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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

アイロンをかけながら考える

2021年05月16日 | 日々思うこと、考えること
 近畿、東海地方が梅雨入りして、来週には関東地方もこれに続きそうだ。
 鎌倉は朝から雨が降ったり止んだり。降水確率は40−50%って、そのままじゃないかという感じ。

 バラの剪定をしたりハンギングを手直ししたりと気がついたところをちょこちょこやっているうちに時間が過ぎる。次はアイロンがけ。もともとアイロンがけは嫌いではなく、自分が仕事に着ていくシャツとかお弁当包みとかを綺麗にする。最近では妻の服もやらせてもらっている。
 頭を空っぽにして、なんてことではなく、小さいエリアからまずやって、とか、ここにはシワが残っていないか、なんてことをいろいろ考えながらやっていると意外と面白い。大したことではないけれど考えることもいろいろある。
 腰痛は相変わらず治っていないので、ひとしきり終わると余計に痛くなっているけれど、まあ、準安静と思ってやっている。
 あすから仕事、ちょっと忙しい1週間になるが、しっかり頑張っていこう。
静かな1日

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今年は梅雨入りが早い

2021年05月15日 | 日々思うこと、考えること
 まだ5月も半ばというのに、九州四国中国が梅雨入り、どこも平年よりも3週間ほど早いとのこと。太平洋高気圧が張り出してきていて、これが異常気象のせいなのかどうかわからないし、もはや異常と言ってはいけないのかもしれない。

 予報は曇りだったが、晴れて、穏やかな1日となった。
 午後から班会議。もちろんウェブ利用で楽ちんだ。元息子の部屋で会議に臨んだが、気温が高くなったのか締め切っていたら少し蒸し暑さを感じた。
 ベランダに出たら、手すりにトカゲが。まだ子供なのだろうか近づいても動こうとしなかった。これから動物が成長していく季節だ。
 去年、息子夫婦がプレセントしてくれたヤマアジサイが、一足早く咲き出した。
明日は雨

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こんな時だし、誰が勝ってもいいじゃない

2021年05月14日 | スポーツ・健康・ダイエット
 コロナ禍で見直されてきたのが、物事の要不要。よくよく考えてみると、人間が生きていく上で本当に必要なことなどどれほどあるだろうか。人間社会は肥大してしまい、何が必要なのかが見えなくなりつつある。

 飲食店にしても、定食屋は必要だが、居酒屋・バーなどあってもなくてもいいことが明らかになった。各種ハラスメントの温床となる宴会が減り、助かっている人も少なくないだろう。

 芸術、芸能分野も要不要の見直しに迫られている。様々なことの価値観の急激な変容によって、美の価値観がこの先どの様に変わっていくのかよくわからない。はたして、モナリザは人類にとって必要なのだろうか、そんなことすら頭をよぎる。致死率の高い高齢者によって支えられているクラシック音楽界はこの先どうなるのか。

 そして、スポーツ。

 東京2020がこんなことになったのは新型コロナウイルス感染症のせいなのだから、政府にも、都にも責任はない。ただ、お金のことがあってオリンピック、パラリンピックをどうしてもやるというのなら徹底した感染対策が必要で、無観客で各競技場内で選手役員だけでやったらいいだろう。インドなど変異株が猛威をふるっている国からの選手役員を受け入れるというのならば、その人たちにはより一層の隔離的扱いが必要となる。ある意味、隔離された環境の中で行うことに対してどう感情移入したらいいのかわからない。そんなオリンピック、パラリンピックはそれを観る私たちにどんな感動、元気を与えてくれるというのだろう。命とスポーツを天秤にかけたら、どちらが重いか。考えるまでもないことだ。

 それぞれの人が健康増進のために楽しむものであるスポーツに、そもそも人生を賭けるほどの優劣をつける必要などあるのだろうか?誰が勝ってもどうでもいいことではなかろうか。”競い合う”、すなわち誰かを負かすということを目的化することにどれほどの意味があるのか。こんなことも、コロナ禍が明らかにしたことの一つなのかもしれない。
いまさら誰が勝ったところで

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リモートワークは人間の代替可能性を顕在化させる(下)

2021年05月13日 | 電脳化社会
 リモートワークによって、人間の代替可能性が明らかになってきたと感じる。今、多くの人が直面しているのは

「モニターの向こうは仕事さえできたら誰でもいい」

ということだということだ。

 以前勤めていた病院の事務官が

”医者の替わりなんていくらでもいるよ”

