あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

自由律詩歌その14

2017-01-15 09:47:11 | Weblog


ある晴れた日に第425回


あいあいあい

あうあうあう

あえあえあえあ

あおあおあおあ

あかあかあかん

あくあくあく 

あさあさあさあ

あすあすあす

あせあせあっせ

あ、そう

あたあたあたたたた

あちあちあちち

あっあっあっ

あとあとあと

あなあなあなな

あにあねあにあね

あのあのあのの

あはあはあはは

あひあひあひ

あふあふあふふ

あへあへあへ

あほあほあほほ

あまあままあまあ

あみあみあみみ

あむあむあむむ

あめあめあめあめ

あやあやあやや

8月尽尽じじじのじ

   権力と戦う人減りて権力に与して戦う人ばかり 蝶人


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いかにも阿呆莫迦なハリウッド映画2本ずら。

2017-01-14 09:51:21 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1123、1124



○ネイジェル・コール監督の「最後に恋に勝つルール」

同じ飛行機に乗った女の子がトイレに入った男の子にむしゃぶりついてファックして、十年後くらいに元の鞘に収まる話ずら。やれやれ御苦労様。
原題にの「A Lot Like Love」がなんでこういう邦題になるのか不可解。



○トム・ヴォーン監督の「ベガスの恋に勝つルール」

あまりにもしつこいので振った女にまた惚れ直す話だが、しばらくすればまた嫌になるなるんじゃないの。ヒロインのキャメロン・ディアスも馬鹿みたい。こおゆうのが典型的なアホバカハリウッド映画なんだろうね。「恋に勝つルール」なんてサムイ題名を恥ずかしげもなく使うもんだ。



  お、なぜかヤフオクの値下げ交渉が成功したぞよかったヨカッタ 蝶人
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今井義行著「時刻(とき)の、いのり」を読んで

2017-01-13 09:17:51 | Weblog

照る日曇る日 第925回


2011年の秋に出版された110篇の最新詩篇を、一気に読みました。

これらはSNSのミクシィの個人コーナーで立て続けに投稿されていた作品で、私もときどきちらと走り読みをしてはいたのですが、こうしてまとめて拝読すると、あのとき自分はいったいどういう節穴の目を持っていったんだろうと悔やまれます。

立て続けの投稿と書きましたが、例えば2010年4月27日の00:23から16:17にかけて、なんと23篇が矢継ぎ早に投稿されている。それはこの詩集の上辺に時刻がそのままデジタルで印字されているから分かるのですが、実際に数分おきにそれが書かれたのではないにしても、これらの詩篇(今日の詩篇」と題されている)が驚異的な速度で次々に書かれたことは、まず間違いないと思われます。

それらの詩篇の主題は、、例えば紋白蝶であったり、イギリスパンとマーマレードやメリーゴーラウンドであったり、黒豆煮汁やタトゥや蝶番やセックス譚であったり、ベルトや筋肉や作者のパニック障害、全身痙攣、意識喪失、神経性嘔吐、幻覚と幻聴であったり、いわばなんでも来い、の感がするわけですが、この「どんな話柄でもなんでもござれ」の自由自在で融通無碍な感じは、病状六尺に横たわりながら眼前の藤花や脳内の記憶を手当たり次第に吐露する正岡子規の写生句とか短歌、あるいはビリヤードの弾を弄びながら「フィガロの結婚」の序曲を、一音符の誤植もなしに書き下すモザールの天才に、ちょっとばかり似ているのではないでしょうか。

詩を溺愛し、詩を書く状態でありつづけることに唯一の生甲斐を見出している作者こそは、まことに字義通りの「全身全霊詩人」なのですが、それは彼が右手に三菱鉛筆を握りしめて、最初の一行、いな一字を書き下ろすや否や、光源氏に変身した橋本治選手や「平家物語」に出てくる十禅師権現が乗り移った鶴丸のように、純白の原稿用紙を形代として、聖なる詩霊が作者に憑依するからに違いありません。

