Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

ボランチ転向が吉(アンドレア・ピルロ)

2014-03-12 18:35:26 | ワールドサッカー
先日見たミラン対ユベントスは、ユベントスのボランチ、ピルロの元気な姿が見られたのが良かったです。まだピルロといえばミランのイメージが残っていますが、今はユベントスの堅守速攻を後ろから支えるキーマンです。

ピルロは有名になったのはインテル時代でした。次世代の10番候補と注目を集めましたが、当時のインテルのトップ下はバッジオで、ピルロは下位チームのレッジーナへ移籍することになりました。ここでピルロが活躍したので、レッジーナに入れ替わりで移籍した中村俊輔がピルロ並みの期待をされて苦しんだエピソードは覚えています。

ピルロほどの選手はレッジーナにずっといることはなく、ミランに移籍しました。しかし、当時のミランはブラジル代表カカとポルトガル代表ルイ・コスタというワールドクラスがトップ下を争うほどのハイレベルなポジション争いでした。ピルロは自らボランチ転向を志願して、試合に出るようになります。

ピルロにとって幸運だったのは、当時のミランにガットゥーゾとアンブロジーニという守備の職人がいたことです。当時のミランの試合を見ると、ピルロの守備はファウルをしないで止める技術が不足していました。ピルロのパスセンスを考えれば使いたいと思った当時のアンチェロッティ監督が、アンブロジーニをサポート役に置いてから機能するようになりました。

ピルロは見て楽しい選手です。たまに試合が膠着すると、チップキックで相手選手の頭上を抜いたり、軸足の後ろを通すフェイントを見せたりします。2007年のクラブW杯で生で見る機会がありましたが、当時のピルロのパスセンスは冴えていて、ミスキックなのではと思ったパスに、しっかり味方が追い付いていました。これではピルロにパスミスはないと、必死で守らないといけない浦和は、大変な思いをしました。

今回のW杯で、ピルロは代表引退を表明しているので、世界レベルで見る機会はブラジルが最後です。イタリア代表がどうやってこの希代のパサーを生かすかは楽しみにしていて、誰をサポート役にするかもイタリアの戦術の一つと期待しています。
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高校の修学旅行

2014-03-12 17:57:59 | 雑記
一年前のブログ記事で、昔の旅の記事が出てきたので、どこまで覚えているかなと高校時代の修学旅行のネタにします。ルートは山口から秋芳洞、広島の原爆資料館、奈良と京都は班別自由行動でした。広島では被爆者の話を聞くという貴重な機会もあったのですが、やはり印象に残っているのは班別自由行動です。

当時、私は旅のプランニングが好きで、この修学旅行も旅行委員としてプランニングに関わりました。そのため、班別自由行動くらいは簡単で、計画を先生に見せれば一発で通過しました。印象に残っているのは奈良のシルクロード博です。

今振り返ると、奈良の正倉院の歴史遺産は、正倉院が月曜日だけの公開という理由でなかなか見ることができません。しかし、この博覧会では正倉院の遺産がたくさん展示してありました。日本の正倉院の文化が素晴らしいのは、奈良時代の遺産の保存状態がいいことです。

のちに韓国に渡って、同じような歴史遺産を見ましたが、出土品で保存状態が良くありませんでした。それを考えると、歴史遺産を守り抜いた先人の努力が、琵琶や琴などがまるで昨日作ったような状態で残っていた事実に現れています。私は理系ですが歴史は好きで、先人がどうやって現代に至る文化を作ってきたかには興味があります。

このシルクロード博で予想外に時間を取られてしまったので、奈良は東大寺の大仏だけで切り上げ、JR奈良線で京都に向かいました。当時、奈良駅で顔写真を入れたオレンジカードが作れたので、メンバー5人全員で映ったことも思い出です。

京都は雨に降られました。傘を手に回った観光だったので、せっかくの歴史遺産も外観はあまり覚えておらず、知恩院や東本願寺で腰を下ろして休憩したことが印象に残っています。知恩院のウグイス張りや、龍安寺の石庭など、目立った特徴があるものは覚えています。

意外と、旅の思い出は休憩中に仲間と話すような些細なものが多いもので、龍安寺の石庭は見方によっていろんな解釈ができるのが売り物と聞きますが、私の思い出はゆっくりできた休憩の思い出です。龍安寺、実は畳の部屋でのんびりできるので、休憩場所としてはいい場所なのです。
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