こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

”普通の生活”の範囲

2022年09月26日 | 日々思うこと、考えること
秋のシルバーウィークも、最終日は晴天となり、今年の墓参も無事済ませることができた。

休みの日は普段より1時間ほど多く眠るが、今日はむしろ普段より30分近く早く目が覚めた(つけ加えると、血圧も普段より10高かった)。
近い将来、現役を引退して毎日が日曜日となったら睡眠のサイクルはどうなるのだろう、たっぷり眠れるのだろうか、それとも思ったほどでもないのだろうか。
誰にも拘束されることがなくなったとしても、おそらく”なにか別の”気になることが生じて、結局熟睡することなどできなくなるように思う。
妻も、私に合わせて早起きして弁当を作ってくれたが、彼女なりにリズムは変わっているに違いない。
いずれにしても、(今のところ)普通の一週間が再開した。

台風の影響で、静岡では断水などが続いているということで、1日も早い復旧を願うばかりだが、雨風をしのげて、水と火と安全が確保される生活というのがどれほど得難いものかということを考えてしまう。

普通のとか普段のということは当たり前にあるものではないし、簡単には手に入らない。
こういう”得難い”生活が当たり前のものと思ってはいけないのだ。

ロシアからの侵略に耐えているウクライナの人々はもとより、その余波で食糧危機に陥っているアフリカ諸国の人々、水害で苦しんでいる国の人々など、国家レベルで災難に直面している国はいくらでもある。
その国では普通かもしれないが、ネットの発達した現代では普通は地域レベルの話ではなくなっている。

ろくな政治家のいない国も多い、というかろくな政治家など世の中にいるわけがない。
仮にいたとしても、その思いを達成することのできる人が十分に周囲にいることはまずない。
国葬の行われる安倍元首相はどうだろう。
全ての人から尊敬されるということはあり得ないので、国葬に反対する人がいるのは当然で、世論は人の数だけある。
賛成と反対が半々ならいいのではないか。

見方によっては彼が政治家として難病をおしてふたたび総理となったことは評価されるべきことだし、凶弾に倒れた無念さとともに、反テロの象徴として弔われてもいいのではないかと思う。
国葬の是非についての議論から話を逸らそうとしているのか、NHKでは昨日から”弔問外交”という言葉が頻繁に出てきている。
それはそれでいいのかもしれないが、なににいくらかかったのかは後日明らかにしてほしい。

厳戒態勢

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