作者の詩を現代の代表的な抒情詩と称えたり、その稀有な詩境を平成の中原中也に譬えたりする向きもあるようですが、私の印象ではこれは抒情詩と呼ぶよりもむしろ高尚な叙事詩、純乎たる心象詩の境地であり、その多彩にして精妙かつ奥深い表現世界は、明らかにボードレールに通じるものがあると思います。

私は「夢のビーチボーイズ」とか「野垂れ死に」とか「半濁音」、「二度目のこころ」、「聖者」「よろこんでみようよ」「新道」なんかが、嗚呼いいなあ、と思いましたが、そのほかの詩もみんなみんな素晴らしいので、この詩集はふだんあまり現代詩なんか読まない人にお薦めです。

最後のどなたかのインテリの筆になる「解説」は、頭の弱い私にはほとんど意味不明で、個人的には無くもがなでしたが。

窮したるわれの体に祖父小太郎遺愛の聖書を押しつけて助けてやって下さいと祈りし妻よ 蝶人


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岡崎京子著「ハッピィ・ハウス」を読んで

2017-01-12 10:06:42 | Weblog


照る日曇る日 第924回


作者が交通事故に遭う4年前に主婦と生活社の漫画雑誌に連載された13歳の少女の精神的漂流記で、映画やテレビにすれば素晴らしく面白い物語になると思う。

まあ今更ながら家族とか家庭というものはこの1990年代から崩壊しはじめていたこと、ガールの時代が雄々しく始まっていたことが、4半世紀の今日になって改めて確認できる記念碑的な作品である。

いつものことながら岡崎の作品では漫画の背骨に当たる時代精神の新しさや勁さに打たれるが、肝心の絵のデッサンや細部の詰めがいささか甘いので物足りなさを覚える。

この世の中に奇跡というものがあるならば、それが彼女と旧友孝壽聡の上に訪れて、また新作と出会える日がくることを切に願う。


   またしてもヤオフクの入札に敗れてしまったくやしいグヤジイ 蝶人

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マイク・ニコルズ監督の「卒業」をみて

2017-01-11 11:02:10 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1122



「エレーン!エレーン!ベーン!」

劇愛する男(ダスティン・ホフマン)と女(キャサリン・ロス)が、まるで原始林の猛獣のように、お互いの名前を絶叫する教会の結婚式場は、本作のみならず映画史の永遠の記念碑であるが、経済力のない若い二人に、この日この時の「劇愛」が果たしてどれだけ持続できたかをこの映画の中で冒頭より観客に問いかけてもいて、だからこの映画の本当の主人公は最初にクレジットされているミセス・ロビンソンなのであって海の者とも山の者ともつかない若い2人では断じてないのである。

しかしアン・バンクロフトって色っぽいね。

 水洗いして一度縮んだらもう縮まないと思ってたらどんどん縮むんだウールの赤いセーター 蝶人
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2002年青林工藝舎刊・つげ義春作品集「ねじ式」を読んで

2017-01-10 11:01:09 | Weblog


照る日曇る日 第924回


つい最近むかしCMの仕事でご一緒したことのある根津甚八選手が亡くなった。なんとなく顔つきに翳がある人で、さぞや暗い人生を送っているのではないか、と勝手に思わしめるところもあって、そんな彼をマネージメントとしていた女性も含めて好きだった。

私が書いたナレーションを、何種類かの喋り方で録音するのだが、「テイク3を頂きます」と伝えると、スタジオにいるそれに同意した彼の、いかにも楽しげな、しかし声に出さないくすんだ笑顔が編集室の窓の向こうにちらと見えて、なぜか懐かしい想いに囚われたものだ。

そんな翳り、そんな懐かしさが、つげ義春のどんな作品にも漂っている。
いくら安倍蚤糞が「1億総活躍社会」を絶叫しても、生まれながらにそのような積極的な生き方が出来ない退嬰的な人間はごまんいるもので、つげとその作品に登場する人物はその代表選手であるといえよう。

