中宮の若い女房二人が、強盗に襲われたのか、着衣を奪われて裸体を衆目に晒すという「引き剥ぎ事件」が起こり、現場に駆け付けた式部はそれをしっかりレポートしている。そんな平安朝の生々しいダイアリーなんだ。

 もっと生々しいのはライバルの定子派の清少納言を「したり顔にいみじうはべりける人」と一刀両断しているところ。「さばかりさかしだち、まな(漢字)書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬことおほかり」と続くが、彼女だって男勝りのまな読みだったから、これはちときつすぎる批難ではないかいな。
 
 恐らく彼女は自分と同じかそれ以上に才気煥発インテリだった清少納言をそれがゆえに近親憎悪していたのだろう。

 そして彼女は「そのあだになりぬる人の果て、いかではよくはべらむ」と不吉な予言までしてしまう。

 全体を通じて比較的おとなしいものいいをしていただけに、この激烈さはちと異常であるが、いわでもの呪いを漏らしたがゆえに、式部は夫にあっけなく先立たれ、寂しい晩年を迎えたのではないだろうか。

 彼女が生涯に亘って詠んだ「紫式部集」を繰っていると、そんな邪推と感慨が浮かんでくるのである。


   国よ市よ2時46分に黙祷せよと命ずるな我は我の意思にて祈る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都美術館で「ボッティチェリ展」をみて

2016-03-11 11:00:08 | Weblog


茫洋物見遊山記第198回



 イタリア・ルネサンスの「至高の美」!(本展のキャッチフレーズずら)が20点以上もやってくるというので雨の都美術館へやってまいりました。ここは国立と違って65歳以上のロートルは1000円で入場できるので助かります。

 ボッティチェリといえば、昔フィレンツエのウフィツィ美術館の入り口の狭い狭い部屋の中で「ビーナスの戴冠」と「春」に出会って、こんな夢のように美しい絵がこの世の中にあるのかと仰天し、誰一人観客がこないのを幸い、長い間鑑賞、というより途方もない夢に浸っていたことがありました。

 今回その垂涎の的の名品が来日しなかったのはまことに残念でしたが、群青色が目にしみる端正な「書物の聖母」とか「ラーマ家の東方三博士の礼拝」とか「アペレスの誹謗」など、彼の代表的な作品を数多く鑑賞することができて仕合わせでした。

 その中で特に楽しめたのは、ぬあんと本邦の商社丸紅が所有している「美しきシモネッタ」です。

 当時のフィレンツエ随一の美人を右の横顔から切り取ったこのテンペラ画は、その隣に並んだ左の横顔の美人像と好一対を成す素晴らしい肖像画で、モデルの美貌もさることながら、背景のそら色と織りなすパステルカラーのグラデーションが圧倒的に美しい。

 美女の毛のブロンドや着物の赤、茶といった効き色を浮きだすために、バックには様々な彩度の渋い灰色を、窓枠に切り取られた空の色(一方は朝の空、他方は夕べの色!)に使っているのですが、考え抜かれた色彩設計に限りなく魅了され、時の経つのも忘れるほどでしたなあ。

「ビーナスの戴冠」や「春」の華麗な色彩の饗宴とは異なったボッティチェリの知られざる美と出会うことができた展覧会でした。


 「お母さん今日は車で迎えに来てくださいね」5年前の記憶生々し施設の息子 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国立西洋美術館で「カラヴァッジョ展」をみて

2016-03-10 11:31:41 | Weblog


茫洋物見遊山記第197回

 天気が悪い平日ならそれほど混まないと思って桜にはまだ早い上野の森に駆けつけ、どうしても観たかったカラヴァッジョの特製11点をとっくり鑑賞いたしました。

 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1751-1610)、略してカラヴァッジョは、我が国の信長から家康の戦国時代、世界史ではルネサンス期の終りにイタリアで活躍した乱暴者の天才絵描きです。

 乱暴過ぎて血気にはやり、喧嘩で人殺しをしてローマから逃亡しながら、それでも絵筆を離さなかったそうですが、そのリアルな描写と光と影が交錯する劇的な表現力は、彼の後に続くバロック絵画の巨匠、例えばルーベンス、ベラスケスなんかよりも遥かに斬新です。