 と話していたのを思い出した。それ以来、病院の事務職幹部の中にはそんな考えの人がいるのだと心に留めておくようになった。今、コロナ禍で多くの医療従事者が疲弊しているが、政治家や役人にとって末端の医療従事者などいくらでも代わりのきく存在なのだろう。少なくとも"医療を必要とすること"に直面したことがなければ、想像力に欠ける彼らには理解できない。医療に関しては私も関わっているため憤慨もするが、そのほかの仕事については、私もそう考えていることが少なからずあるはずだ。人間にとって自分以外のほとんど全ては代替可能な存在だ。

 そういったことはこれまで”倫理的に”封印されてきた。目の前にいる仲間こそ、自分たちの目的を達するために必要不可欠な存在であると思い込んできたが、実はそうではないことがIT技術の発達により明らかとなってきた。リモートワークであれば、その担い手として必要なのは、直面しているタスクを処理する能力だけであってそこに人間的な素養は不要だ。気が利くか利かないかなどどうでもよくて、仕事さえこなせたらどうでもいい。人間でなくてもAIで十分だ。というか、モニター越しには”人間的な”気の利かせようもない。まだ、対面の頃の”思い出”に支配されている人が圧倒的に多いが、今後も、顔の上半分しか見ない付き合いが続けば感情的な繋がりも失われる。

 そんな時代に突入し、全てをさらけ出すことができるのは肉親だけとなるが、”田舎に帰る”こともままならなくなり、モニター越しに会話するだけでは、祖父母と孫などという関係も消滅するかもしれない。少なくとも、今3歳ぐらいの子が、モニター越しにみる年寄りをほかの老人と区別して肉親と認識することは難しい。年寄りであれば、だれでも祖父母になることができる。

 新型コロナウイルス感染症に対抗するには、人間の叡智の到達点の一つである電脳化技術しかない。リモートワークに代表される対処方法は有用だろう。そのことは人間の代替可能性を顕在化させることになってしまい、それにより今まで思ってもみなかったようなことに直面するかなとになるがそれは致し方のないことかもしれない。
どう生き延びるか

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リモートワークは人間の代替可能性を顕在化させる(上)

2021年05月12日 | 電脳化社会
 昨日は1日中ほとんど曇っていたうえ少しひんやりしていたが、今日はごく薄曇りというか晴れ。全国的には九州まで梅雨入りし、関東地方も早晩雨の季節を迎えることになるらしい。
 1日、リモートワークをしただけで、ずいぶん長い時間職場を離れていた様な気がする。週末、祝日に休むのとは違う感覚だ。自分がいないからといって、時間が都合よく止まってくれることはなく、その間にも色々と仕事が進行しているからだろう。遅れをキャッチアップするには昨日の”リモートワークモード”を”通常モード”に切り替えなくてはいけないのだけど、これが案外難しい。私とは逆に、近所にはほぼリモートワーク、なんて人がいるが、あの人なんかは逆に出勤した次の日は大変なんじゃないかと思う。

 人流を下げることを目的としたリモートワークをいきなり普及させるというのも、無理な話だが、徐々にでも進めて、「仕事に出た翌日はリモートワーク」みたいにすれば週に2日くらいの出勤体制ぐらいは達成できるのではなかろうか。それだけでも”人の流れ”の削減に役立つ。これに時差通勤を組み合わせたら、通勤ストレスもずいぶん軽減されるはずだ。

 ただ、リモートワークをあんまり徹底させると、離人感というか、自分がただのパーツと感じる様になってしまう人が増えてしまうだろう。もともと人間誰しも代替可能な存在であり、いなくてはならない人、というのは基本的にはいない。それなのに、自分の場所を取って変わられると困る。誰しもが大なり小なりそのことを感じているから現場に行って自分の場所を確保したくなるのだろう。これも、リモートワークの進まない原因の一つの様な気がする。

 かくいう私にしても代わりはいくらでもいる。以前この病院にいた病理医が離職してから3年ほどかかったものの、結局のところ私がその後釜として入ることになった。だから今度もし私がいなくなったとしてもいなくなった当初は、人探しに苦労もするだろうが、そのうちになんとかなる(はずだ)。そんなことは過去の偉人にしてもそうだ。もしその人がいなかったとしても、どうということはない別の歴史が作られただけだ。そういう意味で、電脳化社会はそんな人間の代替可能性を顕在化させつつあるのではなかろうか。
(明日に続く)
モニターの向こうは仕事さえできたら誰でもいい

