こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

山のうえの幸せを見て思う子供を持つという負担

2022年08月18日 | 日本のこと、世界のこと
起きた時は小雨だったが、病院に着いた時は大雨。
このまま午前中の間は、強い雨が降ったり止んだりとなるらしい。
毎日こういうことをブログのエントリーに書いていれば、夏休みの宿題なんて全く怖くない。
20代、いや10代からこうやって発信することのできる機会があったら、人生はまた違ったものになっていただろうと思うと悔しいが、歳をとったから毎日を振り返るようにになっただけなのかも知れず、なんとも言えない。

私が住む家のある谷戸は鎌倉でも比較的古くに開発され、こじんまりとした住宅街となっている。
住民の多くは開発された時に移り住んできた親の家にそのまま住んでいるので皆裕福だ。
そしてどの家にも同じような年頃の孫がいて、今年もお盆休みには各家庭から子供の声が聞こえた。
その無邪気でわがままな声と、やさしい声で返事をするおじいさんおばあさんの声を聞くとなんとなく複雑な気分になるが、それが私には幸せの典型であるかのように見えてしまうからかも知れない。
裕福な家庭に生まれ、名門大学に進学、有名企業に就職、やがて子供を持ち、その子供が孫を連れて盆暮れに帰ってくるということが、どの家庭でも当たり前のように行われている。

私もやがてそんなことに巻き込まれていくのかと思うと恐怖にも似た疑問を持ってしまう。
妻とは添い遂げるつもりで結婚したのでその関係性に疑問はないが、その後の子供を持つべきだという圧力、子育てのために妻が仕事を諦めたということ、今後考えられる子供たちへの手助け、そんなことが当然なような雰囲気がこの国にはあることには疑問を持たざるを得ない。

いったん授かった子供の存在を否定することはナンセンスだが、今の時代、客観的に子供は必要だっただろうか。
少なくとも経済的には私たち夫婦にはマイナスだったし、行動も”子供中心”となり、著しく制限された。
さらにい、教育費が家計の中の最大の支出であるというこの国最大の問題は解決されないままで、結果として若い人の成長は妨げられている。

少子化の原因が子育てによる負担であることは間違いないのに、裕福な家庭に育った2世、3世の政治家にはそのことがわからず、格差社会の抜本的な解決がなされていない。

文科省が大学の認可基準を見直すことにしたそうだが、昭和の末から定員割れの問題はあったわけで、遅きに失した感もあるが、やらないわけにはいかない。
こういうことをしてきたから、教育費にいくら金を投入しても、”教育利権”に持っていかれるばかりで実効性が乏しかったのではないかと思う(教育を産業にする人たちの自縄自縛 2018年5月)。

そろそろ子育てが終わり、やっと夫婦水入らずの生活になると思っていたのに、世代が継がれることによりいつまでもそうなりそうもないと思うと、複雑な思いに捉われてしまう。
子育て負担の軽減を

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