この世に1匹の動物として生まれてきた我われの人生に、意味なんかある訳がない。無理矢理そのように教えられ、そのように振る舞おうとしても、所詮は虚しい物語に過ぎない。人生から公的な意味を、人間からいっさいの用を剥ぎ取った動物が、父母未生以前の幻影を楽しめるミニ・シアターのような場所、陽のあたる場所から限りなく後退に後退を重ねることによってかろうじて手に入れた安住の地、それが現在もなお79歳の天然記念物のように生存し続けているつげ義春の世界である。


   お客さんドダメルの指揮のどこがいい具体的に言うてみなはれ 蝶人

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ヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン 天使の詩」をみて

2017-01-09 11:02:33 | Weblog


闇にまぎれて tyojin cine-archives vol.1121



天上から地上に降り立った天使が永遠の生命よりつかの間の生きる喜びを求めて、転生するお話。天使サイドの映像はモノクロ、現世ではカラーで描かれているのだが、バスの最後尾の座席に座った天使役のオットー・ザンダーの後ろ姿をとらえたこの世のものとも思われない映像美に圧倒される。このワンッショットだけでもこの映画は永久に称えられるべきものなり。

ブルーノ・ガンツの天使が惚れるサーカスの空中ブランコ女のソルヴェーグ・ドマルタンの美しいこと! 元天使役のピーター・フォークも役にぴたりと嵌っている。

ニック・ケイヴの音楽も懐かしい!!



 いにしえにの黄金の日々は遠ざかりゆるやかに没落する佐々木家のわたし 蝶人
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さとう三千魚著「マイルド・セブンその他」を読んで

2017-01-08 10:37:16 | Weblog


照る日曇る日 第923回

げんざい「浜風文庫」を主宰する著者が、若かった(今でも相当若々しいが)1989年に刊行した詩集を読んで、得るところが大きかった。表題作の冒頭は、

 二十本の煙草を喫いました。
 日中、二十本の煙草を喫う男がワタシです。

で始まるのですが、その次からワタシの対象は女体であり、固く閉じた女の両腿を強引に両手で押し開き、舌舐めずりしながら秘所に向かって下から上へと肉薄する若者の心の臓のおののきが、この単刀直入な欲望詩篇のビートとビミョウにシンクロしています。青春の煮えたぎる欲望の構造が見事に言語化されている。

若さである。
命である。
爆発である。
 
「キャタピラ」、「ヒタチ赤外線ホームコタツ“ダンラン”」などでもこの主題は執拗に追及されていて、私はなぜか志賀直哉の「暗夜行路」で時任謙作が女の乳房を「豊作だあ!豊作だあ!」と叫びながらもみしだく光景を思い出しました。

人生である。
女である。
豊作である。

人生のこのいっときでなければもう二度と書けない、異性への欲情にまみれた新鮮な光線君が散乱炸裂していて、まことに羨ましい限り。私などは恐らくこの頃一日五十本の両切りのピースを喫うていながら、詩の一行すら書けなかったのですから。

おしまいのほうに置かれた「おひさま」では、一転して子供の視線から一挙に全世界を取り戻すという裏技を披露し、「緑子」では、うわばみがうわばみを喰らい尽くす体の循環詩法がさりげなく展開されている。「あとがき」も非常に読み応えがあります。

それらはとりもなおさず、あえて平凡を装うこの詩人の早熟ぶりを雄弁に物語っていますが、詩人が、二行の連続でおもいのたけを自在にものがたる現在の詩境に至るまでには、きっと私たちの知らない幾多の氷壁への登攀が必要だったに違いありません。

ということで、もうお時間が参りました。
末尾ながら、2014年に無明舎出版から「はなとゆめ」を世に贈った私の大好きな詩人の、新年度の躍進と大漁をせつに願ってやみません。

   強風に逆らいながら舞っているよくも出会った雌雄のキチョウ 蝶人
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鎌倉国宝館で「北斎と肉筆浮世絵展」をみて

