北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

私の今年の十大ニュース(後半)

2013-12-31 12:32:57 | Weblog

 

 昨日に続いて、私の今年の十大ニュースの後半、第5位~第1位です。


(第5位)インプラントの歯を装着(3月29日)

 もともと歯が弱い体質で、若いときから歯医者さんにはよくお世話になります。

 このときはあるときから奥歯が痛くなって、我慢せずに歯医者さんへ行ったところ、レントゲンの結果、「奥歯が割れている(!)」という診断結果。

 黙って我慢しても直らないわけで、選択肢は入れ歯かインプラントにするしかありませんでした。

 治療費は高額ですが、残りの人生のクオリティを考えてインプラントを選択。

 これからは口腔内のメンテナンスを入念に行わなくてはならないので、電動歯ブラシでこまめに歯を磨き歯周病を予防しています。

 皆さんもお気をつけください。


(第4位)本格的に道央のフライフィッシングを始める

 釧路で地域発見ツールとして始めたフライフィッシングでしたが、札幌に戻ってからはこちらの友人たちと共に道央の川へ入るようになりました。

 釧路を始めとして道東は雄大な川が多いので、ロングキャストで攻めるという釣りばかりしていましたが、道央の河川は川幅も狭いところが多く、最初は戸惑いました。
 
 それでも何度もいろいろな川へ連れて行ってもらううちにこうした河川環境にも慣れてきて、誘ったらついて来るようになった妻と、少しは釣れるようになりました。

「自然環境を生業とするものは水辺が分からないといけない」とは、自然観察の大先輩の言葉で、ダイビングまでやりましたが、河川の水辺環境は釣りでよく分かります。

 スキルを身につけてもっと自然を楽しみたいと思います。


(第3位)「釧路のマチのコト語り」を発行(3月25日)

 釧路での約3年間をまとめて残しておくために、「釧路のマチのコト語り」という本を出版しました。

 本を出すのは二度目ということで、前回に比べるとだいぶ精神的に楽になりましたが、本の編集とチェックには苦労しました。

 釧路にいる間には津波を経験したり、財政再建に苦労したり、鶴を台湾に送ったりと、実に様々な経験をさせていただきました。

 たった3年間の思い出なので深みには欠けますが、自分のいた
釧路の時代を記録できたと思います。

 3年何かをすれば本を一冊書くという課題を自分に課す、というのも一つの生き方だと思っています。


(第2位)北海道開発局機械課長へ(4月1日)

 釧路での勤務を終えて古巣である北海道開発局へ戻り、与えられた役職は機械課長というものでした。

 北海道開発事業には、道路事業、河川事業、港湾事業、農業事業、営繕事業などがありますが、このどれをも機械設備と電気通信設備が下支えしています。

 特にこれからの冬期は除雪事業が北海道の道路を支えますが、この除雪機械の更新や整備も機械課の仕事。

 現在道内の国道の除雪のためには1,030台の除雪車を保有して除雪事業者さんに貸与して作業をしてもらっていますが、これらの更新があまり進まず、老朽化が問題となっています。

 人口減少に伴って建設労働者の人口も減っていますが、より少ない人間でより効率的な社会インフラの維持管理を行うニーズがますます高まる昨今、機械力の強化はその一つの答えだと思います。

 北海道を支えるためにがんばります。


(第1位)釧路市副市長を離任して(3月31日)

