こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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新型コロナウイルス感染症は日本にとって最後の審判か

2021年05月18日 | 日々思うこと、考えること
 関東地方の梅雨入りはまだなので、正しい表現ではないが、今朝の空は梅雨の晴れ間のようで清々しい。それも夕方以降は雨となってしまうそうだから、出勤時間帯に晴れたというのは幸運だ。昨日仕事を終えて外に出たら東の空にうっすらと、虹がまっすぐ上に立つ様に出ているのが見えた。よく見たいと思って、空のひらけたところに行って、写真を撮ってみた。残念ながら夕闇で光量が足りなかった様でそれほどはっきりとは写らなかった。それでも、何かいいことがありそうと、少し元気になった。

 最後の審判、という話がある。その考え方を初めて知ったのは、星新一のショートショート「時の渦」を読んでからで、キリスト教やイスラム教でその原典を読んだことはない(歴史観 2007年12月01日 )。最後の審判という考え方は、人類にとって最後の希望の様な気もする。この7年後にはインターネットがその役割を担うのではないかと考えたこともあった(インターネットが最後の審判?2014年03月28日 )。しかしながら今、インターネットは人間社会をコントロールする手段として様々な利用のされ方をして、その行き着く先はよくわからなくなっている。所詮、人間の作り出したものは人間の知恵の範囲内でしか用いられないのかもしれない。

 この国がどうもおかしなことになっているんじゃないかと感じ始め、なんだか元気が出ない。その原因が新型コロナウイルス感染症のせいではなく、ただ単に、この国の政治家と役人によるものだということがわかってきてウンザリしている。新型コロナウイルス感染症は、今の日本の問題を次々と暴露している。その最たるものが、さほどの能力もないのに声ばかり大きく威張っている(謙虚さに欠ける)政治家(与党も野党も)と忖度と目先のことだけで大局観のないまま天下りと金のことしか頭にない(一般庶民のことなど理解できない)高級官僚(技能実習生受け入れ公益法人 金額にかかわらず前会長が決裁か NHK NEWS WEB )だ。

 がっかりするにもほどがあり、もう何も考えたくなくなってきた。というか、これまでいろいろなことを考えることができたということがいかに幸せなことであったのかということがよくわかる。こうしてみると、社会の様々な矛盾、無能な政治家、役人の存在、社会における要不要、ITを利用した新しい経済活動の可能性などを明らかにしてくれたという意味で、新型コロナウイルス感染症は最後の審判になるかもしれない。
 諸外国では、厳しいロックダウンを即座に行ったり、ワクチン接種を何とか進めたりと、冷静に対応していることを考えると、”日本にとって”の最後の審判になるような気がするのは、ちょっと残念な話ではある。
良心を求めて

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