こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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日本が好き、という言葉の虚構

2021年05月19日 | 日本のこと、世界のこと
 関東地方、どう見ても梅雨入りしていそうなのに、気象庁はなかなかその宣言を出さないでいる。偏西風が勢いを盛り返して太平洋高気圧がもう一度押し下げられるかもしれないからと慎重になっているのだろうか。あとになって、あの頃梅雨入りしていたと思われる、という様なこともできるので、あまり深く考えるのはよそう。それに入梅がいつであっても雨季は雨季で雨は降る。梅雨入り宣言は水害に対する用心を促すためのものだということを聞いたこともあるが、九州ではもう梅雨明け間近のような豪雨だそうで、この先が思いやられる。
 四季の移り変わりのはっきりした自然豊かな日本に育ち、さらにはこの国に住む人の国民性、文化水準の高さ、などを含め私はこの国が好きだと思いこんできた。だが、どうやらどれももはや失われつつあるようだ。春と秋は極端に短くなり、大量の雨の降る雨季と、やたらと蒸し暑い夏が主となってきた。冬の寒さは中途半端だ。こんなことが続けば日本の四季の景色はやがて変わっていくに違いない。

 やっぱり、というか案の定、防衛省による新型コロナウイルスワクチン接種への申し込みにはトラブルが生じているようだ。そしてまた出た、断罪に処すべき高級官僚による不正蓄財。総務省による地方自治体へのワクチン接種促進の恫喝。日本人の国民性が新型コロナウイルスによって暴露されたが、まさかここまでとは。もちろん、国産ワクチンなどなくて、外国製のものに頼るしかないし、認可システムの融通はきかない。

 私は日本が好き

 多くの人がこの言葉を口にするようになったのは、平成をだいぶ過ぎてからの気がする。その前はそんなこと当たり前でわざわざ口に出して言う必要はなかったのかもしれない。こんなことをわざわざ言うようになったのはこの国がそれまで持っていた当たり前のものを失い始めた時期なのかもしれない。そして、”日本はすごい”、とか”日本が好き”という言葉の背景にあったのは、日本が失ってしまったものを、今あたかもあるかの様に考える虚構であったのではないか。

 今、日本にまだ何か残っているとすれば、それは良くも悪しくも人的資源しかない。良心は人間に残されたリカバリーのきく最後の財産といえる。そして、この国にもそんな良心を残している人がまだまだ残っていると思うし、自分もその一人でありたい。政治家や高級官僚にそういうものを期待できなくなった今、良心を残す人に今一度この国を好きな国に戻してほしい、そう一縷の望みを持つ、今日この頃だ。
悪人に流されるな

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