 この展覧会の目玉は、世界初公開の「法悦のマグダラのマリア」でしょう。
 首をのけぞらせて目を閉じたマリアの蒼ざめた顔にはひとすじの涙が流れていますが、半開きになった口から洩れる甘いためいきが、果たして題名通りの「法悦」なのか、はたまた元娼婦の性的エクスタシーなのかはかなり判断に迷うところです。

 カラヴァッジョはこの絵を法王に進呈し、彼が犯した殺人の罪を許してもらおうとローマへの旅を続けていましたが、その途次、38歳の若さで熱病で急逝しました。 

 けれども、もし実際にローマ法王がこの絵を見たら、もしかすると赦免するどころか神聖冒涜罪で牢に入れたかも知れませんね。

 1602年に描かれた「洗礼者聖ヨハネ」の構図は、驚くべき大胆さです。
 カラヴァッジョはヨハネが身体を大きく右に倒そうとしているまさにその瞬間をストップモーションでとらえているので、若きヨハネの表情は垂れ下がった前髪に隠れてほとんど読みとることができません。
「エマオの晩餐」とは対照的な動的平衡描法は、写真よりもビデオの映像を先取りしているようなモダンな新しさに満ち満ちています。

 しかし今回私が全作品中でいちばん気に入ったのは、展覧会の冒頭で登場する初期の作品「女占い師」でした。
 愛らしい女占い師は占いをするのを忘れてイケメン騎士の手を取りながら、「もしこの人が恋人だったらどんなに幸福だろう」といいたげにダンデイな騎士の顔をのぞきこんでいます。 

 この時カラヴァッジョは、若い二人のために地球の回転を止め、流れ過ぎる時間をエイヤっと止めてしまったのでした。


   時は今芳しき恋の花々咲き乱れ三千世界は君たちのもの 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セルジオ・カステレット監督・主演の「赤いアモーレ」をみて

2016-03-08 11:34:51 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.991


 ペネロペ・クルスがヒロインとなって監督・主演のセルジオ・カステレットと繰り広げる切るに切れない愛憎のもつれ物語い。

 イタリア映画には昔からトイレで用を足している女をそのまま見せるレアリズモがあったが、本作にもその残像が感じられてエグイ。


   大雨となりて息子は施設には行かぬという息子よ休め 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カロリーヌ・リンク監督の「名もなきアフリカの地で」をみて

2016-03-07 10:55:41 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.990



 ナチを逃れたユダヤ人親子が異卿の地ケニアで異人に出会い異文化に触れ、さまざまな苦難を乗り越えてドイツへ帰還するまでの苦労話だが、残された家族は強制収容所行きとなる。

あのとき同行していれば助かったと後からは言えるが、ヒトラー台頭の時代にこういう果敢な逃避行に踏み切れた人はほんの一握りだろう。実話ならではのリアリティがあるが映画としてはB級なり。


 ニコラウス・アーノンクール死す八十六異端もいつしか正統に転じて 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マキノ雅弘監督の「日本侠客伝」をみて

2016-03-06 11:32:50 | Weblog


闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.989

勝ち誇る極悪に対して忍耐の限りを尽くした正義の味方が最後に実力行使するてふ生理的快感、暴に対して暴で酬いる快感が健さんをヒーローに祭り上げた侠客映画の定石だが、映画から限りなく遠ざかって考えてみると、こういう対抗暴力の無限連鎖からはいかなる平和ももたらされないことはラストに漂う虚無と無常観からも自明であるだろうに、映画も現実もその不毛の円弧を閉じようとはしないし、南田洋子扮する木場芸者との落とし前をつけないで殴りこんだ健さんは脚本の手ぬかりとはいえ再び網走番外地に収監されても終生悔みに悔むだろうな。

  わが家でも猫を一匹飼っているすぐネコになる私の背中 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏目漱石の「門」を読んで

