こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

病院のバスターミナルで思ったこと

2021年05月27日 | 日々思うこと、考えること
 昨日の皆既月食はずいぶんな騒ぎだったようで、テレビでもいろんな番組でその模様が放送されていた。コロナ禍で楽しい話題が全くないので仕方がない。西日本は雨のため、まったく見えず。私のところからは薄曇りを通して半分欠けた月を見ることができた。東北、北海道では比較的よく見えたようで、ブロ友さんもその写真をアップしていた。次の皆既月食は2033年と、12年後だそうで、コロナ禍の時代、それまで無事に生きていられるだろうか。今日は、昨日の曇りからそのまま雨となって、午後にはずいぶん降るらしい。気温も下がって、体調がまたおかしくなりそうだ。

 地域の基幹病院というのは、駅前のバスターミナルに次いで、市役所、県庁前並みに多くの停留所がある。私の勤め先にも方々からのバス路線がきていて、これにタクシーと、患者さんの乗用車が入ってきているので、結構な混雑になる。ERの入り口と業者さんの出入り口は別のところに作られているので、そちらの方は心配ない。バスを利用するのは8割が患者さんとその家族、職員が2割ほどといったところで、そのほかの利用者はほんの少しだ。

 私が利用している最寄駅からは歩いて15分もかからないのだが、帯に短し襷に長しで、雨のこと、腰痛のことなどを考え、バスを使っている。バス利用者の中には子供を乳母車で連れてきている人もいて、そんな方の乗降は積極的に声をかけて手伝っている。だが、そんな方は少数で、圧倒的に多いのはお年寄りだ。80代以上と思しき方が多く、ゆっくりと乗降する。私も腰が痛いとき(今もまだ少々痛い)は気をつけて乗り降りするがそれよりもよほどゆっくりだ。そしておりた後もゆっくり歩く。これはお年寄りに限ったことでなく、病気・怪我の人は大抵そうだ。

 バスを降りた時に、タイムカードの打刻時刻が迫っていたりすると、少し早足でそんな患者さんたちの横をすり抜けていくが、先日、我ながら配慮に欠ける行為だと思った。様々な人がそれぞれのペースで歩いている病院前の停留所というのは世の中の縮図だ。普段の生活空間で病気の人を見ることは滅多にないが、病院前のバスターミナルにはそんな人がたくさんいる。そういうところで、先を急いで歩くというのは健康人の傲慢につながってしまうのではないだろうか。自分が医療従事者であるとかないとか、そんなこととは関係なく人に優しくありたいと思うのであれば、そんなところでも周囲に配慮した行動が必要だ。
私もほぼ初老

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