2017-01-07 10:45:18 | Weblog


蝶人物見遊山記第227回&鎌倉ちょっと不思議な物語第375回


毎年正月恒例の「氏家浮世絵コレクションの至宝」展である。
北斎の「雪中張飛図」や「桜に鷲図」「若衆文案図」などにまたおめにかかることが出来て良かった。

私の好きな「小雀を狙う山かがし図」もでている。
じつは昔家を建てたときに山かがしがどんどん出てきて往生した。生まれたばかりの山かがしを息子が捕まえては口に入れたり首に巻いたりして遊ぶので困ったことがある。
山かがしには毒があると知ったのはそれからずいぶん経ってからのことだが、この浮世絵を見ているとそんな昔を思い出すのである。

宮川一美の「遊女と禿図」や菱川師宣の「桜下遊女と禿図」がエロチックなのは、この遊女と禿の間になにかがあることが匂ってくるからなのかしらん。

なお同展は来る2月5日まで寂しく開催中。


 おもむろに尻を拭きつつ思うことこんなに柔らかでいいんだろうか 蝶人

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加藤典洋著「言葉の降る日」&池澤夏樹個人編集「日本文学全集07」を読んで

2017-01-05 10:40:42 | Weblog


照る日曇る日 第921回

昨2016年に岩波書店から立て続けに出された3連発の最終巻で、主に鶴見俊輔、吉本隆明、水野忠夫、小高賢など著者に大きな影響を与えた故人の思想や生前の面影をしみじみと伝えている。

巻末の歌人の小高賢、本名鷲尾賢也への弔辞と1967年10月7日の第1次羽田闘争で死んだ山崎博昭への思い出が胸を打つ。

私は羽田ではこの日のデモに生まれて初めて棍棒を右手に、左手にレモンを握りしめつつ参加して、たちまち機動隊に蹴散らされたが、著者はその翌日の第2次闘争で羽田大鳥居駅まで行って機動隊にぶつかったそうだ。

すると私たちは「すれ違いの同志」ということになるのかしらん。

死者はすべて懐かしい。
親しくしていた人は、特に懐かしい。
しかし、あまり親しくしていなかった人も、なぜだか懐かしい。
生前に敵であった人も、味方であった人も、同じように懐かしい。
私にとって、死者はすべて懐かしい。

「虐殺」と「殺害」は違いますむごたらしく殺されたのか普通に殺されたのか 蝶人



照る日曇る日 第922回

酒井順子訳の「枕草子」、わが高橋源一郎選手訳の「方丈記」、内田樹訳の「徒然草」という本邦三代エッセイのそろい踏み。

「枕草子」はたしか「枕冊子」というていたはずだが、いつから草子になったのかしらん。
それはともかく清少納言ってものすごく頭が良くって教養がある女性だったんだろうけど、この時代にしては珍しくいいたいことを包み隠さず言ってしまう正直というよりも愚直な性格だったんだなと思う。言いたいこともいわずにじっと我慢してその思いのたけを源氏物語にぶつけていた紫式部なんかとは正反対である。こういう感じはほとんどモダンというてもよさそうだが、彼女はかつて属し、あっという間に没落した道昂&中宮派の短すぎた黄金時代の思い出を枕に涙しながら生き生きと華やかに再現することによってその後の灰色の晩年の孤独に耐えたのだろう。

彼女はじつは中宮派にあってただ一人、その敵である道長をかねてより「好き」と公言していた。そのことは道長も知っていたはずだから、中宮の死後、思い切って道長派に転向することもできたはずだが、すでに道長の愛人がライバルの紫式部だったから、どうしてもその1点で飛べなかった。と私は愚考する。

内田樹訳の「徒然草」を読むと、最後の243段目がすごくいい感じのオチになっていることがよくわかる。この短い文章で兼好法師の人となりと、吉田兼好の父親がいかに息子を愛していたかが分かって読む人は幸福になるのである。

源ちゃんの「方丈記」は題名が「モバイル・ハウス・ダイアリーズ」、著者名もカモノ・ナガアキラに変身していてぶっとぶ。
サローヤン原作「パパ・ユーアクレイジー」の伊丹十三訳から学んだ、「翻訳とは異文化の深淵を命懸けで超える難事業だある」、をはじめて実践してみせたというのだが、さてそのお手並みはいかに、いかんにいいい。