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みんなの機嫌がわるくなってる

2021年05月11日 | 日々思うこと、考えること
 去年の緊急事態宣言以来の在宅勤務。術中迅速診断の予約もなく、連休明けで少し検体数も少ないので、事務仕事を家で片付けることにした。患者さんの情報はもちろん持ち帰っていない。そんな今日は通勤がないので昨日と違ってストレスフリー。
 そのおかげで、部屋でじっくり仕事ができた。たまに立ち上がって伸びをしようとするのだけど、腰痛が治っておらず、またギクッとなる。明日には治っていて欲しいのだが、心配。
 新型コロナウイルス感染症、変異株が猛威を振るっているというニュース、ワクチン接種率が”先進諸国”中最低レベル、という話を聞いていると暗くなる。在宅だと、朝のニュースはもとより、昼休みのテレビニュース、夕方以降のニュースを見ることになるが、どれを見て不機嫌そうな人ばかりが出てくる。緊急事態宣言で困っている人へのインタビュー画像、文句を言うことが仕事の様なコメンテーター、そして不安そうなアナウンサー、みんな機嫌が悪そうだ。こんな話を聞かされたり、顔を見せられていたら、当然といえば当然だ。
 日本中みんな機嫌が悪くなる状態、なんとかならないものか。人と人が接触することで感染が広がるという当たり前のことをどうやって理解し、浸透させるか。そんなことを含め、もう少し工夫して、”人流”を下げる在宅勤務、リモートワークを増やすわけにはいかないか。そういう、根本的なことを真剣に考える時だと、いざ、自分がやってみると去年の緊急事態宣言の時以上に考える。
東京だけの問題ではない

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これはツイていないのか、それとも実はツイているのか

2021年05月10日 | 通勤・交通・旅行
 今年はバラの当たり年らしく、ほうぼうで見事に咲く様々なバラを見る。わが家のバラもそれなりに咲いてくれて、喜んでいる。とくに、この冬に苗を植えたのが見事な大輪の花を咲かせてくれたが何より嬉しい。苦労して穴を掘った会があるというものだ。
 腰痛は一向によくならないが、病院で顕微鏡の前に座っている限りは問題ない。通勤でも、座ることが出来てしまえばまあ大丈夫。そんな私は、毎日、神奈川県から東京都内へ片道2時間近くかけて往復している。電車に乗っている時間が長いとそのこと自体がストレスとなる。とくに乗車マナーの悪さは最大のストレスであり、露骨に嫌な顔をしてしまったり、舌打ちをしてしまったりするため、身の危険を感じたことも1度や2度ではない。それでも、今まで何とか生き延びているわけで、これというのは幸運といえるのだろう。
 乗車マナーの悪さというのは、もうその人本人の問題であって、そのことに対して文句を言ったところで直してくれないので意味がない。そんな私にしてみても、気が付かないうちにひどいことをしていることがあるはず。”たまたま”スマホを開いた時にすれ違った人からみたら、立派な歩きスマホでマナー違反だ。スマホをいじりながら歩いてくる人にぶつかって怪我をさせたなんてことが事件になっていたが、歩きスマホの方が悪いのに、それでも怪我をさせてはいけないということになったみたいだ。つくづく電車通勤というのはストレスが多いものだと感じる。
 電車が来て、いざ乗ろうと思ったら自分の並んでいたドアから降りてくる人がやたらと多くて両脇のドアから乗ってきた人がどんどん座ってしまう。
とか、
 すんなり乗ったのに、今度はそのドアのところだけがやたらと混んでいたりとか、
 そんな時、ツイてないと思うのは馬鹿馬鹿しいことだろうか。それとも、こんな時は2、30分立って足腰の鍛錬になるとでも考えてツイていると考えるべきか。
 こんなこと考えてしまうこと自体、自分で余計なストレスを生んでいるわけで、バカバカしいことだ。

 こんなことなら自動車通勤にしたらいいのかもしれない。マスクは外していられるし、なにより歩きスマホの人が前から突っ込んでくることもない。毎日毎日1時間半ぐらいハンドルを握るというのも面倒だし、運転の下手な人の後ろにでもついて距離を詰めたらあおり運転なんてことになっても困る。それに、ながらスマホ運転の車に突っ込まれる危険もある。
一生痛勤地獄

