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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「透析を止めた日」を読みました ~ 尊厳ある終末期を迎えるために

2025-03-23 22:44:42 | 本の感想

 

 話題の医療ノンフィクション「透析を止めた日」を読みました。

 著者は既に数々の賞も受賞しているノンフィクション作家の堀川惠子さん。

 ノンフィクション作品と言えば、取材を重ねて全体像を構築して真実に迫るという手法。

 しかしこの作品はなんと堀川さん自身が夫である林新さんの透析治療とその過酷さを目の当たりにして葛藤し戦い、そしてその戦いに敗れた記録であり、その過程をノンフィクション作家の視点として涙を乗り越えた書かれた鮮烈な作品です。

 構成は大きく二部に分かれていて、前半の第一部は腎不全であることを知りながら結婚した林さんとの病気との戦いの記録。

 林さんは腎不全から血液透析を余儀なくされますがまずは「止めたら死ぬ」という透析の過酷さが描かれます。

 一時は老いた母親からの腎臓移植で透析をしなくて済む時期もありましたがやがてその腎臓も機能を停止し再び透析の世界に戻ります。

 シャントという透析専用につくられた血管から血液を外に出して老廃物をろ過して又体内に戻す透析は一週間に三度ほど定期的に確実に行わなければ呼吸困難や高血圧、心不全などで確実に死に至ります。

 しかしシャントから行う血液透析も最後にはさまざまな要因で続けることができなくなります。

 林さんの場合も最後には全身の痛みが出て透析を止める日が来るのですが、そこから先は塗炭の苦しみを経て亡くなるしかないのだと。

 初めて知ったのですが、いわゆる「終末期に痛みをコントロールする緩和ケア」が普及してきたと言いながら日本ではそれはガンと一部の心不全の患者だけに適用される医療行為なのだそう。

 海外では腎不全を含めたもう少し幅の広い病気に対して門戸が開かれているところもあるようですが、日本ではそこにまだ理解とリソースが足りていないのが現状なのだそう。

 本書ではそうした現状の改善希望が強く訴えられています。


      ◆


 そして後半の二部では、嵐のような夫の看取りを終えた後で透析をめぐる医療の現場に深く入り込んで、よりよい透析環境を取材した記録が語られます。

 実は透析には前述のシャントを構築して病院で機械を介して行う血液透析のほかに、自分自身の腹膜を使って行う「腹膜透析」という手段があるのだと、著者自身も取材によって知ります。

 そして透析患者のまだ3%にしか行われていない腹膜透析では、何時間も機会に縛り付けられることなく、本人自身のケアや周りのサポートによって自宅や介護施設でも日常に近い生活ができるのだと知って衝撃を受けます。

 またその日常に近い生活は終末期の最後まで続けられ、透析患者であっても家族に看取られながらの穏やかな死を迎えられる事例が多いのだと。

 そんな中で腹膜透析という医療技術は真に患者に寄り添った一部の熱心な医師によって福音の輪が広がるものの、その医師がいなくなればまた消えてゆくという広がらないものなのだそう。

 それは現在の医療制度では、血液透析は病院にとって儲かるビジネスになっている側面があって、認知症や重傷で意識のない患者でも透析を行うことで点数を稼いでいる病院も少なくないといいます。

 血液透析には大量の水や電気が必要になりますが、災害時などでそれらが絶たれたときに注目を浴びたのがそれらを必要としない自己完結型の腹膜透析だったというエピソードも紹介されています。

 ただ著者自身が、「夫の生前に腹膜透析の存在を知っていたとしてそれに踏み切れたかどうかは自信がない」とも正直に書いています。

 それは患者側の知識の問題であったり医療者側の熱意や関心の度合い、医療提供者側の事情など様々な要素があるでしょう。

 しかし著者の堀川さんは、終末期の透析患者の辛さを身をもって体験したからこそ、改めて透析における希望の光を見出そうと取材を続け、まさに思いを同じくする医療者に出会うことができました。

 しかしまだその広がりは微々たるもので、病気の患者にとって尊厳に満ちた生と穏やかな死を迎えられる日はまだ遠い。

 このような水面に石を投じるような良書によって社会や行政や政治にも関心と行動が広がることを期待したいものです。

 

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「ホワイトカラー消滅」を読みました ~ ぼんやりしたホワイトカラーではなくアドバンスドエッセンシャルワーカーに

2025-03-18 22:07:38 | 本の感想

 

 近未来の労働ってどうなるのでしょうか。

 生成AIがますます進化して、「ホワイトカラーの単純な仕事はAIに取って代わられるよ」と脅かす人がいます。

 半分は本当かもしれませんが、そこまでのこともないような気もします。

 日本経済の未来も含めての将来像を学ぼうと、冨山和彦著「ホワイトカラー消滅 ~ 私たちは働き方をどう変えるべきか」を読みました。

 帯には、「人手不足なのになぜ人が余るのか? 企業支援の第一人者が語る、激変する労働市場」とあります。

 本の冒頭でまず、リクルートワークス研究所が公表した「未来予測2040 労働供給制約社会がやってくる」に触れ、2040年に1100万人の働き手が不足するという衝撃の予測を紹介します。

 人口減少で労働力が激減し、日本では日常の暮らしが守られなくなるという恐れですが、一方でまた、「2035年時点の労働供給市場では約480万人の雇用減少が起きる予測もある」と述べます。