2016-03-05 11:00:59 | Weblog


照る日曇る日第849回


新聞で小説を連載するのは大変な仕事だろう。いちおうおおまかな構成とプロットを立てた上で、毎日何枚かを書いていくわけだが、その短い中にも小説全体を通底する「核」とその回における「山」がなければ読者は退屈してしまう。

「門」は「三四郎」「それから」に続くビルダングスロマンという「核」こそあったものの、「門」というタイトルだって自分がつけたものではなかったところをみると、恐らく連載開始前に確固たるプロットが完成していたわけではないだろう。

「門」という表題をみて若き日の参禅体験を思い出し、終了間際に円覚寺帰源院の「父母未生以前」の挿話で「序・破・急」の急のクライマックスを盛り上げただけの話で、執筆技法の基盤をなしているのは相変わらずの“取って出し”であることは明らかである。

 しかし本作では、漱石の “取って出し”はほとんど落語の名人芸の域に達し、さながらショパンの即興曲、あるいはモザールの協奏曲のピアノの即興演奏を聴かされているような趣である。「三四郎」「それから」に続く本作において、漱石は初めて一流の職業作家になったというても過言ではないだろう。

 ところで車谷長吉は、その遺稿集「蟲息山房から」において、「日本の作家の中で一番借金の返済に苦慮したのは、恐らく漱石だろう」と書いている。「愛の人」漱石は、そうしようと思えば出来たにもかかわらず「悪妻」鏡子を離縁せず、義父中根重一の莫大な負債を引き受け、そのために当時の日本で最も実入りの良い就職先、朝日新聞社を選び、どんな小説でもよいから書いて書いて書きまくろうと決意した。

 極言すれば、彼には小説や藝術よりも、天文学的負債を返済するための朝日の年俸2800円だけが大事だったのである。

 そのためにはショパンやモザールのような即興的な“諸事万端取って出し即接着アマルガム”手法が打ってつけで、この大量生産システムは傑作「彼岸過迄」において最高の達成をしめしたが、それ以降は借財返済の心身両面のプレッシャーが一気に増大したこともあって、サーカスの曲芸的軽業はもはや駆使できなくなった。

「行人」「道草」の重厚沈鬱は天与の翼を喪失した凡人作家の死に物狂いの孤軍奮闘を物語っているが、未完の大作「明暗」の地下部を滔々と流れる奇妙な平明さはいったい何だろう。

 迫りくる死を直覚した漱石は、この小説の最期を見届けることはできないと知り、それが負債返却の最良最短の道であることだけを心の支えに、もはやあらゆるプロットを放棄しつつ、涎を垂れ流す盲目の雄牛のように、ひたすら無心に物語を書き進めた。最後の長編「明暗」は、当初からもはや小説としての完成を目指していなかった、というのが私の仮説である。

 彼のたった49年の作家人生の主題が、義理ある人の借財の弁償に尽きたとするならば、このような自己放下の境地を「即天去私」と呼ぶのは、必ずしも間違いではないだろう。


  ひたすらに暗き夜道を辿りゆく遥か彼方の明かり目指して 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車谷長吉遺稿集「蟲息山房から」を読んで

2016-03-04 11:47:56 | Weblog


照る日曇る日第848回

昨年5月17日、誤嚥によ窒息死で還暦を目前に急死した車谷長吉、本名嘉彦の遺稿集です。

5本の短編小説、9本の随筆、さまざまな俳句と連句、3つの対談と鼎談、4つのインタビュー、脳と指のためのリハビリ日記で構成されたまあ寄せ集めの「置きみやげ」ですが、愛妻高橋順子のあとがきと詳細な年譜も付されており、長吉ファンには逃せぬ1冊でしょう。

個人的には「和辻哲郎の苦悩」と「借金」というタイトルの2つのエッセイがなぜだか胸に刺さりました。若き日の和辻は嫁はんから同じ哲学者の阿部次郎と出来ていることを告白されて懊悩して都落ち、嫁はんを連れて奈良の寺を歩いてあの「古寺巡礼」が出来たそうです。鵠沼の離れに住んでいた糞真面目な新カント派の「三太郎の日記」の著者が人妻に手を出すとはなあ。

