こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

君の”フツー”はほかの人の”普通”ではない

2019年04月08日 | 日々思うこと、考えること

以前、息子が”フツーに・・・”というのを聞いて違和感を覚えたことがあった。『君のフツーは、ほかの人にとっての普通ではないよ』といいかけたけど、今時のワカモノの言葉なのだろうと思って、そのままにした。街角とかテレビでも、若い人が”フツー”というのをよく耳にする。これって、もしかしたら”みんな・・・”と同じような用法なのかもしれないと思う。

それはそれでいいのだけど、私がこの言い方を聞いて違和感を覚えたのは、おそらくこの用法がとても視野の狭い使い方のように聞こえたからではないだろうか。「普通」というのは広辞苑によると”ひろく一般に通ずること”という意味だ。だから、自分よりも未熟で経験のない人が、普通そうでしょ、というのを聞いてちょっとムッとしたのだろう。

若い息子よりも私の方が経験が多く、より多くのことを知っているというわけはない。むしろ、”フツー”といわれたのは、スマホだのSIMカードの使い方とか、NBAとか大リーグの話だったような気がする。そうだとすると若い人の方がそういうことの普通をよく知っていることになる。

このことからわかったのは、君のフツーが他の人の普通ではない、ということではなく、私のフツーが他の人の普通ではないということだ。普通という言葉を”常識”に置き換えてみたらどうだろう。私の常識は他の人の常識ではない、となる。

”それ、普通でしょ?”とか”それ、常識でしょ?”などという言い方をよく見かけるけど、”普通”も”常識”も疑ってかからなくてはいけない。そして、自分自身が”普通”だとか”常識”だと考えていることが果たしてそうであるのか、いつも疑ってかからなくてはいけない。社会の多様化はますます進んでいく。”普通”とか”常識”という言葉を使う時は十分注意しなくてはいけない。

世の中で真に正しいことはとても少ない

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