 雇用減少の要因は、デジタル・トランスフォーメーション、生成AIなどによる省力化・効率化によって人間が行う単純作業が消滅するからです。

 著者は労働市場を、「グローバル経済 vs ローカル経済」×「ホワイトカラー vs エッセンシャルワーカー」というくくりで論じるのですが、上記のような効率化はローカルにとってはプラスに作用するが、"深刻なのはグローバル経済の保わあいとカラーだ"と言います。

 つまりは都会のオフィスでパソコンを前に働くビジネスパーソンの大半が必要なくなるのだと。

 そしてローカル経済でも雇用はあれど賃金は相変わらず物価上昇に追いつかない低賃金に置かれる。

 グローバルの人余りとローカルのローカルの人手不足に対応するためには国を挙げて、グローバル経済では世界に対抗して高付加価値ビジネスモデルで戦うしかないし、ローカル経済圏の生産性を大幅に向上するしかない、と著者は言います。

 そうした国を挙げて舵を切るには、社会通念や常識、価値観も大幅に変えなくてはなりません。

 会社も「それ昭和」と言われるような"不適切にもほどがある"ような古い体質を脱して、男女の平等実現だとか年功序列廃止、ジョブ型労働への移行など考えられることは素早く変えなくてはなりません。

 そしてそれができない経営者しかいないような企業であれば、従業員はさっさと退職して、それが実現されている企業に移ればよい。

 そうすることで時代についていけない企業は退出を迫られ、ついて行けるところだけが生き残っていく。

 そのためには日本社会が頑なにこだわっている「雇用を守る」ということからは少し外れるけれども、働き手側はそれを恐れず、さらには働き手の側もリスキリングなどで勉強と能力を高めて、どこからでも引き合いのあるような自分になるべきです。

 エッセンシャルワーカーというと、頭脳労働ができない肉体労働者のイメージがありますが、そうではなくて、高度なスキルを持って社会を支える「アドバンスド・エッセンシャルワーカー」になるべきなのだと。
 
 またホワイトカラーであってもリスキリングなどによって自らの付加価値を高めて「替えの利かない人材」として生きる、あるいは企業なども視野に入れた経営人材として自分を高めて行く。

 わが身に振り替えると、うすぼんやりしたホワイトカラーとして生きてきた自分を恥じる思いもします。

 これからの時代を生きる子供たち、生産年齢世代には厳しい時代と言えそうですが、より前を生きる年寄りには少しでも社会の価値観を変える側に回って、次世代の邪魔をする障壁を取り除いてあげたいところです。

 間違っても「昭和は良かった」を持ち出して、古い概念に固執して社会の変化を妨げる側には回らずにいようと思います。

    
        ◆


 著書の最終章には著者からの「日本再生への20の提言」が列挙されています。

 曰く、①歴史的な大転換期の認識を共有せよ、 ②豊かなローカル、強いグローバルの国を目指せ、 ③人口減少の危機的局面を国と社会の再生の梃子とせよ…、とありますが、その④は、「シン列島改造論のすゝめ」として、「人口8000万人じだいに『多極集住』で『密度の経済性』を実現できる国づくりを、とありました。

 昨日の道総研さんのフォーラムでは人口減少の地域を支える地域経営団体が話題になっていましたが、もっと大きな視点でいうと、「この美しい国土を守り、そこで安全かつ豊かに暮らしてゆくためには辛抱強くコンパクト&ネットワークで中核都市と幹線道路沿いへの集住を進め、それに合わせてハード整備とインフラメンテナンスをサイバー技術・デジタル技術と連動して高効率に行うことが必要となる」というのが著者冨山さんの主張です。

 さて居性が歴史的な特徴である北海道での暮らし方をそのような形にシフトすることに抵抗があるとしたらそれは過去への固執なのか。

 果たしてそれができるのか。

 できなければやはり衰退しかないのか。

 著者は「変わらぬ忍耐は停滞する安定をもたらした」と述べていました。 

 著者の具体的な提案に対する答えを私たちは探して行動を起こさなければいけないという時代認識をもてるでしょうか。

 特に次代を担う若者に読んでほしい一冊です。

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捕らわれるな ~ 「虫坊主と心坊主が説く生きる仕組み」を読む

2025-01-25 23:09:00 | 本の感想

 

 私こと、年齢を重ねるとともに本が読めなくなってきました。

 本が読めないと「困る」のかと考えてみると、さほど困ることはありません。

 情報ならスマホでもパソコンでも新聞でも、自分が必要としている以上の情報が提供されますし、プッシュ型でこちらがわからないことなら探せば大概のことはでてきます。

 最近は動画で詳しく教えてくれる動画サイトや音声で伝えてくれるもあって、サービスも自分が選べばお望みの情報が手に入りやすくなっています。

 しかし! 読書って情報を得るためだけのものではありません。

 逆に、液晶の画面を視て疲れた目と脳を休めるひと時でもあるかもしれません。

 液晶画面と本の活字を見るのとでは、目の疲れの種類が違うようにも思われますし、同時に脳の疲れの種類もやはり違うように思われます。

 
      ◆


 そんななか、昨日書いたことと類を同じくするのですが、「読めなくなったな~」と嘆くだけでは、読書への意欲と関心がうすれ"億劫になっている"ことへの恐怖を感じます。

 そんなときは、なにも難しい本を読むのではなく、さらりと読み流して心に風を送るような読書も良さそうです。

 今回読んだのは養老孟司さんと名越康文さんの対談書「虫坊主と心坊主が説く~生きる仕組み」という本です。(実業之日本社)

