こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

医学生が陥りやすそうな勘違い

2018年07月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

息子の24歳の誕生会をした。近所の医学部に通っていて、今6年生。来年には家を出て行く。そういうわけで”わが家の子供”として家で誕生日を祝うのは昨日が最後だった。神様からのお預かりもそろそろ終わりと思うと感慨深い(よいこの育て方 エピローグ  子供は親のものではない 2009年09月23日)。試験期間中の娘も急いで(とは言っても昨日は鎌倉花火大会で駅は殺人的に混んでいて、抜け出すのは大変だった)帰ってきて、4人で祝うことができた。

食事をしているうち話題が娘の試験の話へとなり、娘が昨日試験があったナントカ法の話をしてくれた。娘は法学部に通っている。息子が、「覚えることがたくさんで大変でしょ?」と言うと、娘は「お兄ちゃんがやってる医学部の勉強の方こそ暗記ばかりでしょ?私が今度受ける法医学の試験もほとんど暗記だったし。それに比べて、法律の勉強って暗記以外のことが多くて大変なんだよ。」と言い返した。なんでも、欧米の法律と違って、日本の法律はその”解釈”が重要だと教えてくれた。その辺りの勉強は暗記だけでは追いつかないほどらしい。その後兄妹で多少やりとりがあって息子も娘の言いたいことがわかったようだった。二人とも勉強があるからと部屋に戻り、誕生日会はお開きとなった。

子供たち二人のやりとりを聞いていて考えたことがあった。医学生というのは自分がしなくてはいけない勉強量がとても膨大で、とても難しいものだと考えている。たしかにそうだけど、それは別の分野の人からは果てしない単なる暗記勉強にしか映っていないのかもしれない。解剖学は暗記以外の何物でもなかったし、他の基礎科目も覚えることばかりで、薬理学なんて気が狂いそうになった。先人たちの残した膨大な知識、そういったことをまず覚え、それを基礎としてそれらが組み合わさった臨床医学の勉強に発展し、そこでもまた気が遠くなる様な暗記勉強をする。それらを組み合わせる能力を養うのが医学部の教育で、ペーパーテストが主の国家試験は仕上げの医療シュミレーションテストだ。

医学生のなかには、自分たちこそがすごい勉強をしている特別な存在だと思っている人が少なからずいると思える。最難関と言われる入試を突破した自分たちがしている勉強というのは、学生としては最もハイレベルの内容であると考えている人がいるかもしれないが、それはたぶん違う。それにそもそも受験テクニックに長けた学生にとって医学部の勉強なんてそれほど難しいことではない。人と同じにやっていたら、合格率9割の試験に落ちるわけがない。

ある意味、全国の医学生の上位9割に入らなくてはいけない試験という側面もないわけではないが、それでもものすごく大変な競争ではない。だから、少なくとも自分たちの勉強が世の学生の中で最も大変だと思わないように気をつけなくてはいけない。ずっと難しい学問に挑戦している同世代の人はたくさんいる。大学入試が少々うまくいって医学部に滑り込んだだけのことで、自分はすごいとか勘違いして、おかしなプライドを持って、入学後の人生を慢心して過ごす様なことがあってはいけない。そして、そういう医学生の側面が自分にあったということを思い出すと、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。

常に謙虚であれ

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