先日見たミラン対ユベントスは、ユベントスのボランチ、ピルロの元気な姿が見られたのが良かったです。まだピルロといえばミランのイメージが残っていますが、今はユベントスの堅守速攻を後ろから支えるキーマンです。
ピルロは有名になったのはインテル時代でした。次世代の10番候補と注目を集めましたが、当時のインテルのトップ下はバッジオで、ピルロは下位チームのレッジーナへ移籍することになりました。ここでピルロが活躍したので、レッジーナに入れ替わりで移籍した中村俊輔がピルロ並みの期待をされて苦しんだエピソードは覚えています。
ピルロほどの選手はレッジーナにずっといることはなく、ミランに移籍しました。しかし、当時のミランはブラジル代表カカとポルトガル代表ルイ・コスタというワールドクラスがトップ下を争うほどのハイレベルなポジション争いでした。ピルロは自らボランチ転向を志願して、試合に出るようになります。
ピルロにとって幸運だったのは、当時のミランにガットゥーゾとアンブロジーニという守備の職人がいたことです。当時のミランの試合を見ると、ピルロの守備はファウルをしないで止める技術が不足していました。ピルロのパスセンスを考えれば使いたいと思った当時のアンチェロッティ監督が、アンブロジーニをサポート役に置いてから機能するようになりました。
ピルロは見て楽しい選手です。たまに試合が膠着すると、チップキックで相手選手の頭上を抜いたり、軸足の後ろを通すフェイントを見せたりします。2007年のクラブW杯で生で見る機会がありましたが、当時のピルロのパスセンスは冴えていて、ミスキックなのではと思ったパスに、しっかり味方が追い付いていました。これではピルロにパスミスはないと、必死で守らないといけない浦和は、大変な思いをしました。
今回のW杯で、ピルロは代表引退を表明しているので、世界レベルで見る機会はブラジルが最後です。イタリア代表がどうやってこの希代のパサーを生かすかは楽しみにしていて、誰をサポート役にするかもイタリアの戦術の一つと期待しています。
ピルロは有名になったのはインテル時代でした。次世代の10番候補と注目を集めましたが、当時のインテルのトップ下はバッジオで、ピルロは下位チームのレッジーナへ移籍することになりました。ここでピルロが活躍したので、レッジーナに入れ替わりで移籍した中村俊輔がピルロ並みの期待をされて苦しんだエピソードは覚えています。
ピルロほどの選手はレッジーナにずっといることはなく、ミランに移籍しました。しかし、当時のミランはブラジル代表カカとポルトガル代表ルイ・コスタというワールドクラスがトップ下を争うほどのハイレベルなポジション争いでした。ピルロは自らボランチ転向を志願して、試合に出るようになります。
ピルロにとって幸運だったのは、当時のミランにガットゥーゾとアンブロジーニという守備の職人がいたことです。当時のミランの試合を見ると、ピルロの守備はファウルをしないで止める技術が不足していました。ピルロのパスセンスを考えれば使いたいと思った当時のアンチェロッティ監督が、アンブロジーニをサポート役に置いてから機能するようになりました。
ピルロは見て楽しい選手です。たまに試合が膠着すると、チップキックで相手選手の頭上を抜いたり、軸足の後ろを通すフェイントを見せたりします。2007年のクラブW杯で生で見る機会がありましたが、当時のピルロのパスセンスは冴えていて、ミスキックなのではと思ったパスに、しっかり味方が追い付いていました。これではピルロにパスミスはないと、必死で守らないといけない浦和は、大変な思いをしました。
今回のW杯で、ピルロは代表引退を表明しているので、世界レベルで見る機会はブラジルが最後です。イタリア代表がどうやってこの希代のパサーを生かすかは楽しみにしていて、誰をサポート役にするかもイタリアの戦術の一つと期待しています。