もうひとつの「借金」は夏目漱石の借金です。

妻鏡子の父親で貴族院書記官長の中根重一が商品先物取引に失敗。漱石は鏡子を追い返そうとしたが彼女は屋敷を失った実家から戻ってきて置いて下さいと頼みこむ。漱石は数億円の借金を抱え込んだ。彼の当時の給料は年間1860円だったが、それだけでは到底返済できない。ちょうどその時作家漱石に目をつけた朝日新聞が読売新聞が年収2800円を提示したので、(読売はたったの900円!)漱石は渡りに船と朝日に入り、以後10年間死ぬまで義父のために小説を書き飛ばしながら莫大な負債を支払い続けた。

漱石が未完の遺作「明暗」を完成させることなく泉下の人となったとき、借金は相当減ったけれどまだ残っていて、弟子の岩波茂雄が「漱石全集」を刊行して返済に尽力したが、完済したのは漱石死後10年余が過ぎた頃だったというのです。

そして車谷長吉はこの短いエッセイを次のように結んでいます。

「中根重一の借金を引き受けなければ、金之助は恐らく帝大の英文学教授として長寿を全うしただろう。漱石が「愛の人」であると言われる所以である。」


  妻のため義父のために身を捧ぐ義理に生き愛に死したり夏目漱石 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにゆえに第24回~西暦2016年如月蝶人花鳥風月狂歌三昧

2016-03-03 11:51:30 | Weblog

ある晴れた日に 第365回


なにゆえにマーラーの二番を二枚組にするCD一枚に収められるのに

なにゆえに「元気を貰いました」などと軽々にいう元気は己が湧かすもの

なにゆえに公明党員は自宅にポスターを張る参院選にもう夢中

なにゆえにベンチャーズは便々と弾いているそれよりほかにやることないので

なにゆえに57577を指折り数えている定型とはラアラアラアと歌う音

なにゆえに憲法改悪など知らん顔で清原なんぞに目の色を変える日本人

なにゆえにラスキーヌのハープを大本営発表が断ち切る安倍蚤糞の戦争訓練

なにゆえに歯磨き粉をどんどん買いこむ無くなることを常に恐れて

なにゆえに君は色鉛筆をどんどん買いこむ色の世界に果てしなく溺れて

なにゆえに絶滅危惧種などと澄ましこんでいる追い込んだのは人間なのに

なにゆえに和式トイレと追い炊きなしの下宿に住んでいる立派な絵描きになるために

なにゆえに自民党若手議員はアホバカ議員下下下の下ばかりを選んでいるので

なにゆえにスピーカの修理は馬鹿高いこれでは新品を買うたほうが安い

なにゆえに軽減税率のしわ寄せが社会福祉に来るいい加減にしろ安倍蚤糞

なにゆえにまともな番組がどんどん消えるやがて全局阿呆莫迦バラエテイ

なにゆえに外付けHDDに録画できないレコーダーが悪いのかHDDのせいなのか

なにゆえに遠野なぎ子は毒女になった遠野凪子には戻れないのか

なにゆえに木曜日に息子は荒れ狂う木曜日には鬼が出るのか

なにゆえにそれでも健気に生きている安倍蚤糞の瓦解を見たくて

なにゆえに酔いどれ船は激しく揺れる気狂い船頭が舵取るゆえに

なにゆえにパソコンは時ならぬ時にぶっこわれる人智の限りを思い知らせるべく

なにゆえにリヒテルの20番は寡黙なのかモザールのために弾いているので

なにゆえに安倍蚤糞から出馬する障がいの息子を持つという人気歌手

なにゆえに引越し代が急騰する業者がみな足元を見るので

なにゆえにトランプは人気を集めて勝ち進むあれが彼らの本音なので

なにゆえに鳥のさえずりが聴こえないスピーカーのツイーターが壊れたので

なにゆえに暴には暴で酬いるや身を落として動物となる

なにゆえにたまの散歩に雨が降る春雨じゃ濡れてゆこう

なにゆえに死んぢまった人が懐かしい彼らがおいらを呼んでいるので


なにゆえにドナルドはジョーカーを引かないあらゆるトランプを買い占めたので 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべての言葉は通り過ぎてゆく 第32回