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丁寧な生活で腰痛と付き合う

2021年05月09日 | 日々思うこと、考えること
 各地で夏日となった暑い日。でも私の腰痛は今日も治まらず。マルチーズのコロの散歩はなんとか行ったものの、そこまで。昨日、無理しない様にというコメントをいただいていたが、DIY、ガーデニングと連休にやり残したことがあってその仕上げをした。
 
 一つ一つの動作で腰が痛くなるので、無理な動きは禁物。いっぺんにいくつもの動作をしてはいけないので、ゆっくり動く。奇しくも一つ一つの動きを丁寧に行うことになった。
 今日は母の日。イギリスに留学中の娘から花が届いた。遠くにいても、忘れないでいてくれる様だ。イギリスでは母の日はどうやって祝うのだろう。今度聞いてみることにする。
結局痛いまま

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腰痛再増悪

2021年05月08日 | 日々思うこと、考えること
 連休中よりも風が弱く、穏やかな天気。
 水やりをしたり、寄せ植えの続きをしたりしているうち、時間はあっという間に過ぎ、気がついたら夕刻。あわてて、近所のスーパーに買い物に出かけた。
 帰ってきて、風呂の用意をしていたら、腰を少しひねったらまた痛みが。風呂に入って温めたが、そんなことで治まるわけはなく、膏薬を貼って安静にすることにした。
明日は続きできるかな

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前に進んでいかなくては

2021年05月07日 | 日々思うこと、考えること
 似た様な朝が続いた連休までと変わって、春から夏へと毎日少しずつ空の表情が変化していることを実感する。チューリップもパンジーもほとんど終わり、紫陽花とバラに主役の座を明け渡しつつある。

 新型コロナウイルス感染症で亡くなった人は、今日現在、国内で10,513人、世界では325万人ということだ。亡くなった人の中には基礎疾患を持った人が多く含まれているからコロナだけが原因とは一概には言えない。人の死というのはそれぞれの人それぞれ固有の理由があり、十把一絡げに論じてはいけないものだ。

 剖検(病理解剖)で、患者さんの経過を臨床医と話していると、その人固有の人生のあることがよくわかる。直接死因が肺炎だとしても、その原因は新型コロナウイルスであったり、インフルエンザウイルスであったり、他のウイルスであったりして様々だ。動脈硬化にしても、ガンにしても、感染症にしても、その疾患自体が宿主(=患者)に対してあたえる影響、さらにはそこから死に至るプロセスは組み合わせによって大きく異なる。わからないことだらけだ。
 医療というものの前に、新型コロナが立ち塞がって、その進歩すら止めようとしている昨今だが、私たち医療者はそんな中でも前に進んでいかなくてはいけないと、ふと我に返って思う。
面倒がらずに

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今日からが5月?

2021年05月06日 | 日々思うこと、考えること
 昨日になって、枕元のカレンダーをめくっていないことに気がつき、慌てて5月にした。幸い職場のカレンダーは、先月末にめくっておいたので、連休中に日当直で出てきた技師さんに見られてみっともないことにはなっていないだろう。1日(土)からずっと休みのせいで日付の感覚がすこしボケたみたいだ。

 休みがあと何日、と考えはするもののそこまでで、家の細々したことをしているうちに連休などあっという間に終わってしまった。仕事関連のことはほぼできなかったが、昨日家に置きっぱなしだった一部の書物を運んでいったのと、植木に水をやったのでよしとしよう。連載の4本目も無事脱稿できたのだが、今月末までに5本目を仕上げなくてはならない。

 書斎(以前の息子の部屋)のカレンダーもめくり、3日に再発した腰痛もほぼ治っていて

 「さあ、今日から仕事」

 と、カバンを持ち上げ、心機一転頑張ろうと思ったけど、なかなか調子が出てこない。毎朝のベランダからの写真も撮り忘れてしまった。家を出るのはギリギリになってしまったが、なんとかいつもの電車に飛び乗った。今日も電車はそこそこ混んでいた。去年の今頃は本当に電車に乗っている人は少なかった。なんで、あそこまでできたのか、なんで今はあの時の様にできないのか、自分自身の行動も含めよくよく考えてみなくてはなるまい。というか、そういう検証を政府はやっているのだろうか。