 3月末をもって釧路市福市長を退任しました。

 人生二度目の地方自治体勤務ではありましたが、地方自治体は一つ一つが独立した存在で、独自の文化や歴史をもった土地柄に勤めるということは常にゼロからの出発です。

 任期中でもっとも印象的だったのはやはり3.11の津波災害でした。

 それまでも"500年津波が来る"とは言われていましたが、その恐怖を時間しましたし、津波災害対策としてのまちづくり、施設作りに奔走することとなりました。

 また、市が施設を保有しきれなくなるという時代がやってきたことをまざまざと時間したのは、フィッシャーマンズンワーフMOOのプール廃止問題でした。

 釧路は課題も多いマチでしたが、多くの課題はこれからの日本の諸都市を襲うであろうものの先取りです。

 いち早く課題に直面してその解決方法を探ることは、これから苦労する市町村への前例でありお手本を作ることもできます。

 『課題先進都市は課題解決先進都市』を合言葉に、釧路では様々な取り組みも始まっています。

 市の保有する施設を全部一元的に管理し修繕計画や将来計画を整えて市民と議論をしようという、「公有資産マネジメント」という取り組みも進められています。

 ビジョンをつくりにくい時代の都市経営、まちづくりについて、蛯名市長からも多くのことを学びました。

 これからも釧路市の一ファンとして、応援をし続けたいと思います。

 釧路の皆さんありがとうございました。


    ◆    ◆   


 以上が今年の十大ニュースのベスト5でした。

 転勤は自分で選ぶことはできませんが、与えられた運命も自分で決断した運命も自分のものとして受け入れてゆきましょう。

 今年も大変お世話になりました。

 来年もよろしくお願いいたします。

 皆様にも幸多き年になりますように。

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私の今年の十大ニュース(前半)

2013-12-30 23:45:23 | Weblog

 毎年年末最後の二日間は、今年の自分を振り返る「自分版今年の出来事ベスト10」です。

 今年の自分なりの十大ニュースを選んで順位をつけることで、この一年を総括できるのだと思います。

 今日十大ニュースの前半で第10位から第6位までのご紹介です。


    ◆   ◆ 


(第10位)骨髄提供者の資格喪失(10月17日記事)
  
 献血は私が若いときから続けてきて、それがさらに発展して骨髄提供ドナーとして登録をしてきたもの。

 この骨髄提供ドナー資格は満54歳までなので、55歳になる誕生日で自動的に資格喪失となりました。

 ドナーとして実際に骨髄を提供したのは一度だけで家族には心配をかけましたが、あのドキドキ感と無事に終えた後の安堵感、そして達成感は良い思い出です。

 誰に提供したかも、相手の方の健康が回復したのかどうかも分かりませんが、担当のドクターからは「成功したと信じましょう。あなたは他人の命を一つ救ったのですよ」と言われた言葉は私にとっての心の勲章です。


(第9位)勤続30年表彰で答辞を読み上げる(7月16日)

 本当は昨年が勤続30周年だったのですが、身分が国の公務員ではなかったためにもらえず、復職した今年に表彰をしていただきました。

 そして受賞者の中で最長老ということから式辞に対する答辞を読む栄誉を与えていただきました。

 勤続30年ですか。今でも採用初日に事務所を訪ねた日の情景が目に浮かびます。仕事上の思い出はたくさんありますが、今を一生懸命積み重ねて来ただけのことのような気もします。

 お世話になった皆様には心から感謝申し上げます。


(第8位)宮崎駿さん最後のアニメ「風立ちぬ」の試写会(6月29日)

 娘の仕事の関係で、映画公開に先立って試写会をスタジオジブリの上映会場で見ることができました。

 もう宮崎監督は長編アニメを作らないそうなので、最初で最後の宮崎アニメの試写会。アニメ製作現場のテレビ番組では、実際にこのときに見たことのある風景が登場していました。

 とってもよい思い出になりました。


(第7位)掛川でスローライフ講演会(11月30日)
 
 掛川で助役をしていたときに始まったスローライフ運動。そしてその運動の受け皿としてできたNPO法人スローライフ掛川。

 このNPO法人スローライフ掛川が設立十周年ということで、記念公園の依頼を受けて掛川へ行ってきました。

 あの当時は後のNPOのメンバーの皆さんたちと一緒になって訳も分からず活動していたスローライフ運動ですが、「早く、安く、便利、効率」から、「ゆっくり、ゆったり、心豊かに」という流れに舵を切るべきだ、と唱えたスローライフ運動は、社会に一定の影響を与えることとなりました。