2016-03-02 15:51:51 | Weblog


西暦2016年如月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 226


以前東京新聞の歌壇の老選者が、現代口語で応募した人の作品を勝手に文語に直して特選とし、「どうです、これで格調高い短歌になったでしょう」なる評語を添えていたが、こういうのをいと腹だたしうこちたきわざ、要らぬお節介というのだ。2/1

甘利選手の「政治と金」問題では、本人と首相の任命責任を徹底的に追及する必要があるにもかかわらず、直後の安倍内閣の支持率が上昇しているのはあまりにも酷過ぎる。日本人は真正の阿呆莫迦者にあらずや?2/2

安倍蚤糞が本気で憲法改悪を宣言しているというのに、能天気な人々は相も変わらずスマップやらゲス&ベッキーやら清原問題とやらにうつつを抜かしている。実はそんなこたあどうでもいいのに。2/4

死はNothing である。生は、兎に角Somethingである。たとへいか程苦しくともNothingよりSomethingの方がいいに違ひない。谷崎潤一郎「「異端者の悲しみ」の「はしがき」」

オーレル・ニコレ、スイスのヌーシャテルに死す90歳。この人の現代音楽作品の演奏を収めたLPレコードを愛聴したものだが、あの古いレコード、どこへ迷いこんでしまったのだろう。2/5

シカトするのが一番なのに、まるで大本営の発表みたいにワンワン騒いで北朝鮮の思う壷に入ってる。これも安倍蚤糞の戦争準備の一環ずら。2/7

NHKの「覆面リサーチボス潜入」という番組が気になる。企業のトップが変装して従業員が働く現場に潜入し、後で水戸黄門のように正体を明かして問題点を解決したり表彰したりするというのだが、これって社員に対するスパイ行為だよね。2/8

私企業のトップが労働現場の実情と問題点を把握し、その対策を講じるのは当然のことだが、それをなんでテレビを通じて一般への見世物にしながら実施する必要があるのか。そもそも「皆様のNHK」は特定企業の宣伝は行わない唯一の「公共」放送局ではないのか。2/8

言論の自由を抑圧する権利は、電波法にも鬼面人を驚かす面妖大臣にもない。2/10

元サントリー宣伝部の鈴木理雄さんと元日本総天然色の高杉治朗さんが亡くなっていたことを昨日はじめて知った。在りし日の彼らを偲んで今日は静かに過ごそう。2/11

婆佐羅と号して専ら過差を好み、綾羅錦繍・精好銀剣・風流服飾、目を驚かさざるなし。「建永式目」2/11

「跳ねば跳ね、踊らば踊れ春駒の 法の道をば知る人ぞ知る」 一遍上人2/11

民草のなけなしの貯蓄の最低金利すら奪い去っておきながら、「大丈夫、大丈プリン」などととほざいている安倍蚤糞を、阿呆莫迦自公以外の誰が信用できるというのか。2/14

写真の意義とは、我われが生きている、あるいは生きていた気配を写し取ることだ。それが写っているかいないかは別として。2/14

武満徹が死んでもう20年も経つとは知らなかった。奥さんも同じ歳に亡くなっているんだ。あのご夫婦は東京文化会館などでよくお見かけしたが、とても仲が良さそうだった。ひところNHKのクラシック番組の解説をしていた娘さんはどうしているのかしら。

岩城宏之指揮東京コンサーツの演奏で聴く武満徹のテレビドラマ「波の盆」の主題歌ほど泣かせる名曲はない。2/15

谷川俊太郎の「とおく」という詩に武満徹が曲をつけた「系図~Family Tree」という作品は、若き日の遠野凪子の朗読とともに終生忘れがたい。凡庸なN響を、凡庸なシャルル・デュトワが振ったにもかかわらず。2/16

空想に生きる者のみが藝術家たり得る資格があるのである。藝術家の空想が、いかに自然を離れて居ようとも、それが作家の頭の中に生きて動いて居る力である限り、空想も亦自然界の現象と同じく真実の一つではないか。谷崎潤一郎2/18