 養老孟司さんは解剖学者で東大名誉教授、「バカの壁」が大ヒットした著作家でもあり、大の虫好きなのでここでは"虫坊主"とされています。

 また名越康文さんは、精神科医でいながら「驚く力」などの著作多数でコメンテーターとしても活躍中。なのでここでは"心坊主"とされています。

 この本はいくつものテーマでお二人に対談をしてもらい、その内容をライターが書き記したという体でできています。

 一つのテーマでの語らいがせいぜい2000文字くらいなので、さらりと読めてときどきドキリとします。

 お二人の対談は、「仕事って何ですか」「成功って何ですか」「世の中って何ですか」などの章立てにまとめられて、一見好き放題に語っています。

 もともとお二人とも、この本を出したところで世の中を変えようと思っているわけではないし、何かを教えようと思っているわけでもありません。

 でもお二人なりのモノの見方を通してみると、「なるほど」「そうお考えですか」という新鮮な驚きがあります。

 通底しているのは「捕らわれるな」ということ。

 当たり前と思われているいわゆる「常識」というのは、社会の中でうまくやっていくための知恵ではあるけれど、それに捕らわれるとそこの中に留まるために苦労する。

 だから「ほどほどにしろ」という感じ。

 でもそれは世間に逆らえ、とか自分一人だけでも正論を主張しろ、というのともちょっと違います。

 世の中とは何か、をちゃんと知ったうえで"上手に付き合うといいですよ"というもので、そこにほどほどという感覚が出てきます。

「こうやったら成功しますよ、と言われてその通りにやって成功したら楽しいのかね?」

「今の流行に乗っかったって、いずれその価値観も変わるしね」

 
 決してビジネス書に見られるような「成功のためにまっしぐら」な情報ではなくて、ちょっと東洋的で漢方薬のような、「これを知っておくと、後々楽になる」という語り合い。

 最近は"品格"とか"上品"とか"品がある"ということが気になってきた私ですが、逆に言うとそれだけ品のある人が少なくなってきたということなのかもしれません。

 お二人のちょっと品のある対談を読む傍らには、コーヒーよりはお茶が似合いそうな気がします。

 自分にもこの手の話ができる対談相手ってほしいものですね。

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【勘違い陳謝】 内田樹著「だからあれほど言ったのに」を読む

2024-12-25 23:24:29 | 本の感想

 

【冒頭の陳謝】

 お恥ずかしいことに、掛川で榛村市長さんから教えていただいた内山節さんと内田樹さんを勘違いした文章をアップしてしまいました。

 コメントでご指摘を頂いて、誤った部分を修正したうえで再掲します。改めてお詫び申し上げますとともに、ご指摘くださった読者の方に感謝申し上げます。

 大変失礼いたしました。

 

ーーーーーー【以下、勘違い部分を書き改めてうえで再掲します】

 

 内田樹(うちだ・たつる)」さんの本を読みました。

 今年の春に刊行されたエッセイ集「だからあれほど言ったのに」(マガジンハウス新書)です。

 さらりと読み流せるエッセイの数々で、様々な媒体で書いたものを集めて編集した一冊とのことで、深い知性と教養が味わえました。

 
      ◆


 今の内田さんの肩書をWikipediaで探ると、「日本のフランス文学者、武道家(合気道凱風館館長。合気道七段、居合道三段、杖道三段)、翻訳家、思想家、エッセイスト、元学生運動家、神戸女学院大学名誉教授」となっています。

 Wikipediaでは最後に「立憲民主党パートナー」とも書かれていて、まあ政治を語るときには今の国のありようや政治体制、与党体制にちょっと辛めの批評が登場します。

 
 それはそれとしても、フランス文学者や思想家、武道家としての立場から書かれたエッセイでは知らない知識からのアプローチに「へえ~」と感心したり、「まさに!」と激しく同意する気持ちに膝を打ったりして、自分の心の中を掻き乱される思いがする語りでした。

 あとがきにはご自身で「読み返してみると…、中心的なテーマは『日本の未来を担う人たち』をどうやって支援するか、ということに尽くされているように思った」とあり、さらに「とくに子どもたちを『決して傷つけずに"無垢な大人"に育て上げる』ということが今の日本人にとって最優先の課題ではないかと思います」と書かれています。

 
 実際のエッセイにも、「学校は格付けするところではない」というタイトルの文章に、「今の学校は子どもたちを成績で"格付け"する評価機関になっているが…、学校は子どもたちの成熟を支援する場だと思う」と書かれています。

 続いて、「昔の日本では子供たちは七歳まで「聖なるもの」として扱うという決まりがあった」とか「子どもは七歳までは異界とつながる聖なる存在として遇された」と書かれています。

 なので、「この世ならざるもの」とこの世を橋渡しするものには童名をつけるという習慣があるのだ、として、「酒呑童子」や「牛飼いも童名を名乗った」という例や「船に〇〇丸とつけるのは海洋や河川という野生のエネルギーと人間世界の間に立つものだから"子ども枠"に分類されるのだ」などと教えてくれます。

 そういう視点でものを考えたことがなかったので目からウロコでした。


 子どもたちがまだ半分はこの世ではない異界の存在で、だからゆっくりとこちらの世界へと導かなくてはならない壊れやすく傷つきやすいものなのだ、という感覚は、日本人としてはどこか分かるような気がしますが、今日の職業教育者の教育理論にはそういう視点はないように思えます。