 講演では、スローライフ運動の元となった掛川の生涯学習運動への思い出、そしてスローライフと今日的評価などについてお話をしましたが、それは私なりのスローライフへの思いをまとめる作業でもありました。

 また今回掛川へは、新千歳空港から静岡空港への飛行機で向かいましたが、私が在任中はまだ建設途中だった静岡空港。

 立派に完成して、掛川からの至近の距離であることが改めて実感できました。

 静岡の人は北海道を庭に、そして北海道民は静岡を自分の身近なフィールドに感じられるようになりました。

 新たな交流の芽が育ち始めています。 


(第6位)釧路のキリンさんの話題
 →キリンがマチへやってくる(3月8日)
 →"キリンが来る日"という絵本が届く(8月15日)
 →動物園でキリンのスカイ君を見る(12月14日)

 釧路での最後の仕事は、チャイルズエンジェルという女性を中心とした団体がキリンを釧路動物園に寄付するという運動の市役所としての受け皿づくりでした。

 一時はキリンが来るのかどうかが危ぶまれた時期もありましたが、脅威の行動力と粘り強い取り組みで、ついに盛岡動物園から帯広動物園に貸し出されていた網目キリンのオス、スカイ君が釧路へ来てくれることになりました。

 動物園内の飼育舎の改装や見物台までも寄付していただき、十月にとうとうスカイ君が釧路動物園に到着、二年にわたる取り組みが大団円。

 私は4月で釧路を離れてしまったのですが、12月中旬の釧路出張の折に足を伸ばして動物園を訪ねて実際にスカイ君に会えました。自分なりの一つの心の区切りができました。

 また、この活動とスカイ君が釧路市動物園に来園するにインスピレーションを受けて、直木賞作家の志茂田景樹氏さんが文章を書き釧路在住のデザイナー木島誠悟さんが絵を描いた絵本「キリンが来る日」(ポプラ社)が完成しました。

 そしてこの絵本は、全国学校図書館協議会・毎日新聞社主催の第19回日本絵本賞の候補絵本にもなったそう。

 皆さんも釧路動物園のスカイ君をどうぞよろしくお願いします。


  ◆   ◆   


 以上が、自分版今年の十大ニュースの前半の第10位から第6位まで。

 この一年が改めて思い出されます。

 第5位から第1位は明日お届けします。 

 

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一年を読書で振り返る

2013-12-29 23:45:42 | Weblog

 

 この一年のブログネタを振り返ってみます。

 私のブログは、その日にあった"一番の感動をおすそ分けする"ということを念頭に置いているので、自分なりの感動がまだ新鮮な時に文章を書き起こしているものが多くあります。

 その日の感動を書こうとする分、夜飲んで帰ったりした日は文章も整っていなかったり、誤字脱字がさらに増していたりと散々。

 それでもこのような積み重ねを繰り返していると、記憶をよりしっかりと留めたり、あとで記録として取り出したりと結構有効に使えるものです。


   ◆   


 さて、今年を読書で振り返ってみましょう。

 今年の私はフライフィッシングで出歩くこととネットの前に座っていることが多く、思ったほどには本が読めませんでした。

 ブログでも時々読んだ本の紹介をすることがありますが、今年の読書感想はなんとたったの3本という少なさ。

 本を読んでいないわけではありませんが、(この感動は伝えなくては)、という一定のレベルに達しなかったということだと思います。

 読書は感動の一番手近な入り口ですから、これは大いに反省して来年からはもう少し読書量を増やそうと思います。

 ところで考えてみると、夜飲んだ時にどんな本を読んだか、ということが酒席での話題になることはほとんどありません。

 (多分本の趣味が違うんだろうなあ)と思うこともしばしばなのですが、それだけに同じ本を同じように評価していることが分かった時には親しさが増します。

 まして、滅多にないのですが勢いで紹介した本を「買いました、読みました」と言われると本当に嬉しくなります。

 そうやって相手のことを思い返しながらそのために時間を割く、というのは自分の誠意を示すもっとも効果的な方法の一つと言えるでしょう。

 営業で成績を上げようと思うと、相手からの共感と関心をどれだけ得ることができるか、ということが大切なことですが、そのためには名刺を何百枚配るよりも、一言二言会話をすることです。