桃花流水 杳然去
油碧香車 不再逢  by徐蘭修2/18

笊から水がどんどん漏れるので、いくら上から注ぎ込んでもおいつかないや。2/21

帽子というものは、晴天でなくても帽子を被るかぶっていないと、不安になるものだ。もしかすると天皇制の根っこは、そんなところに潜んでいるのかも知れないな。2/22

オーケストラ・スコアを書き写すのは、すばらしい練習である。あなたはただ単に読んでいる時よりもはっきりと、自分が書いているものを<聴く>のだ。シャルル・ミュンシュ「指揮者という仕事」2/23

ひと頃は円が80円くらいだったから、安倍蚤糞が登場してからというものは110円台まで急騰したから、好きなCDの大人買いがてんでできなくなった。あれからずっと景気は悪くなるばかりだ。2/23

あたし? あたしは生まれてこのかた、ずっとローパーさ。byシンディ・ローパー2/23

聴覚障がいの息子を持つ歌手が、今度の参院選に出るそうだ。障がい者の親として支援してあげたいところだが、なんで弱者に最も冷酷な安倍自民党から出馬するのか分からない。2/24

私は総譜を暗譜することを要求はしなかった。レイナルド・アーンが書いたように「コンサートに来るのは音楽に感歎するためであって、指揮者の記憶力に感歎するためではない」。シャルル・ミュンシュ「指揮者という仕事」

オーケストラの指揮にはスポーツ的な面があるので、私は体操することが必要だと思う。指揮者は、この本来霊感を吹きこまれた存在であり、詩人である者は、想像以上に神経と筋肉との釣り合いを必要とするのである。シャルル・ミュンシュ「指揮者という仕事」

オーケストラは一個大隊である。これを指揮したいと思う前に、その心理を深く理解していなければならない。シャルル・ミュンシュ「指揮者という仕事」

リヒアルト・シュトラウスの父親は有名なホルン奏者だったが、「我われはあなたが指揮台に上がり、指揮棒を手に取るより前に、主人はあなたなのか我われなのか、もう知っています」と語っていた。シャルル・ミュンシュ「指揮者という仕事」


  ほらごらん太平洋旅行社のバスが鎌倉街道を駈け抜けた 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢は第2の人生である 第31回

2016-03-01 11:27:39 | Weblog


西暦2015年水無月蝶人酔生夢死幾百夜


私が勤務している会社は、地道に米を販売する地味な会社なのに、社長がとつぜんとち狂って若者向けの2種類の新製品を発売し、それぞれにマスコット・キャラクターをくっつけて売り込むのだと張り切っている。6/1

しかもその会社の社長は、私にはすでに愛妻があると知りながら、会社の同僚の若い女性を私にくっつけ、一日も早く結婚させようと様々な策謀を巡らせているのだった。6/1

バスの添乗員のおばさんが、さきほどからバスを待たせたままウロウロしているので、訳を聞いたら「モメントを買いたいの」というので「モメントってなに?」と聞いたら、「モメントいう名前のミネラルウオーターです」という。

「そんならこんなところでウロウロしていないで、最寄りの自販機かスーパーかコンビニへ行って早く買いなさい。あんたのお蔭でみんな迷惑しているんだよ」と言ったのだが、
バスガイドのおばさんは、相変わらずそこらをウロウロしているのだった。6/2

正月3日、神君家康公の天下太平を祈念して、俺たち6人の船乗りが波高き江戸湾に乗り出したが、無数の宝船があたりを埋め尽くし、足の踏み場もない大混雑じゃった。6/3

ごろつき政権になってからというものは、貧富の差はますます甚だしくなり、富裕層はもはや普通の日本語をやめて、世界の富裕層にも通用するフユウ語、すなわち新たに改定されたネオエスペラント語を使用するようになった。6/4

絶大な人気を誇るその流行作家は、講演と読者サービスを行うことになっていた当日のイベントに無断で欠席したのみならず、それっきり私たちの前からぷっつりと姿を消してしまった。6/5

あの美貌の誉れ高き高等娼婦を、幕末明治の革命家たちが誰ひとりものにできなかったことが、その後のこの国の歴史のついに咲かなかった薔薇の蕾のごとき存在になってしまったことを、私だけが知っていた。6/6

