あまでうす日記

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夏目漱石の「門」を読んで

2016-03-05 11:00:59 | Weblog


照る日曇る日第849回


新聞で小説を連載するのは大変な仕事だろう。いちおうおおまかな構成とプロットを立てた上で、毎日何枚かを書いていくわけだが、その短い中にも小説全体を通底する「核」とその回における「山」がなければ読者は退屈してしまう。

「門」は「三四郎」「それから」に続くビルダングスロマンという「核」こそあったものの、「門」というタイトルだって自分がつけたものではなかったところをみると、恐らく連載開始前に確固たるプロットが完成していたわけではないだろう。

「門」という表題をみて若き日の参禅体験を思い出し、終了間際に円覚寺帰源院の「父母未生以前」の挿話で「序・破・急」の急のクライマックスを盛り上げただけの話で、執筆技法の基盤をなしているのは相変わらずの“取って出し”であることは明らかである。

 しかし本作では、漱石の “取って出し”はほとんど落語の名人芸の域に達し、さながらショパンの即興曲、あるいはモザールの協奏曲のピアノの即興演奏を聴かされているような趣である。「三四郎」「それから」に続く本作において、漱石は初めて一流の職業作家になったというても過言ではないだろう。

 ところで車谷長吉は、その遺稿集「蟲息山房から」において、「日本の作家の中で一番借金の返済に苦慮したのは、恐らく漱石だろう」と書いている。「愛の人」漱石は、そうしようと思えば出来たにもかかわらず「悪妻」鏡子を離縁せず、義父中根重一の莫大な負債を引き受け、そのために当時の日本で最も実入りの良い就職先、朝日新聞社を選び、どんな小説でもよいから書いて書いて書きまくろうと決意した。

 極言すれば、彼には小説や藝術よりも、天文学的負債を返済するための朝日の年俸2800円だけが大事だったのである。

 そのためにはショパンやモザールのような即興的な“諸事万端取って出し即接着アマルガム”手法が打ってつけで、この大量生産システムは傑作「彼岸過迄」において最高の達成をしめしたが、それ以降は借財返済の心身両面のプレッシャーが一気に増大したこともあって、サーカスの曲芸的軽業はもはや駆使できなくなった。

「行人」「道草」の重厚沈鬱は天与の翼を喪失した凡人作家の死に物狂いの孤軍奮闘を物語っているが、未完の大作「明暗」の地下部を滔々と流れる奇妙な平明さはいったい何だろう。

 迫りくる死を直覚した漱石は、この小説の最期を見届けることはできないと知り、それが負債返却の最良最短の道であることだけを心の支えに、もはやあらゆるプロットを放棄しつつ、涎を垂れ流す盲目の雄牛のように、ひたすら無心に物語を書き進めた。最後の長編「明暗」は、当初からもはや小説としての完成を目指していなかった、というのが私の仮説である。

 彼のたった49年の作家人生の主題が、義理ある人の借財の弁償に尽きたとするならば、このような自己放下の境地を「即天去私」と呼ぶのは、必ずしも間違いではないだろう。


  ひたすらに暗き夜道を辿りゆく遥か彼方の明かり目指して 蝶人
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