ちらほらとときどき雪が降る一日。寒い日が続きます。
【観光関連施策合同説明会】
観光に関する法律のお話です。
我が国の観光に関する法律は、東京オリンピックの前年である昭和38年6月に議員立法によって観光基本法が作られました。
しかしその後は特にこれが見直されることもなく来たのですが、小泉首相になって俄然観光が政府を挙げての課題として脚光を浴びるようになりました。
その背景は、海外へ行く人の数と国内を訪れてくれる外国人の数に著しい差があって、外に出る人の数の方が圧倒的に多いアンバランスがあるということです。
2005年の数を比べてみても、日本人の海外旅行者数は1740万人であるのに対して、訪日外国人旅行者数は過去最高を更新したのですが673万人にとどまっています。
そのため、既に一昨年からビジット・ジャパン・キャンペーンという施策が始められてはいましたが、国レベルで国際的な競争力のある魅力的な観光地づくりや、人材育成、観光旅行促進のための環境の整備など、国際観光の振興を行うことで観光立国を実現しようという気運が高まり、昨年から観光に関する新しい法律作りが始まったのでした。
その法律が観光立国推進基本法というもので、昨年12月に成立し、今年の1月1日から施行されています。
キャッチフレーズは「住んでよし、訪れてよしの国づくり」です。どこかで聞いたことがあることでしょう。
幸いにして、最近の東アジアの経済発展に伴って中国、韓国からの訪日観光客が年々伸びており、年間訪日外国人の数は伸びています。昨年2006年の速報値では733万人という数字が報告されていて、対前年比では9.0%の伸びを示しています。
現在は2010年に年間1千万人を目指す、ということを国を挙げて数値目標として掲げていることから、まずはこれを達成しようと、各種の施策が展開されてくることでしょう。
国の観光の魅力を支えるのは、そのまま地域の観光の魅力とその連携の総和ですので、地域でも頑張らなくては行けません。だれかが頑張ったおこぼれを頂戴しようなどという弱い気持ちではいけないのです。
* * * *
そんなわけで、今日は国土交通本省から観光政策課長が札幌へ来て、こうしたことをお話しするとともに、併せて各省庁の観光関係の施策についての説明会を行ったのでした。
北海道開発局の観光担当は私、というわけで開発局の施策に関して、シーニックバイウェイ北海道などを中心にして説明をいたしました。
シーニックバイウェイのポイントは、ドライブルートをブランド化することと、それを地域の人たちの連携活動が支えるというところです。
そのために我々も、人間の姿が見える形で積極的にこの地域活動に関わって行くという実践が我々の側のシーニックバイウェイ活動でもあるのです。
地域と我々の側の人間力を持ち寄りながら、道内各所で魅力ある地域ブランドを支えて行きたいものです。
* * * *
さて、私は明日道内観光では一番優位な立場にいながら案外頑張っていないと言われる札幌市の皆さんを相手にして、開拓と開発の歴史のものがたりを語ることにしています。
幕末から明治初期にかけて北海道を開拓しなくてはならなかった背景は何か?ということを考えると、北方におけるロシアの動きを見なくてはなりません。
それまで和人達が知らなかった蝦夷地をめぐる覇権争い。そして、当時はまだほとんど未開の蝦夷地、千島、樺太などを冒険して歩き、現場をとしての危機感をその目で見た近藤重三、松浦武四郎などの冒険家、探検家達の献策があったればこその北海道開拓でした。
明日は、札幌シティガイド検定合格者の皆さんへの事業説明と言うことですが、辺境の地の防衛のために人間が住むということが大事だったという時代背景を観ることから、北海道の開拓と開発の歴史を語ろうと思います。
大友亀太郎がなぜ北海道へ来なくてはならなかったのかについても、その背景が分かりますよ。
しかし、資料づくりが間に合わない…、うーむ。
【観光関連施策合同説明会】
観光に関する法律のお話です。
我が国の観光に関する法律は、東京オリンピックの前年である昭和38年6月に議員立法によって観光基本法が作られました。
しかしその後は特にこれが見直されることもなく来たのですが、小泉首相になって俄然観光が政府を挙げての課題として脚光を浴びるようになりました。
その背景は、海外へ行く人の数と国内を訪れてくれる外国人の数に著しい差があって、外に出る人の数の方が圧倒的に多いアンバランスがあるということです。
2005年の数を比べてみても、日本人の海外旅行者数は1740万人であるのに対して、訪日外国人旅行者数は過去最高を更新したのですが673万人にとどまっています。
そのため、既に一昨年からビジット・ジャパン・キャンペーンという施策が始められてはいましたが、国レベルで国際的な競争力のある魅力的な観光地づくりや、人材育成、観光旅行促進のための環境の整備など、国際観光の振興を行うことで観光立国を実現しようという気運が高まり、昨年から観光に関する新しい法律作りが始まったのでした。
その法律が観光立国推進基本法というもので、昨年12月に成立し、今年の1月1日から施行されています。
キャッチフレーズは「住んでよし、訪れてよしの国づくり」です。どこかで聞いたことがあることでしょう。
幸いにして、最近の東アジアの経済発展に伴って中国、韓国からの訪日観光客が年々伸びており、年間訪日外国人の数は伸びています。昨年2006年の速報値では733万人という数字が報告されていて、対前年比では9.0%の伸びを示しています。
現在は2010年に年間1千万人を目指す、ということを国を挙げて数値目標として掲げていることから、まずはこれを達成しようと、各種の施策が展開されてくることでしょう。
国の観光の魅力を支えるのは、そのまま地域の観光の魅力とその連携の総和ですので、地域でも頑張らなくては行けません。だれかが頑張ったおこぼれを頂戴しようなどという弱い気持ちではいけないのです。
* * * *
そんなわけで、今日は国土交通本省から観光政策課長が札幌へ来て、こうしたことをお話しするとともに、併せて各省庁の観光関係の施策についての説明会を行ったのでした。
北海道開発局の観光担当は私、というわけで開発局の施策に関して、シーニックバイウェイ北海道などを中心にして説明をいたしました。
シーニックバイウェイのポイントは、ドライブルートをブランド化することと、それを地域の人たちの連携活動が支えるというところです。
そのために我々も、人間の姿が見える形で積極的にこの地域活動に関わって行くという実践が我々の側のシーニックバイウェイ活動でもあるのです。
地域と我々の側の人間力を持ち寄りながら、道内各所で魅力ある地域ブランドを支えて行きたいものです。
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さて、私は明日道内観光では一番優位な立場にいながら案外頑張っていないと言われる札幌市の皆さんを相手にして、開拓と開発の歴史のものがたりを語ることにしています。
幕末から明治初期にかけて北海道を開拓しなくてはならなかった背景は何か?ということを考えると、北方におけるロシアの動きを見なくてはなりません。
それまで和人達が知らなかった蝦夷地をめぐる覇権争い。そして、当時はまだほとんど未開の蝦夷地、千島、樺太などを冒険して歩き、現場をとしての危機感をその目で見た近藤重三、松浦武四郎などの冒険家、探検家達の献策があったればこその北海道開拓でした。
明日は、札幌シティガイド検定合格者の皆さんへの事業説明と言うことですが、辺境の地の防衛のために人間が住むということが大事だったという時代背景を観ることから、北海道の開拓と開発の歴史を語ろうと思います。
大友亀太郎がなぜ北海道へ来なくてはならなかったのかについても、その背景が分かりますよ。
しかし、資料づくりが間に合わない…、うーむ。