Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

仕掛け時の遅れ(3/8浦和対鳥栖)

2014-03-08 21:10:25 | 浦和レッズ
埼玉スタジアムから帰ってきました。試合内容はあとで書きます。

以下追記。

浦和は長身FW豊田対策として、チームで一番フィジカルの強い浜田を右DFで起用し、鳥栖が得意とする豊田めがけてのロングボールで豊田と競る役割を与えました。確かに、鳥栖のロングボールを封じるだけなら、浜田は機能したでしょう。しかし、浜田を起用するならDFの真ん中がベストで、ミシャサッカーの場合サイドのDFにはある程度攻撃センスが要求されるので、ちょっと浜田には厳しかったのが正直な感想です。

結果的には、浜田のミスから拾われてサイドの安田のクロスから、マークしなければいけない豊田に前半9分にゴールを決められているので、豊田を消すために浜田を起用したミシャ采配はうまくいかなかったと結論付けられます。ただ、この試合がどうやっても勝てない試合だったかといえば、対策の立て方次第で何とかできたチャンスはあったと思います。

敗因はミシャの仕掛け時の遅れだったと思っています。鳥栖は4-4-1-1で後ろ2ラインをコンパクトに保ついつもの形でしたが、意外にも浦和のアウトサイドを挟んでボールを取りに行く強気な守備ではなく、真ん中に人数をかけて相手の攻めを跳ね返すべく、4人のDFを近い距離に保ったブロックを組んでいました。浦和のアウトサイド、森脇と宇賀神は空いており、4バックの相手は浦和のアウトサイドをマークしにくいという、ミシャサッカーのストロングポイントは出せた状況でした。

これにもっと早く気付いていれば、もう少し早く右アウトサイドに関口を入れて積極的に仕掛ける手は可能だったと思います。森脇が右アウトサイドなら、どうしてもクロス主体の攻撃になってしまうので、鳥栖の真ん中を固める守備にはまる結果になりました。もう少し早く右アウトサイドをスピードのあるタイプに変えていれば、展開は変わっていたのではと思います。

鳥栖が最後の時間で、池田(22番)を下げてキム(2番)を投入した尹監督の采配に注目していましたが、キムを最終ラインに入れて5バックにしてきました。それだけ、鳥栖サイドも浦和のアウトサイドが空くことには気づいていた証明で、それだからこそなおさら、もう少し早く仕掛けていればとの思いは強くなりました。まだ言い足りませんが、それは明日のマニアック分析で書きます。
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ポリバレントの走り(福永泰)

2014-03-08 11:38:15 | 浦和レッズ
今日は埼玉スタジアムに行くので、鳥栖戦のネタの即日更新はできないかもしれないので、穴埋めネタを用意して出かけます。サッカーでいろんなポジションができることをポリバレントと言いますが、私のような古株の浦和サポにとっては福永泰さんが印象的です。

福永は青山学院大から1995年に練習生契約で浦和に入団しました。3ヶ月で結果を出さないといけない厳しい立場でしたが、当時のオジェック監督に認められて最初からトップチームの戦力になります。福永の売り物はFW、トップ下、ボランチの全てを高いレベルでこなすことです。

一番得意なのはトップ下で、ボールコントロールがうまく単純にボールをさばける選手でした。FWで出るときは劇的なゴールを決められる印象で、1995年1stステージ広島戦(大宮)の同点ゴールや、カシマスタジアム初勝利の1998年鹿島戦のゴールが印象的です。

そんなテクニシャンの福永も、小野伸二の入団は衝撃的だったようで、「レベルが違う。小野伸二中心のチームを作らないといけない。」と話したほどです。小野伸二入団後の福永はFWでの出場が多くなり、福田と2トップを組む「福福コンビ」は浦和のストロングポイントでした。

福永といえばFKの印象もあります。福永の活躍していた当時は浦和の試合は駒場だったので、ピッチが近く弾道も見やすかったです。縦回転のボールでゴール上隅を狙うFKが多かった記憶があります。ベガルタ仙台に移籍後、負傷で引退しましたが、今でもフットサルの指導者として体を動かしていて、OB戦ではキレのある動きを見せます。

代表は残念ながら縁がありませんでしたが、こういう選手は浦和サポだからこそ記憶に残ります。あの時代に駒場で彼のプレーを見たねという記憶を、語り継げるといいなと思っています。
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