 
      ◆


 内田さんは2011年に神戸に自宅を兼ねた凱風館という道場を建てられました。

 そこでは武道だけではなく様々な伝統芸能なども演じられていて、「貸しホールではなく一種のコミュニティなのだ」と考えています。

 そして道場を建てたのは、「公共の体育館には神棚がないから」であり、ここで教えていることは「場への敬意」であったり、「超越的なものへの敬意」なのだと。

 そして「おのれの理解も共感も絶したようなものには適切な距離を取ること」という作法を身に着けることが武道を学ぶ勘所なのだと。

 
      ◆


 どこか、榛村さんと会話をしているときのように圧倒されるほど感心した次第。

 こういうことを教えてくれる大人がなかなかいないんですよね。

 年末年始のお暇な時にさらっと読むにはちょうど良いかもしれません。
  

 

  

 

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「あした死ぬ幸福の王子」を読む ~ 妹の四十九日が過ぎました

2024-10-27 20:51:11 | 本の感想

 一昨日の金曜日は9月に亡くなった妹の四十九日でした。

 残された者たちには一つの区切りですが、やはり寂しいことに変わりはありません。

 いろいろと「死ぬ」ということについて考えてみたくもなるというものです。


        ◆


「あした死ぬ幸福の王子~ストーリーで学ぶハイデガー哲学」(飲茶 著 ダイヤモンド社)を読みました。

 「単語の使い方からして難解」と言われるマルチン・ハイデガーの「存在と時間」を小説仕立てで分かりやすく説明するという試みです。

 そういえば高校の時に文学青年だった友人が読んでいた、と聞きましたが内容について考えたこともありませんでした。

 「あした死ぬ…」の本のほうの内容は、サソリに刺されて余命が1か月以内と宣告された王子が「自分の人生とは何だったのか」と絶望するところから始まります。

 王子は憂さ晴らしのために王家の所有する森へと狩りに行き、そこに迷い込んでいた物乞いの女を怒りに任せて蹴り飛ばしますが、やがて正気ではいられなくなり自暴自棄に。

 こんな状況に耐えられないと狩場を抜けた森の沼に身を投じようとしたその時に、見知らぬ老人から声を掛けられます。

「そこの若いの!何をしている」
「うるさい、私はもう死ぬと言われたのだ」

 そういうと老人はこう言います。
「ほう、そうか、自分の死期を知らされるなんてお前はとてつもなく幸福なやつだな」


 そんな会話は従者たちが来たことでそこまでになったのですが、王子は翌朝、昨日老人から言われたことの意味が気になって仕方がありません。

 再び沼へと向かい、老人に会ってその言葉の真意を尋ねます。

 すると老人は「多くの人間は死について考えることもなく死んでゆくのに、おまえは死について考える機会を与えられたのだ。それが幸福でなくてどうする」と言います。

「なんだと、死に怯えるよりは死など考えず生きる方がマシではないか」
「ほう、そうか。ではお前がいま楽しげにやっていることは死期を知らされた今もやって楽しいか。楽しいならそのままやっていればよい」

 王子は「…いや楽しくない」と言い、王子は裕福な暮らしをしていますが、『明日死ぬかもしれない』と思うと全てが無意味で虚しくなってしまいました。

 老人は「おまえはそんな無意味なことで限りのある時間を過ごしていたということに気が付いたのだろう。私はそれを幸福だといったのだ」

「しかし絶望に変わりないではないか」
「そうかな、その絶望に気が付くことで、おまえに『人間の本来的な生き方』に至る道が開かれるかもしれないぞ」

 そして老人はその考え方が「これはハイデガーという哲学者の受け売りなのだ」と種明かしをします。

 そしてここから、哲学とは『…とはなにか』を考える学問であること、そしてハイデガーはそのなかでも『存在とはなにか』を考えた哲学者であると言うと、王子はこの老人に「その哲学について教えて欲しい」と乞い願います。

 そこから毎日、王子は老人のもとを訪ねて、死期が迫る中、ハイデガーの著した『存在と時間』の中身についての問答が繰り返されるというのが本書の内容です。


        ◆

 

 ハイデガーが著書の中で"現存在"と言い表しているものがあります。

 それはつまり「人間」のことで、それは必ず死んで無くなり、無くなるまでの存在だ、と言います。

 そして必ず死ぬのだから、いつも死ぬことを考えてそれまでの間に意味のあることをするが良い、ということに導きます。

 やがて時間論については、「過去とは自分ではどうにもできない、他から押し付けられたもの」であり、「未来はどうなるかわからないが一つしか選べず他の選択肢を排除する世界」だと語り、そして「現在とは、そうわかっていても思い通りにならず虚しく過ぎてゆく無力さを感じる世界なのだ」と言います。

 
 問答を繰り返す中で王子は、裕福でわがままに暮らしていた自分の過去を振り返り、死期が近付いてゆくなかで、「人間本来の生き方とは何か」に少しずつ気が付いてゆくことになります。

 読者もこの物語を通じて改めて「自分もいつか必ず死ぬ存在だ」ということに気が付くことでしょう。

 それは数十年後かもしれないし、明日かもしれない。

 必ず死ぬ存在ということに気が付いて、人は何かを変えることができるでしょうか、変われるでしょうか。

 

      ◆

 

 私はこの物語を読んで、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で語ったスピーチを思い出しました。

 彼はスピーチの中で「自分の死を意識することで人生の選択に対する視点が変わった」と語りこう言いました。(以下「日本経済新聞」の記事より)

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。

「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。

 本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです」
  (以上、「日本経済新聞」の記事より)

 
 スティーブ・ジョブズはこの時すでにすい臓がんを患っており、それが死について考えるきっかけになったと述べています。

 人生には限りがあって、その限りある時間をどのように使いますか。

 後悔しない人生を生きるにはどうすればよいでしょうか。

 
 肩の凝らない哲学書のようなものです。

 妹に導かれた一冊です。

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需要喚起の経済よりも供給制約への対応を ~ 「ほんとうの日本経済」が示す近未来

2024-10-22 22:02:25 | 本の感想

 

 内地の知り合いの役場の方が訪ねて来てくれました。

 なんでも翌日に北海道日本ハムファイターズのホームグラウンドである、北広島市のエスコンフィールドを見学に行くとのこと。

 エスコンフィールドは多くの視察者を招き入れることで出張先経済に貢献しているかもしれません。

 実際エスコンフィールドでは、野球の試合やイベントがない日は無料で見学できますし、有料で一般人は通常入れないベンチやグラウンドまで入れる「スタジアムツアー」があります。

 料金は3種類で、学生団体ツアーが1000円、ベーシックツアーが平日1800円(土日祝は2300円)、プレミアムツアーが平時3500円(土日祝は4500円)となっており、子供はどの日でも1000円となっているとのこと。

 無料で入ってグルメを堪能するも良し、少しお金を払って奥まで見せてもらうのも良し。

 まずは見たもの勝ちというところでしょうか。


      ◆


 今回訪ねてきた知人の町では、周辺から人を招くような集客施設を造る計画があるそうで、さすがにエスコンほどのことはできないでしょうけれど、集客とは何かを考える一つの参考になるかもしれません。

 ただ気になるのは需要喚起型の集客施設は短期的に成功したとしても中長期的に地域に貢献し続けることができるのかをしっかりと吟味したほうが良いということです。

 先日、『本当の日本経済 データが示す「これから起こること」』(坂本貴志著 講談社現代新書)という本を読みました。

 著者の坂本さんはリクルートワークス研究所の研究員で、この本もリクルートワークス研究所の「未来予測2040プロジェクト」の研究成果の一環としての執筆だそうです。

 そしてこの本の要諦は以下の点にまとめられます。

①日本はこれまでは「需要不足の経済」だったが、これからは人口減少によって「供給制約の経済」になる

②「供給制約の経済」とはつまり担い手不足・人手不足になり、その減り方が年々急激になってゆく

③その結果、国民の労働参加率は限界まで上昇して、女性や高齢者も良い賃金で働ける環境が整備される

④またその結果として人の取り合いになることで、正規/非正規を問わず賃金は上昇するし、その負担に耐えられない企業は退出せざるを得なくなる

⑤人口減少と少子高齢化という社会構造の変化によって、日本社会の需要構造が変化して、最大の産業は医療介護業界になる

⑥企業は人手不足に対して、省人化への投資が盛んになり省人化のための技術開発も進む

⑦また、これまで必ずしも賃金に反映されていなかった見えないサービスができなくなりやがて現在のようにフリーアクセスできていた対人サービスが減少してゆく


 …というのが著者の論点です。

 本の中にはこれらを先読みして、各業界でこれまでにも省人化のための試みを行っている企業も紹介されています。

 これらの動きはますます盛んになり、省人化できた企業は生き残り、資本投下と共にそれができなかったところは続けられなくなるでしょう。

 これまでは地域の末端にまで経済を行き渡らせる血流は公共事業だと思われていましたが、これからはそれは医療・介護事業になってゆく、と著者は指摘します。

 地元に仕事がないから都会に出て行くという人に対して、介護業界であれば地元にも仕事はありますよ、ということになる、と。

 数多くのデータと資料を読み込んで労働環境の変化や社会変化を明らかにした良書です。

 
      ◆


 著者は、「かつては大量の安い労働力を簡単に手に入れられたために労働者は安く使われていたが、これからはそういう社会は来ない」と言います。

 また、少子高齢化・人口減少という構造変化を前提として、「では外国人労働者の受け入れをどうするか」とか「果たして医療介護制度は持つのか/持つためには」ということや、都市をどう保つか、少子化に対して本当にどう向き合うのか、といった"論点"を示して、読者にも考えることと行動することを促します。

 少子高齢化と人口減少が、今住んでいる町での自分の行動にどのように影響して自分はどうすべきなのか、を考える良いきっかけになる良い本です。

 ご一読をお勧めします。

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エッセンシャルワーカーの賃金はなぜ低いのか ~ 「エッセンシャルワーカー」を読みました

2024-08-01 21:57:52 | 本の感想

 

「エッセンシャルワーカー」(田中洋子編著)を読みました。

 コロナ禍で注目された"エッセンシャルワーカー"とは、医療・弱者支援・飲食料品の供給、小売り、生活サービス、ゴミ処理、メディア、物流・運送、行政など、社会に不可欠な仕事を現場で行っている人たちのことです。

 ところがどうしたことかこれらの多くが、「社会に不可欠だ」「彼ら彼女たちがいなければ日常生活は営めない」というリアル・ジョブを受け持ちながらここ数十年で働く条件が悪化しています。

 その反対にファンドマネージャーや金融コンサルタントなど、たとえ消えたとしても社会に影響はないような仕事はもてはやされて高給で処遇されています。

 これを「倒錯した関係」と呼びつつ、本書はエッセンシャルワーカーが置かれている状況とこれまでの変化を分析します。

 そしてこの状況が生み出された要因を考察し、この疑問に答えようというのがこの本です。


     ◆


 ところがいざ分析しようとすると、じつはエッセンシャルワーカーの働き方がほとんど研究されていないという現実にぶつかりました。

 それはこれらの職種が"国を大きく牽引する国際競争力"のような華やかさを持たず、社会の潤滑油的な位置に埋没していったからではないか、というのが著者らの問題意識です。

 そこで本書では1990~2020年代の30年間の変化に着目しました。

 そしてエッセンシャルワーカーを「民間vs公共vs社会保険サービス」「正規vs非正規」「男性中心vs女性中心」「雇用vs委託・請負・フリーランス」などの区分の組み合わせから大きく5つの類型を示し、それらが良くあてはまる産業・業種を設定して分析を進めます。

 ①主に既婚の主婦を中心とする低処遇のパートタイム <民間/女性中心/非正規>
 ②飲食業における学生アルバイト <民間/若年男女/非正規/>
 ③公共サービスの担い手 <民営化/男女/非正規/外部委託>
 ④看護・介護というケアの仕事 <社会保険サービス/女性中心>
 ⑤委託・請負の仕事


    ◆


 そして様々な分野の労働において、働く条件は悪化しておりエッセンシャルワーカーの多くがより苦労を伴う状態へと追い込まれてきました。

 なぜこのように処遇が悪化してきたのか?

 著者はその理由を、「日本に一つの大きなマイナス方向の社会変化が起こったため」としています。

 その変化とは、「現場の担い手を安く都合よく働かせる新しい仕組みの広がり」だと。

 この変化は、1990年代の平成の長期不況と自由化政策の下で、企業がコスト削減・人件費抑制によって生き残りを図ろうとし、政府もまた欧米発の新自由主義に基づく、市場の自由に委ねて各種の規制を緩和・撤廃する方向へと政策の舵を切ったことによるものです。

 未来を見通せない中で、ある意味新自由主義と言うやり方に賭けてみたということなのですが、実はそのしわ寄せは労働者に向かい、今日の労働環境悪化に繋がったもので、著者は「歴史的な失敗だった」と喝破します。

    ◆

 
 ではこの状況に対する処方箋はいかにあるべきか。

 著者は、「正規・非正規」という二元構造を一つにまとめる方向に帰るべきだ、と唱え、そのモデルをドイツの働き方に求めています。

 ドイツでは、
①働く時間の長さによって給与・処遇を変えない(働く時間の自由)
②働く場所によって給与・処遇を変えない(働く場所の自由)
③仕事によって給与水準が決まる

 いわゆるジョブ型の仕事の仕方ですが、これを本格的に行えば、現状を
変える効果があるのではないでしょうか。

 また、「公共サービスの専門職を非正規化すべきではない」と言い、公共サービスの非正規化の多くが女性向けの職種であって、そこでも女性が低処遇のまま現場を担う非正規の弊害が集中している、とも。

 さらに「市場強者による現場へのしわ寄せを止めよ」と言いますが、最近の下請けいじめの摘発が多発している事を見ても、ここに委託・下請け関係の下での処遇の悪化が見て取れます。

 
    ◆


 これらを総括すると、1990年以降の日本政府が取った政策は誤りであったと言わざるを得ません。

 そして1990年までの雇用の安定化システムを、「自由競争を阻害する悪しき規制・慣習・税金の無駄遣い」として貶め廃止していきました。

 そしてそれらが企業にとって安直に数字を出すという意味で安易な手法であったために、近年の世界経済の激変に対して企業活動の革新・改革に真剣に向き合う機会を失い、結果的に日本経済全体の競争力を国際的に損なってしまっているのだと断じています。

 今改めて政府はもちろん、一部の企業はそうしたこれまでの失敗に気が付き始めていますが、そこへきて今度は少子高齢化によって労働力の供給が制約される社会が訪れようとしています。

 必要な変化に向かってこれまでを反省し、真に労働者が適正な収入を得ながら生き生きと働ける環境を早急に取り戻さなければ、やはり日本の未来は危うい、ということに多くの人が気付き始めているということでしょう。

 多くの企業経営者はもちろん、行政をつかさどる政治家の皆さんにも読んでいただきたい良書の一つでしょう。

 
 私が介護や重機運転の資格を取った意味の一つもここにあります。

 手が空いたなら年寄りはもっとエッセンシャルな仕事を担う方が良い、と言う思いです。


 夏休みの一冊として強くお勧めします。

 

 

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「東京ミドル期シングルの衝撃」を読む ~ おひとり様社会はどこへ行く

2024-05-18 23:39:56 | 本の感想

 

 『東京ミドル期シングルの衝撃~ひとり社会の行方』という本を読みました。

 我が国が人口動態を俯瞰する中で、男女とも一人で暮らしているいわゆる「シングル」という生活形態に着目し、その背景を探りつつ、今後の課題を明らかにしようとする切り口です。

 発端は東京都新宿区での2013年の調査とフォーラムが始まりでした。

 ここでそれまであまり行政的課題の対象として注目されていなかったミドル期(35歳~64歳)の一人暮らし(「ミドル期シングル」と呼ぶ)について様々な側面から調査研究が始まりました。

 この人口の塊に対して本書は四つの側面があるとして、「当事者的関心」「市民セクターの関心」「行政的関心」「市場的関心」を揚げています。

 今のところ何の問題もなく暮らしているように見える「ミドル期シングル」の人たちですが、人口動態としては明らかに若くなるにしたがって増加の傾向が伺えます。

 歴史的な背景の一つは、1950年代から始まる「地方から都会への大量移動」であり、多くは結婚して「生殖家族」をなすまでの"状態"であったと指摘され、ほぼ問題のなかったフェーズです。

 次に登場したのが「女性死別高齢者」の出現です。背景は高齢人口そのものの増加や子供との同居の現象、男女の平均寿命の差、年金による経済的自立の高まりなどが指摘されますが、そろそろ女性の「低所得リスク」や「要介護リスク」などが注目されてきたころです。

 さらに次に登場したのが「未婚ミドル期の増加」というフェーズです。

 これはまず男性に顕著に現れて、2005年、2010年国勢調査でも大きくその数が増えています。

 ただ、単に未婚と言うだけでは、経済的にしっかりした未婚者もおり、課題は非正規雇用の低所得者問題であったり、あるいは親と同居する無配偶者が親亡き後のリスクをどうするかなどといった視点の調査が行われています。


 本書の視点は、これらの既往研究を踏まえつつ、ミドル期のシングル者における「親密圏」がどう変化しているのかに注目している点です。
 
 「親密圏」とは、日常的にお互いの活動を通じて当人の情報を共有できている人々で形成する人間関係の圏域として使われていて、かつては夫婦、親子という家族がそうでした。

 しかし、近代家族の解体や個人化が進んだ現代では家族システムの動揺が生じています。

 一人で暮らす人たちは、親密圏の機能をどのように調達して満たしているのか、またこれらの人々が一たび病気や介護に陥った際にどのように対処するのでしょうか。

 さらには日常の暮らしの充足感や満足感、幸福感は何によって得られているのでしょうか。


      ◆

 
 本書ではミドル期シングルという世代に着目したことによって、社会もさまざまに備えて行かなくてはならないことが示されています。

 面白かった点をいくつかご紹介します。

 まず東京で未婚のシングルが男女とも増えている背景ですが、これを東京圏郊外から東京区部に移った人たちがシングルのまま暮らしそのままミドル化しているという仮説を立てています。

 そしてこれを敷衍する形で、日本全体でも地方部から都会へ移動した人口が生殖家族をつくることなくシングルにとどまっているのではないかという仮説も上げられます。

 「人口移動によって出生率が低下する」という数多くの研究例がこれを明らかにしています。

 女性の社会進出が晩婚化を招き、→出生率が低下、→結婚や出産への価値観の変化→女性の社会進出が増加する、という少子化のメカニズムがあるのではないか、という指摘です。

 さらに後段では、男性の場合は未婚であってもそれは将来結婚するまでのモラトリアム期間であって、焦ることなく晩婚化が進んでいるのだと。

 一方女性の側も男性が結婚しないのであれば、女性の側も一人で暮らしてゆけるように社会進出という形で適応し、それらの結果として結婚しないままモラトリアム期間を超えてしまった男性が大量に発生し、男性が結婚しないのだから女性も結婚できないままシングルが続く、というループも存在しているのではないか、という指摘もありました。


 いずれにしても、かつては課題・問題のなかった人口カテゴリーのミドル期シングルですが、今後これが増加すると、やはり介護や日常の暮らしサポートをどこに求めるのか、ということが課題になってきます。

 それをただ「それにそなえた社会システムを作ろう」と唱えるだけではいささか不十分で、問題は、その担い手が地域の中で十分に確保できるのか、ということになります。

 行政の予算や個人の貯蓄だけの問題ではなく、労働供給量としての担い手がいなければ、いくらお金があってもサービスは受けられないのですから。

 
 私はこの本を読む前から、地域で暮らす住民は様々な問題を解決できる多能工でなくてはならない、と考えています。

 そしてシングルの増加によって生じる社会的需要に応える労働サービスに対しては、自らも参加して供給側に回るような取り組みが必要ではないかと思っています。

 
 我が国が高齢化社会を迎えることは自明ですが、その内訳にシングル者が増加するという要素を加えたときに、高齢化社会への行政としての対応はいかにあるべきか、一人ひとりの個人としての備えはいかにあるべきかを考えさせられます。

 ご一読をお勧めします。

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「経済評論家の父から息子への手紙」を読む

2024-04-18 23:01:35 | 本の感想

 

 『経済評論家の父から息子への手紙』(山崎元著 Gakken)を読みました。

 経済評論家の山崎元さんは、1958年北海道生まれなので私と同い年。

 札幌南高校から東大へ進学し、卒業して三菱商事に入社した後に野村投信、住友生命など12回もの転職をしつつ、その間経済解説や資産運用のコンサルタントとしてメディアに登場するようになりました。

 答えを先に言うと、山崎さんは今年2024年1月にガンのために亡くなりました。

 2022年に喉頭ガンがわかり治療をしたのですが、2023年にガンが再発し余命を感じたときに、東大に合格・進学したことを祝った息子への手紙を書きました。

 それを「我ながら良い手紙になった」と出版社に見せたことが、「これをベースに若者たちへのメッセージを本にしませんか」という話になり、余命3か月あれば書こうということで執筆したのがこの本です。

 余命を感じていた中だったでしょうが、本書の中にもしばしば登場するように「変えられない過去はサンクコストとして諦めればよい」と、暗いところが一切ありません。

 それよりは、前に向かって未来に何が得られるかという視点に貫かれていて、それは生前の山崎さんの経済コンサルタントとしての生き様に合致したものになっています。


     ◆


 内容は、自分の人生経験から、「第一章 働き方・稼ぎ方」、「第二章 お金の増やし方と資本主義経済の仕組み」として、株式投資の意味とそれの利用の仕方、また投資をするときのコンサルタント的な指導がふんだんに盛り込まれています。