  自民党はいたるところにビラを張る選挙ある日も選挙のない日も 蝶人
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ドナルド・キーン著「ドナルド・キーン著作集第14巻「明治天皇下」を読んで

2017-01-04 09:25:40 | Weblog


照る日曇る日 第920回


最終巻では明治27年の「閔妃暗殺」から45年の「大喪、乃木殉死」までを編年体の明治天皇史でありながらむしろ時代時期毎の重要なトピックスを平静かつ明快に論じていく。

西洋列強が新たな植民地獲得を目指してアジアを武力むき出しで侵略してくるなかで、はじめは処女の如く無防備であったこの国が、おわりには脱兎のごとく「力には力、暴には暴」で報いるミニ欧米型の侵略国家の姿形を急速に備えてくるさまが、活写されている。

朝鮮を清国から切り離して独立させるというのが日清日露戦争の大義名分であったが、勝利者の日本は、独立させるどころかその支配者を暗殺したり、政治経済社会権力をみな奪い、しまいには固有の言語も氏姓も奪って完全な隷属下におき、ついには明治43年に併合してしまう。そしてそれ以来、心からのゴメンナサイを言うたことは一度もない。

日韓関係の蹉跌の原点はここにあるのであって、慰安婦問題や竹島領有権問題を直接解決しようと思ってもなかなかうまくいかないのも、ここから無理矢理目をそむけて「未来志向」などと空虚なアホダラ教を唱えているからだろう。

しかし日露戦争も、振り返ってみるとさっぱり意味が分からない戦争である。
列強侵略への防波堤であり生命線である属国韓国を、あの凶暴なクマが、いまにも奪い取りにやってくる。奪われたら次はこの小さな列島に押し寄せるから、その前に先制攻撃しよう。という指導層のパニックだけで実際にあの国運を賭けた大戦争をおっぱじめて、幸か不幸か勝利してしまう。恐露病患者が奇跡的に革命前夜で落ち目の露西亜に勝利したのであったが、これがまた次の戦争への道を切り開いてしまうことになるのである。

キーン選手の通史を読んでいると、我らはなにひとつ過去の歴史から学ぶことなく、その癖「何者かに魅入られて」次から次へと他国に向かって戦争を結果的に「仕掛けてきた」ことが分かる。いまもむかしもそんなどうしようもない国に、どうしてこの老いたる異邦人は帰化したのだろうか。いや、帰化ではなくて渡来か。

 7億円が当たった売り場で2匹目を狙うたけれどはずれてしもうた 蝶人


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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第42回

2017-01-03 11:20:27 | Weblog


西暦2016年師走蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 247


Stingって、どの曲を聴いても基本的にみな同じだな。The Rolling Stonesでも同じような既聴感に襲われる。ロック音楽のクリシェも、演歌のそれに迫っているということだろう。
1/30
 
1966年ごろに当時の構造改革派が「欲望の開発」路線を唱えたので、私は関心と違和を感じた。その頃までの学生(大衆)は、欲望を恣にすることに対してある種の禁忌を懐いていたのではなかろうか。12/1

欲望の大きさは、人によって、また環境や時代の風潮によって異なる。しかしそれをむやみに内部に抑圧縮小するのと同様、夜郎自大に外部に向かって開発拡大することが、人間にとって善であり正しいと断言することはできない。12/2

「カジノ法案」って何? こんな愚劣な法律をやすやすと強行採決する政権って何? 
いまやこの国ではどんな法案でも内容抜きに通ってしまうのではないか。そんな非常事態にも黙して安倍蚤糞を支持している民衆って糞?12/3

「文春砲」とは大げさだが、この1週刊誌が次々にスキャンダルを暴露して世間に大きなインパクトを与えたことは間違いない。ライバルの「週刊新潮」「週刊現代」「週刊ポスト」はいったい何をしているのか。12/3

なるほどオバマの広島訪問と安倍蚤糞の真珠湾訪問はセット販売だったのか。おそらくトランプとはもはやこういう取引は出来なくなるだろう。12/6

元KGBのプーチンが、どのように卑劣な手段を弄してロシア帝国の独裁者に成りあがったかを知らなければ、この専制君主国の動向について見誤ることになるだろう。12/7

安倍蚤糞に続いて孫なんとかいう商売人が、両手もみもみトランプに胡麻スリに行く姿は醜い。日本人から巻きあげた金で米国人に仕事を与える前に、もっと日本人に利益を還元したらどうなんだ。12/8