葉山の御用邸の近くに住む画家に招かれて、彼のアトリエ兼別荘のあちこちに飾られた作品を見物した。ベランダに置かれた1枚では、金髪の少女がボートに乗って逆巻く海に向かって漕ぎだそうとしていたが、荒波に呑まれてたちまち見えなくなってしまったので、初めて絵ではないと分かった。6/7

空谷の跫音に驚いたのか、ケーブルカーは突如嵐のように前後左右に揺れ動きはじめたので、パニックに陥った私は、指に唾して窓に「HELP!」と書いたのだが、これでは外からは意味不明だと気づき、ではどう書けばいいのかと焦っていた。6/8

京橋駅の改札口で「斎藤さんは?」と尋ねると、切符もぎりの隣にいた人の良さそうな中年のひょろながい男が、「斎藤さんはまだですが、私を覚えていますか?」と答えたので、はていったい誰だろうと考えていると「ワーナーの早川ですよ」と懐かしい声がするのだった。6/9

蒸気機関車が煙を吐きながらホームに滑り込んでくると、愛犬ムクはいきなりひらりとジャンプして、線路の向こうに消えてしまった。急いでその跡を追うと、ムクは国鉄と交差する私鉄の線路を疾走していたので、焦った私はタクシーを摑まえて追いかけた。6/10

今年の「デジタル版ゆく年くる年」の番組製作は「インディーズ青年組合」が担当することになったのだが、そのハイライトとなる歳時記カレンダーの正月号を見たら、31コマのすべてが高島易断の運勢本歴と同じ内容だったので驚いた。6/11

私が絹のように柔らかな寒冷紗で出来た捕虫網をサッと一閃すると、その中にワシントン条約で捕獲が禁止されている色とりどりの貴重な蝶や鳥や昆虫が、どっさり飛びこんできた。6/12

吉田吉雄という今年68歳になる無名のカメラマンに、24カットの写真撮影を依頼した無謀さを後悔し始めていた私だったが、彼が寄越した撮影済みのポジをルーペで覗いた途端、それがまったくの杞憂だったと分かった。6/13

村の長老が、郷土への燃えるような愛を築くために、若者たちのさらなる克己と献身を求めたので、私たちは性器を何度も扱いて俵の中に気を遣った。6/14

村祭りの自由走60キロの部で優勝したのはいいけれど、その御褒美に「村の女性の好きなひとりを一夜自由にしてもいい」と村長から言われて、長らく不能の身の私は、はてどうしたものかと大いにうろたえていた。6/15

どうやらふとしたことからもののはずみで人をあやめてしまったらしい。それなのにおらっちはしらぬかおのはんべいをきめこんでいるらしい。こまった、こまった。いやだ、いやだ。6/16

或る朝目覚めると広場は人で一杯だったが、よく見ると彼らの下半身は一輪車と化していて、「ギュギュギュ、ケチョ、ケチョ、ケチョ」という台湾リスの鳴き声のような、ペダルを踏む異様な物音が鳴り響いていた。6/17

ぼろぼろの船に乗って、ようやくこの小さな港まで辿りついた人々は、航海日誌に船の名前と船舶番号を記入すると、そのまま短い一生を終えてしまうのだった。6/18

「私たち真夜中に峠を越えてこの村にやって来たんですけど、蛍が星の数ほどきらきら輝いていたんですよ」と、その貧しい一家の人たちは興奮さめやらぬ口調で語るのだった。

伊藤忠ふぁっちょんシステムの新ブランド開発会議に♪ラリラリラーンと出席したら、むかしの会社や知り合いの業者の人たちが大勢並んでいて、私がなにかヒジョーニ重要な発言をするのではないかと期待するような表情で注視しているので困ってしまった。6/18

よれよれのまっ黒けの服を着たネズミ男が「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」と歌い始めると、その後から大勢の子どもたちが、「♪ア、ちょっと待ってね、ア、ちょっと待ってね、ソウリのノウリはまっ黒け」と楽しそうに歌いながら歩いていく。6/19 

