こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

リモートワークは人間の代替可能性を顕在化させる(上)

2021年05月12日 | 電脳化社会
 昨日は1日中ほとんど曇っていたうえ少しひんやりしていたが、今日はごく薄曇りというか晴れ。全国的には九州まで梅雨入りし、関東地方も早晩雨の季節を迎えることになるらしい。
 1日、リモートワークをしただけで、ずいぶん長い時間職場を離れていた様な気がする。週末、祝日に休むのとは違う感覚だ。自分がいないからといって、時間が都合よく止まってくれることはなく、その間にも色々と仕事が進行しているからだろう。遅れをキャッチアップするには昨日の”リモートワークモード”を”通常モード”に切り替えなくてはいけないのだけど、これが案外難しい。私とは逆に、近所にはほぼリモートワーク、なんて人がいるが、あの人なんかは逆に出勤した次の日は大変なんじゃないかと思う。

 人流を下げることを目的としたリモートワークをいきなり普及させるというのも、無理な話だが、徐々にでも進めて、「仕事に出た翌日はリモートワーク」みたいにすれば週に2日くらいの出勤体制ぐらいは達成できるのではなかろうか。それだけでも”人の流れ”の削減に役立つ。これに時差通勤を組み合わせたら、通勤ストレスもずいぶん軽減されるはずだ。

 ただ、リモートワークをあんまり徹底させると、離人感というか、自分がただのパーツと感じる様になってしまう人が増えてしまうだろう。もともと人間誰しも代替可能な存在であり、いなくてはならない人、というのは基本的にはいない。それなのに、自分の場所を取って変わられると困る。誰しもが大なり小なりそのことを感じているから現場に行って自分の場所を確保したくなるのだろう。これも、リモートワークの進まない原因の一つの様な気がする。

 かくいう私にしても代わりはいくらでもいる。以前この病院にいた病理医が離職してから3年ほどかかったものの、結局のところ私がその後釜として入ることになった。だから今度もし私がいなくなったとしてもいなくなった当初は、人探しに苦労もするだろうが、そのうちになんとかなる(はずだ)。そんなことは過去の偉人にしてもそうだ。もしその人がいなかったとしても、どうということはない別の歴史が作られただけだ。そういう意味で、電脳化社会はそんな人間の代替可能性を顕在化させつつあるのではなかろうか。
(明日に続く)
モニターの向こうは仕事さえできたら誰でもいい

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