当たり前のことであるが、どんな熟練の日本人奏者も、ベルリンやフィルではドイツ語を、スカラ座ではイタリア語、パリ管ではフランス語をちゃんと聴きとり、喋ることが必要とされる。12/9

判決文を書くのが裁判官で判決理由を書くのがその下っぱ、小説を書くのが小説家でその解釈を書くのが批評家、キャッチフレーズを書くのがコピーライターで、ボディコピーを書くのが文案作成者。おのずと軽重の差というものがある。12/10

ベルリン・フィルの次期首席指揮者のキリル・ペトレンコが、手兵のバイエルン国立管を率いてRシュトラウスの「家庭交響曲」を演奏した最新のビデオをみた。音楽の本質を徹底的に追求しようというその真摯な姿勢は、どこかカルロス・クライバーに似ていて、彼らが彼を選んだ理由が分かったような気がした。12/11

トランプのスタッフ指名の出鱈目ぶりを見物していると、政治や歴史というものの本質が何でもありの三文芝居ではないかという気がしてくる。12/12

「シ」と「ド」の中間にも音が存在する。私はそれを「微分音」と名付けて、新しいゆらぎの音楽を作ろうと思った。白岩優拓12/13

シリアの反政府軍の拠点アレッポが陥落した朝、私は葡萄パンとリンゴを食べ、コーヒーを飲んでいた。どうやら歴史は私とは無関係に進行しているようだ。12/14

「この歌はいったいどういう意味?」と尋ねられたら、歌人は答えようと思えば答えることができなくてはならない。12/15

共同経済活動でお茶を濁しているものの肝心の領土問題ではなんら進展なし。経費削減でお茶を濁しているものの、結局五輪会場ではなんら進展なし。ま、世の中そんなもの。12/17

私たちは唄いたくなれば歌を唄う。唄いたくなければ歌わないが、しかし唄わない時もじつは唄っているのである。12/18

柴崎の怒涛の2発に痛く感動。この国の政治も経済もメチャクチャだが、サッカーだけは別だ。12/19

バイトや派遣を転々としながら、28歳で短歌に出会った。短歌で食えるわかでもなく、短歌で出会った嫁に家賃を払ってもらいつつなんとか食いつないでいる。結婚していると時々「子どもは?」と聞かれる。斎藤斉藤「人の道死ぬと町」12/20

「まだです」、「いやあ、お金が」で話題は終わらせられるのだけれど、ときどき妙に食い下がってくるのは、決まってひとつ上の世代だ。
  子どもなんて産んでしまえばなんとかするものでしょうか言っちゃえる世代
 斎藤斉藤「人の道死ぬと町」

「月収が14万なんですよ」と言ったら、黙られた。黙るなよ。黙るなら、粘るなよ。でもたしかに、本気で子どもがほしければどうにかなんとかするのかもしれない。短歌をやめて、朝から晩までがむしゃらに働き、わたしの時間を売ったお金を1人娘につぎ込んでも大学の費用はだせないだろう。斎藤斉藤「人の道死ぬと町」

そうして育てたわたしの娘がわたしより出来が悪かったら、わたしは娘を憎んでしまうかもしれない。わたしが死んでしまえばわたくしの心の父(になることがなかった私は人としての責任を果たすことなく死んでしまうのだろうかとおもう気持ち)はどうなるのだろう。斎藤斉藤「人の道死ぬと町」

篠山紀信はスタジオで立派な肖像写真をあっというまに撮影してしまうが、蜷川実花は背景にお飾りをもってこないとまともに撮影できないようだ。「アエラ」の表紙写真を見ての感想。12/21

やまゆり園のイカレポンチの元職員が障がい者を殺傷したお蔭で、私の息子が通所しホームステイしている施設の職員さんの、それでなくても少なかった求職がぱったりとまり、新規採用はもちろん、補充すらままならない状態に陥ってしまった。糞ったれ。12/22

