照る日曇る日 第1383回
生意気で自己中で意志薄弱で借金魔で女好きで生活力ゼロの癖に稀代の歌詠みで明治という時代の本質を他の文学者の誰よりも鋭く洞察していた石川啄木は、明治45年4月13日に26歳で夭折した。
彼の「ローマ字日記」を読んだひとは彼を遠い明治の詩人ではなく、コロナウイルス全盛の世に隣のアパートで呻吟する若者のように身近な存在として受け取るに違いない。
啄木は明治41年秋から翌年5月までに16、7回娼婦を買ったが、それをローマ字日記に次のように記す。
「温かい手を握り強い髪の香を嗅ぐと、ただ手を握るばかりでなく、柔らかな温かな真っ白な体を抱きたくなる。しかしその時は、予の心が財布の中の勘定をしている時だ。いな、いかにして誰から金を借りようかと考えている時だ。予の求めたのは体も心も蕩けるような楽しみだ。しかしそれらの女はやや年のいったのも、まだ16くらいのほんの子供なのも、どれだって何百人何千人の男と寝たのばかりだ。男というものには慣れ切っている。なんの刺激も感じない。わずかの金を取って、その陰部をちょっと男に貸すだけだ。それ以外にはなんの意味もない。何千人に描き回されたその陰部には、もう筋肉の収縮作用がなくなっている。緩んでいる。18のマサの肌は、貧乏な年増女のそれかとばかり荒れてガサガサしていた。たった一坪の狭い部屋の中に、明かりもなく異様な肉の臭いがムウッとするほどこもっていた。女は間もなく眠った。予の心はたまらなくイライラしてどうしても眠れない。予は女の股に手を入れて手荒くその陰部を掻きまわした。しまいには5本の指を入れてできるだけ強く押した。女はそれでも目を覚まさぬ。予はますますイライラしてきた。そしていそう強く手を入れた。すいに手は手首まで入った。女はその時目を覚ました。そしていきなり予に抱きついた。「あーあーあー、うれしい。もっと、もっと、もっと、あーあーあー」18にしてすでに普通の刺激ではなんの面白みも感じなくなっている女!予はその手を女の顔にぬたくってやった。そして両手なり足なりを入れて、その陰部を裂いてやりたくなった。裂いてそうして女の死骸の血だらけになって闇の中に横たわっているところを幻になりと見たいと思った。ああ、男にはもっと残酷な仕方によって女を殺す権利がある!なんという恐ろしい嫌なことだろう!」
これはもはや当時の主流の自然派ではなく、人世派のポルノグラフィーでもなく、ましてや漱石、鴎外の高踏派でもなく、それらを遥かに超絶した孤高の地獄派の心言であり古今東西を通じて啄木にしか書けなかった珠玉の数行だろう。
なお本書では啄木は読めもしない洋書を丸善で買って、すぐに古本屋で売り飛ばしたと書かれているが、ドナルードキーンの「石川啄木」では、オスカー・ワイルドの「芸術と道徳」やイプセンの戯曲、ダヌンティオ、メーテルリンク、メリメ、ツルゲーネフ、ゴーリキーの英語版原書を一夜にして読了した、と書かれているから相当の語学力があったのではないだろうか。
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