うちの社長が夜店で買ってきた「経営バイブル」というテープは、映画監督&俳優のクリント・イーストウッドが吹き込んでいるのだが、"Go ahead. Make my day."ばかり連発するので、我われ社員の評判は芳しくなかった。6/20

デモは終わったが、ここはどこだ。チャイナタウンがあったのでNYか? いや巴里かも知れない。どっちでも構わないが、私は山手線の恵比寿辺りに行きたいので、電車もバスも走っていない入り組んだ路地から路地へとひたすら歩き続けたが、誰も見かけなかった。6/21

最近亡くなったその老人には、ざっと数えて103件の偉大な事績があったにもかかわらず、葬儀でそれに触れようとする者は誰一人居なかった。彼の残り少ない遺族ですら。6/22

私は京響指揮者の広上淳一になりきって、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲を夢中で振っていたのだが、どう考えてもかのムラヴィンスキー老には及ばないまでも小澤征爾爺より遥かにましだと思っていた。6/23

「しかし、鯨のシャッポに宣伝ビラをとりつけることについては、このアメリカ人の契約書にはっきり記されているのだから、いくら君が反対しても無駄なことだよ」と私は、もっさりした風貌の菅官房長官そっくりの男に告げた。6/23

確かにCD1枚当たり183円は安いけれど、チャイコフスキーの6枚組はもう既に買ってあるから、そのダブリを勘定に入れると少し割高になる。ではその結果一枚当たりいくらになるか計算しようとして、私は算盤を探し求めた。6/24

夏休みに隣の家に亡きクラウディオ・アバド一家がやって来て、庭でバーベキューなどを楽しんでいるようだが、アバド本人はかつてシカゴ交響楽団と入れたチャイコフスキーをじっと聴いている。もしかすると彼は、チャイコフスキーの再録音を考えているのではないだろうか。6/24

マッチを擦りながらこの有名な海峡にやって来たのだが、ドローン、ドローンと物凄い荒波が立ち騒いでいる。一度飛びこんだら浮いてくる者は誰もいないと聞かされた私は、マッチを擦りながらまた怯んだ。6/25

戦後最大の思想家と称される人物が、「ともかくリーマンを勤めおおせた人はそれだけで一大事を成し遂げた人である」とご託宣を下されるのを聞いた長屋の八っさんや熊さんが、「んなら、おいらだって一大事を成し遂げた人物だあね」と意気込んだ。6/26

宿舎前の花壇があった場所には、この軍団から出陣した若者たちの最後のメッセージが残されていたが、私の二人の息子のものもそこにあった。6/26

私の同僚の兵士が、やはり同僚の女兵士と一般人多数を人質にして、宿舎に立て篭もったので、私は上司からその解放を命じられたのだが、いったいどこから手をつけたらいいのだろう。6/27

右翼と左翼の超過激派が昼すぎから激論を交わし続けて3時になったので、いったい誰がお茶を入れるのだろうとハラハラしながら見守っていたら。竹取の翁がかぐや姫に命じてしずしずと茶碗を運ばせたので。胸をなでおろした。6/27

ずいぶん昔に退職したヨシダ君の作品が、かつての彼の席にまだ置かれていたが、それは「ひと」「とり」と題された小さな彫刻で、今日退職するヤマガタ君は「これを見ながら、何度も涙を流しました」と、私らに別れのスピーチをした。6/28

非常に重い障がいを持つ息子なので、彼がたまたま黄色い泥水の沼に呑みこまれてしまったときにも、このまま天国に召されたほうが彼の仕合わせではないかと思って、すぐには助けに行かなかったのだが、すぐに考えを改め、次の瞬間には全速力で現場に駆け付け、死に瀕した息子を抱き上げたのだった。6/29

ちかごろ叩き上げの大工の棟梁が、東大卒の若い絶世の美女と結婚したのだが、朝な夕なに有頂天になって舞い上がり、以前のように早起きできなくなって、とうとう仕事に支障が出るようになってしまった。6/29


 長男が「ネコ描きます」と言ったので今年のわが家は猫年なんです 蝶人
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする