つい最近まで、道ゆく人、隣に座っている人、テレビの向こうの人、どの人も悩みなんて一つもなく生きているのだと思っていた。悩んでいるのは自分だけだと。
ところが先日、本屋に入ったら、生き方に関する本とか自己啓発本、悩み事に関する本、宗教関連本などがうずたかく積まれていることに気がついた。もう、出せば売れるという感じで置いてある。
あれ?こういう本がたくさんあるということは、それだけ売れているということ?
20代は漫画を随分読んでいたけれど30代になり漫画にも飽きた。その頃には職場での人間関係にあれこれ悩むようになりそういう類の本を読むようになった。それから20年間、もちろん普通の小説も読んだけど、人生読本にはじまり嫌な上司と付き合う本というようなのまで随分読んだ。100冊はくだらないのではないか。つい最近も、カーネギーの本、アドラーの本を読んで、感銘を受けた。
これまで、平積みで売られているそういう本は私のためだけにわかりやすく置かれて売られている、そんな感覚だったが、それはもちろん違うということを、先日見た本屋の風景で認識したのだ。
私がこれまで買ってきたそういう類の本というのは、私だけが買ってきたものではなかった。
私以外の何千人、何万人という人がこういう本を読んで、それぞれの悩みと対峙していた。道ゆく人、隣に座っている人、テレビの向こうの人、多くの人が悩みながら生きて、解決法を探しているのだとわかった。
あれ?自分だけじゃないんだ。
そう考えると、”悩む”ということ自体がとても不要なことに思えてしまう。種類こそ違え、誰もが悩むのに、殺さら自分が悩む必要などあるのか?
”悩む”ということは自分主体で行うことで、それならば悩まなければいいのだ。
対人関係では、相手に期待してはいけない。自分を評価するのはあくまで相手であって、自分ではない。
なにか手助けを必要としているように見える人がいたら、自分の判断で手を貸す。でも、見返りを期待してはいけない。
今日は悩みについての話ではなくて、”人間誰しも悩みを抱えて生きている、ということが最近やっとわかってきた”という話なので、悩みについては、また別の機会にすることにします。
上手に生きるのは簡単