 緊急事態宣言はやっぱり延びる様だが、病院勤めの人間には関係のない話。新型コロナウイルスにかかる人はいるが、それ以外の病気になる人はもっといる。そんな病気の人のための医療が細っているのは深刻で、

 ”この国の病床数はもっとたくさんあるのに、コロナに充てることができないのはシステム上問題だ”

 という論があるが、それはそれで確かにそうだが、これまでのこの国の医療体制ではそんな“非新型コロナウイルス感染者用”の病床が十分あったおかげで、国民皆保険、皆(ある程度)平等な治療を受けることができたわけで、その辺のことをよく考えなくてはいけない。

 新型コロナウイルス感染症が理由となって、急性・慢性疾患の受診控えがおこってしまっているのも問題。定期的なフォローアップの必要な疾患の方など、変化の予兆を見逃すことになりかねない。

 まあ、いずれにしても今日から5月が始まる様な感じとなってしまった。休み明けは忙しかったが、まあ、こんなものだろう。
リモートワークも

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母の日のプレゼントのカーネーションの寄せ植え、その他

2021年05月05日 | ガーデニング・菜園・花・緑
 今日も強い東風。少し湿り気も混じっていて、雨の季節がかすかに感じられる。

 朝から忙しかった。母のプレゼントをと、昨日園芸店に行ったが、なかなかいいのがなかったので、自分でカーネーションの寄せ植えを作ることにした。
 ハンギングをいくつか植え替えたが、それまで植わっていた花(宿根草)をほかの鉢に移すという作業があって、けっこう忙しかった。
 ある程度終えてから、母のところにプレゼントとしてカーネーションの寄せ植えを持っていった。
 ついでに家にあった教科書数冊を病院まで持っていった。
ちょっと疲れた

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オリーブの枝の誘引

2021年05月04日 | 日々思うこと、考えること
 昨日までの強い東風は少しおさまった。

 この間買ったオリーブ、少し上の方に枝がいってしまったので、広げることにした。
 初夏の陽気で気持ちのいいそよ風の中、ベランダであーだこーだと悩みながら小一時間。それなりの形にした。

 1、2年このままにしておくことにする。
一部折ってしまったが

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腰痛、再び

2021年05月03日 | 日々思うこと、考えること
 東からの風が強く吹いている日。朝起きたら、腰痛がまだひどくなっていて、湿布を貼って、痛み止めを飲んだ。

 少し落ち着いたところで、集め終わった自治会費を役員のさんの家に届けに行くことにした。ご自宅にいたら渡せばいいと、妻とマルチーズのコロの散歩がてら届けに行った。いつもの散歩の距離を超えし、コロの足ものこともあるので、途中で乗せてやれる様、自転車持参。
 途中から自転車に乗せてやったら大人しく乗ってくれた。以前、フラットコーテッドレトリバーのナイトと歩いたことがあったが、町内会の役員として歩いてみると景色が違って見える。不思議なものだ。
風は強かったが、気持ちのいい散歩だった。
午後は大人しく過ごす

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やっと読めたギャッツビー・・・2021年4月の読書記録

2021年05月02日 | 読書、映画、音楽、美術
 気持ちのいい朝。もう5月2日。

 待ちに待ったギャッツビーを読む前に、筒井の新作が出ていると知って手に取ったが、ちょっと期待はずれ。死ぬ前に読んでおきたい名作、次はいよいよレ・ミゼラブルに挑戦、のつもり。

読んだ本の数:2
読んだページ数:607
ナイス数:33

第一次世界大戦後の話とは知らずに読み始めた。読み終えて、フィッツジェラルドはWWⅡ前に亡くなっていることを解説を読んで知った。ずいぶん古い小説だったんだ。ディカプリオ主演の映画のあることは知っていて、彼の顔とパーティーの場面をチラチラして心境は複雑。ギャッツビーは実体があったのに、幻のように消えてしまう。それは彼だけでなく、人間みな泡のような存在で、実体など無い、それでもほんの少しの友情は救いとなった。
読了日:04月24日 著者:F.スコット フィッツジェラルド

筒井康隆回顧録。”花魁櫛”以外に小説らしい小説はなく、がっかり。それならそうと書いておいてくれたらいいのに。ショートショートでいいので、あと数本読みたかったな。
読了日:04月13日 著者:筒井 康隆

 午後、息子夫婦の新居を訪ねた。幸せそうな2人を見て安心した。
午後は雷雨

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