台風14号は東シナ海で相変わらずじっとしている。週末まで動かないようで、ずいぶん暇そうだ。台風がじっとしているというのはおかしな感じだが、別に暇にしているわけではないだろう。
コロナ禍のせいで去年は学会とか研究会といったものはほとんどなくて、ある意味暇だった。先週、先々週と専門領域の研究会があったが、それらは毎年8月の末に開かれていた。やはり今の時期に開催される病理の講習会もなかったので、その講師というのもなかったが、今週末にはしっかりある。止まっていた時計がまた少しずつ動き出したようだ。この、一見暇そうに見える時間を大事に使って飛躍に結びつけた人は少なくないだろう。
忙しいというのはどういう状況をいうのか。ブロ友のある作家さんも、部屋に閉じこもってばかりで暇そうに見えるがあれやこれやと頭を酷使して大忙しだと書いていた。私と同様、仕事中はじっと机だとか顕微鏡にしがみついているだけなのに忙しいというのが共通していて面白い。病理診断科の仕事部屋からほとんど出ることのない病理医なんていうのは、病棟を駆け回ったり、急患対応をして座る暇もないような臨床医に比べれば石像のように見えるかもしれない。でも忙しい。実際のところ、病理診断の件数も伸びていて、今日診断した症例の提出日は去年だったらちょうどひと月先だった。年末には一体どうなっているか少し心配になるほどだ。
こうして考えてみると、忙しさというのは物理的な問題ではなく、個人個人の精神的な、考え方の問題にしか過ぎない。だとすると、”自分は忙しい”と追い込む必要はないし、ましてやそのことをアピールする必要もない。私の場合、仕事に追い立てられると、そのことを周囲に言ったり、このブログに書いたりする。それはたぶん追い込まれてパンパンになってしまった精神の悲鳴とガス抜き、といったところだろう。忙しくても、そのことを口に出さずに日常を淡々と進めていく人というのもいて、わたしもそんな風になれたらいいと思う。
生き方は様々