照る日曇る日 第1386回
2010年に刊行されたご存じオースターのニューヨークもの。1947年生まれの作家であるが、乱暴に言うと毎年1冊くらいのペースで着実に秀作を積み上げている。
どれをとっても駄作がなく、時代閉塞の現代に生きる人間の切実な同時性がひりひりと感じられ、読み始まるや否や、あっという間に懐かしい「オースター時空」に引きずり込まれてしまう。「ノーベル取り」レースでは村上春樹の強力なライヴァルだろう。
中身を説明するような愚は避けたいので、気になったことだけを2、3メモしておこう。
物語の引き金は、ほんのちょっとしたことで、兄が弟を死に至らしめたこと。それが兄である主人公のその後の運命を決定づけてしまうのだが、私にもひとつ間違えれば彼と同じ道を辿ってしまう危険が、一度ならず二度まであったなあと、読みながら冷汗が出た。人はいつでも人を殺すし、人から殺されてしまうのである。
主人公が年下の魅力的な少女と、これまた運命的!な出会いをするきっかけは、公園で見知らぬ2人が偶然フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」を読んでいたからなのだが、これと同じ出会い方を書いた作家がどこかにいたなあと思い出してみると、村上春樹の「東洋奇譚集」の「偶然の旅人」なのだった。
但し村上春樹では「グレート・ギャッツビー」より渋いディッケンズの「荒涼館」であり、「偶然の旅人」の初出は2005年3月だから、オースターに5年先んじているので、アイデア競争ではわが村上選手に軍配が上がりそうだが、そんな優劣談義はともかく、これ自体が割と下らないプロットであることを示していて、もっと探せば東西の先例がいくつかあるだろう。
それから、登場人物の一人が文科系の大学生でウィリアム・ワイラー監督の1946年の名作「我等が生涯最良の年」の研究をしているという筋書きになっているので、小説の記述を参考にしながら見直してみて、なかなか面白かった。
とりわけラストの結婚式で、新郎新婦を手前にキープしながら、左手奥の新しいカップルを緊迫感を伴って見事にフォーカスする、名人グラッド・トーランドのキャメラワークに息を呑んだ。
が、オースターの関心はどんどん脇道に逸れ、最高に美しいヴァンプ、ヴァージニア・メイヨの浮気相手のスティーヴ・コクランの逸話に辿り着く。
本作に出演後、次第に落ち目になったコクランは、48歳の時、14歳から25歳までの若い女性をヨットに乗せて、心機一転コスタリカを目指したが、途中で重度の肺感染症(さしずめ旧型コロナウイルスか?)を患って急死し、その腐乱死体は、航海術に無知な美女と共に10日間海を漂っていたという。
年毎に自閉症の君が好きになる無能で無力で無垢なる君が 蝶人