あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

新潮日本古典集成「紫式部日記 紫式部集」を読んで

2016-03-12 10:26:36 | Weblog


照る日曇る日第850回


「あの「源氏」を書いたあなた、ちょっとなんか言いなさいよ」などと道長やまわりの人たちからちょかいを出された挿話をこの日記に書きとめているのを読むと、やっぱり紫式部があの偉大な「源氏物語」の作者なんだなあとしみじみ思う。

 寛弘5年の年末の夜には、中宮の若い女房二人が、強盗に襲われたのか、着衣を奪われて裸体を衆目に晒すという「引き剥ぎ事件」が起こり、現場に駆け付けた式部はそれをしっかりレポートしている。そんな平安朝の生々しいダイアリーなんだ。

 もっと生々しいのはライバルの定子派の清少納言を「したり顔にいみじうはべりける人」と一刀両断しているところ。「さばかりさかしだち、まな(漢字)書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬことおほかり」と続くが、彼女だって男勝りのまな読みだったから、これはちときつすぎる批難ではないかいな。
 
 恐らく彼女は自分と同じかそれ以上に才気煥発インテリだった清少納言をそれがゆえに近親憎悪していたのだろう。

 そして彼女は「そのあだになりぬる人の果て、いかではよくはべらむ」と不吉な予言までしてしまう。

 全体を通じて比較的おとなしいものいいをしていただけに、この激烈さはちと異常であるが、いわでもの呪いを漏らしたがゆえに、式部は夫にあっけなく先立たれ、寂しい晩年を迎えたのではないだろうか。

 彼女が生涯に亘って詠んだ「紫式部集」を繰っていると、そんな邪推と感慨が浮かんでくるのである。


   国よ市よ2時46分に黙祷せよと命ずるな我は我の意思にて祈る
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