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ホリエモンこと、実業家の堀江貴文さんはいろいろなツールで言論活動を展開していますが、一見奇抜なことを言っているようで、本質はつかんでいることが多いように思います。
先日も、「人生は壮大な暇つぶし」というタイトルで話をしていて、その中身は、「現代の人間を百年前の祖先が見たら、『田んぼで農作業もしないで何やってんの?』と言われるでしょう。でもテクノロジーの勝利だけれど、現代の我々は単純な労働作業からは解放されて、それでも食べていけるようになった。
さらにこれからはAIが発達して、ポジティブに言えば"仕事をしなくてもよくなる"し、ネガティブに言えば"職場から追い出される"でしょう。
追い出されて何をするのか。『人生は壮大な暇つぶし』なんだから、そういう時に豊かな人生を歩むことはとても大事なことになる。そのときには心の満足ということが必要で、そのためには様々な『遊び』を全力でやる、ということなんですよ」という、そんなお話でした。
僕もこの意見には大いに賛成で、なんとか時間を見つけて、屋外へ出かけて釣りをしてキャンプをして、蕎麦を打って楽しもうとしています。
しかし真剣に立ち向かうと、この『遊び』も結構厄介なものです。
堀江さんが言うように、単なる『暇つぶし』ならゲームでもなんでもあることでしょうが、それを趣味として少しでも上手になったり、知らないことを見つけて乗り越えてゆこう、と思うと、時間もお金もかかるし、なによりのめりこむ精神力が必要になってゆきます。
僕の中の遊びの基準は、ガイドさんに教えられて始めながら、なんとか自分一人で道具を選んでセッティングして、出かけて行って楽しめる、というところにあって、そこまで達して、ようやく『遊びを楽しめる』と言えるのではないか、と思うのです。
蕎麦打ちも、先生にはなれないとしても、おいしい蕎麦粉をみつけて、それを自分や家族に美味しく提供するくらいにはなれたので、もう満足。
フライフィッシングも、決して上手ではないけれど、自分で作ったフライ魚が食いついてくれて、釣りあげるところまでなんとかできるようになりました。
ワカサギ釣りも、自分の舌を釣りつつも、そういう失敗を重ねながら夫婦だけで出かけて100匹くらいは釣って帰れるようになりました。
大概そういう遊びには、ベテランでいろいろなことを教えてくれる先輩がいました。
そういう先輩たちから温かい目で見てもらいながら、時には失敗を笑われながら少しずつ経験を積んで、より楽しめるようになってゆくものです。
遊びを真剣にやっていると、志を同じくする友達ができてきて、それもまた人生を豊かにしてくれます。
還暦を超えていい歳になったら、良い遊びに時間を使いたい。
本ばかり読んで知識を膨らませてばかりいないで、フィールドに出て自分の未熟さを知って打ちのめされたほうが良いのじゃないか。
それがまた明日への糧になるはずです。
この春に亡くなった、野遊びと人生の先輩である残間正之さんは、札幌で毎週水曜日の午後3時から、FMアップルという地元の地域FM局の中で「ぶら~り地球散歩@ときどき野遊び」というコーナーにゲスト出演されていました。
残間さんが亡くなったことでこのコーナーは、明日が最終回となるとのことですが、内容は残間さんの過去の収録の中から印象的だったことをダイジェストで放送してくれるとのこと。
「遊びも粋じゃないとだめだよね」
本当にそう言ったかどうか、記憶はないのですが、きっと残間さんならそう思っていたはずです。
明日はラジオを聴きながら録音もしておきますよ。