朝日新聞夕刊に連載されていた綿矢りさの「私をくいとめて」という小説がやっと終わった。馬鹿げたタイトルだと思ったが、内容もまるで中学生の悪戯書きのような他愛のないもの。毎回全紙を使って、どうしてこんな下らないものを載せるのか理解できない。12/23

月並みな生活を送り迎えしている凡人も、その月並みと平凡に徹し切れば、稀に非凡な一首をものすることもあるのであるのである。12/25

詩や俳句や短歌の世界の内部に甲羅を巡らせて閉じこもるのではなく、この暗鬱な世界と立ち向かい、生き延びる、したたかで、しなやかな道具として、それらを活用してみたいのです。12/27

それほど「慰霊」したいなら、まずはかつて侵略した東アジアからだろう。トランプ時代の到来を前に対米「同盟」関係を徹底的に見直し、対アジア、対西欧、対ロシアとの平和条約締結を含めた等距離外交関係を樹立するのが先決である。12/28

「和解」や「不戦」や「寛容」の精神などの美辞麗句をいくら連ねても、ご主人様への安倍蚤糞隷従の度が深まるだけの話だ。12/29

今年はわりあい元気だったのだが、年の瀬になって1年の疲れが出てしまったようで、風邪のために一日中寝ていた。12/30


  3月の「魔笛」公演を予約したので3月までは死なないつもり 蝶人

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なにゆえに 第34回~西暦2016年7師走蝶人花鳥風月狂歌三昧

2017-01-02 11:34:55 | Weblog



ある晴れた日に第425回


なにゆえにトランプは「狂犬」を隊長に指名する生まれながらのブルドッグゆえ

なにゆえに久しぶりに上京する小学校の同級生に再会するため

なにゆえに浅草くんだりに人押し寄せるもっと他にいいところがあるだろうに

なにゆえに蔵書処分が進まない最新刊にばかり手を出しているから

なにゆえにミサワホームがカレンダーをもってくるもう2016年も終わりだから

なにゆえに安倍蚤糞はカジノ法案を強行するもはやバクチしか頼るものなし

なにゆえに維新は自民にくっついている「維新」どころか守旧の権化

なにゆえに印刷インキは莫迦高い顧客を莫迦だと思っているので

なにゆえにプリンターが印刷しない代替インキに復讐している

なにゆえに毎日漱石がテレビに出てくる亡くなってからちょうど100年

なにゆえに自民はカジノに固執する大阪万博をめぐる維新との密約

なにゆえに世界は悪党どもが闊歩するプーチン、トランプ、習、金、安倍

なにゆえにこんな歌を詠んだのかと問わるれば歌人はきちんと答えるべし

なにゆえに共同で経済活動をする領土が帰ってこなけりゃドブに捨てる金 

なにゆえに悪漢を温泉でもてなすまるで世界が見えていない

なにゆえに秀頼選手は出陣しなかった所詮は自立できないマザコンだった

なにゆえにオスプレイはまた飛び立つしばらくしてからまた落ちるため

なにゆえに世界は乱れる前代未聞の悪徳の栄え

なにゆえに五輪経費で今頃もめる張本人の慎太郎が払え

なにゆえに届け印が見つからない判子なんかいっぱいあるのに

なにゆえに私の本人確認が出来ないパスポートも自動車免許も持っていないから

なにゆえにささいなことで傷つけるすべてわたしがいたらないから

なにゆえにすべてが飛ぶように過ぎてゆく懐かしき日々は二度と帰らぬ

なにゆえに扉の修理に万札が飛ぶおらっちの細腕では直せないので

なにゆえに糸魚川の大火は起こったのかラーメン屋のおやじが鍋を焦がした

なにゆえに暮れの土壇場で熱が出るもしやインフルではないだろうか

なにゆえに日露戦争は始まったか露西亜に堪忍袋の緒を切らした


なにゆえにドダメルが元旦コンサートの指揮をするお前さんにゃあ百年早いよ 蝶人
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