 そのうえで父親らしいアドバイスがちりばめられた「第三章 もう少し話しておきたいこと」と「終章 小さな幸福論」で著者の人生哲学が語られます。

 山崎さんは幸福の源について、「人の幸福感は100%、『自分が承認されている感覚(「自己承認感」と呼んでいます)』でできていると思う」と結論付けました。

 また「モテ具合」も重要のような気がする、とも書いています。

 そして「モテるための秘訣は、自分を語らずに相手に興味を示してひたすら聞くことだ」とも。

 息子への結論は、「モテる男になれ。友達を大切にしろ。上機嫌で暮らせ!」ということで、お金などはそれを実現しやすくするための手段でしかない、と。

 お金などは、幸せを実現できる程度にあれば良くて、多ければ多いほど良いとか、それを目的にするようなものではない、とも。

 
     ◆


 巻末には、実際に著者が息子さんに当てた手紙の全文が掲載されています。

 涙を誘うのは以下の一節でした。

 "一つだけお勧めしておこう、子供はできるだけ早く持つと良い。…世間でいうと叱られそうだが、特に息子はいい。自分の息子が可愛いと思う時に、かつて自分の父親は自分のことをこんなに可愛いと思っていたのかと、感じ入るときがあるのだ"

 親から自分、自分から子供へと世代が移り変わってゆくときの親の心情を表して余りある文章です。

 
 働いて、稼いで、幸せに生きるための父親からのメッセージ。

 ご一読をお勧めします。

  
 

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「人はどう老いるのか」(久坂部羊著)を読む

2023-12-29 23:43:24 | 本の感想

 

 久坂部羊(くさかべ・よう)著「人はどう老いるのか」(講談社現代新書)を読みました。

 著者の久坂部さんは麻酔科医、外科医として活躍された後に外務医務官として外国に長く赴任、帰国後は医療の最前線での活動を諦めて高齢者医療に携わりつつ小説家としても活躍されている方です。

 長く高齢者の生き方に寄り添った経験を基に、文筆家として現代の高齢化社会に対して警鐘を鳴らすのがこの本です。

 著者の主張は本の帯にある通り、
・老いの現実を知るべし
・医療への幻想を捨てるべし
・健康情報に踊らされないこと
・あきらめが幸せを生むと知るべし、と言うことに尽きます。

「そんなことは知っている」と言う人がいますが、知識としてそのことを知っていても次第に老いが進む中で心構えとしてそれが身につけないと「不幸な老人になりますよ」と久坂部さんは言います。

 大体が老いて不幸になる老人は「事前の準備が足りない」のだと。

 長生きということはどんどん老いが進んでゆく日々を過ごすことであり、老いが進むことで体には筋肉、内臓、記憶、思考などに様々な不具合が生じます。

 それを「まあこの歳なんでそんなものでしょう」と老いの現象と付き合える人は"幸せな老人"で、「こんなはずではない、まだまだ自分は若さを取り戻せる」と現状に甘んじることができず抵抗する人ほど"不幸な老人"なのです。

 もちろん人には個人差がありますから、歳を取るにしたがって見た目にも運動能力にも健康の度合いにも差が出てきます。

 しかしいつまでも若々しい人を見て、「自分も努力やお金をかけて食事やサプリや薬を飲めばそうなれるはず」という理想を追い求めすぎることにはどうしたって無理がある、と。

 老いとともに生じる病気や不具合も医療がなんとかしてくれるはずだ、というのも幻想だと著者は言います。

 それらを称して著者は「下手に老いて苦労している人は"油断"しているのだ」と断じます。

 大切なことは老いるとどうなるか、ということを予習しておくことで、この先に起きることをあらかじめ知ったうえで、最悪にならなければ良し、最悪になっても「まあ今生の人生はこんなものか」という境地に達することが幸せへの道なのです。


      ◆


 最近は朝早起きをするようになって、早朝にやっているラジオ番組を 聞きながら朝の用意や食事をして出かけるのですが、朝の番組にはもちろんやらないよりはやった方が良いような情報に交じって、「これを飲めば健康が続く、維持される(のではないか)」と思わせるような商品の情報がさりげなく散りばめられています。

 歳を取ると案外お金を使わなくなるので、心の安寧を得るための出費と思えばそれもそうかもしれませんが、はたから冷静な目で見ると「そんなことにお金を使うんだ」と思うようなことも結構あるものです。

 そう思わせるのが上手なビジネスだという側面もあって、他人を見て憂うよりは「せめて自分だけは冷静でいたいものだ」と思うようにしたいものです。


      ◆

 著者は「老いたら欲望が不幸の元だ」と言います。

 あるお年寄りが「もう終活で家の整理をしたいんだけれど、体力がなくてそれもままならない」と嘆く姿を見て、「それも欲望ですね」と言い、言われた相手が驚いた、という場面を描いていました。

 欲望とは「健康を取り戻したい」とか「若々しくいたい」というようなものだけではなく、「家の整理をしたい」、「〇〇したい」ということも欲望なのだと。

 全ての欲望を取り去ったお釈迦様の境地に至ることは凡夫たる我々には土台無理なことかもしれませんが、そこだけは「そうありたい」と願いたいものです。


      ◆

 人が死期を迎えれば最後はもう静かに見守ってあげましょう、ということも著者は強調します。

 死期を迎えつつある人に「ガンバレ」ほど意味のない言葉はありません。今さら頑張って死を先延ばしにすることは往々にして苦しみを長引かせるだけと言う現場を数多く経験している著者だから言えることでしょうが、その経験こそ、人生の予習の素材としたいものです。

 高齢化が進む社会を生きるための教科書の一つになり得る本だと思います。

 

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