 そしてそれが進んで突っ込んだ会話ができるようになったなら、本を一冊推薦してもらって、その本を読んで感想を伝えてみましょう。

 おそらく相手の心をつかむ最も有効な手立ての一つと言えるでしょう。

 
    ◆ 


 新規採用の面接を何度かしたことがありますが、最近はそこでは「最近読んだ本は何ですか」という問いをしてはいけないのだそう。

 本を読んだことと、それに賛同するか批判するかで本人の本に対する評価は変わりますが、それを訊くことはどこか思想信条に関わってきそうなので避けることが無難とされているようなのです。

 採用面接の場はいざ知らず、いい大人になって最近読んだ本について語り合い情報交換することが自分のネタの一つにもならないというのでは物足りないし寂しいことのように思います。

 今年はやや気持ちがネットに流れましたが、これでもしスマホなどを持ったらいよいよネットづけになってしまいそうなので、まだ頑張って避けているところがあります。

 一年の記録を振り返ってみると、自分の成長の足跡も至らなくなってしまった部分もわかってくるものです。

 さて明日からはこの一年の『私版十大ニュース』を二日に分けてお届けします。

 皆さんはこの一年でどんな成長と変化を成し遂げたでしょうか。書き出してみるときっと面白いと思いますよ。

 

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7年ぶりの罪滅ぼし

2013-12-28 22:19:19 | Weblog

 暴風雪の心配が高まっていた昨日今日、娘の帰省で強風が心配されましたが、東京からの飛行機は30分程度の遅れで何とか到着してくれました。

 札幌では朝から雪が断続的に降り、少し積もったところを三回ほど除雪。

 この冬は左右両隣りの家が家主不在となったので、家の前の細街路の除雪が心配です。

 お隣では離れて済んでいる息子さんがときどきやってきて雪かきだけしてゆきます。

 お隣も含めて、近隣の高齢のお宅ではホーマックの排雪サービスを頼んであって、雪捨てに苦労しないように準備をしています。

 斜め向かいのお宅の方と雪かきが一緒になったので世間話をしていると、
「うちもホーマックさんにお願いしたんですが、お値段のほうは昨年よりも数千円値上がりしましてね」とのこと。

 しかも、「どうやら昨年このサービスに申し込みをした方だけは受けてくれますが、新規のお客さんは受け入れていないみたいですよ」とも。

 我が家には融雪槽も設置してありますが、できるだけ使わないようにして敷地の奥へと運ぶようにしています。

 今年は昨年に比べると雪が少ないな、と思って喜んでいましたが、ちゃんと帳尻は合うので、そろそろ本格的な雪の季節になることでしょう。

 私は自宅で冬を迎えるのは7年ぶりなので、妻から「今年はちゃんとやってよね」と釘を刺されています。

 今までの罪滅ぼしも含めてせいぜい真面目に雪かきをしようと思いますが、掃除と一緒で雪が降りっぱなしのままの道路や家の敷地は掃き清められていないような気がして落ち着きません。

 この冬はがんばろうと思います、はい。

 

 
 

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対話の力を取り戻そう

2013-12-27 23:45:26 | Weblog

 

 今年は暦の関係で今日27日が御用納めという方が多いのではないでしょうか。

 いろいろあった今年も仕事は無事今日で終わりました。仕事関係でお世話になった多くの皆様、ありがとうございました。


 さて、今年一年を振り返ると、我が職場では"コミュニケーション力を養おう"ということが随分言われました。

 コミュニケーション力というと、互いに意思を伝え合うということですが、具体的にはどういうことでしょうか。

 会話の力というような気がしますが、相手の言っていることを理解して、自分の主張を伝えるだけでは、一見"会話"は成立しているようでいても、実は"対話"は成立していません。

 対話というのは、相手の共感を得たり、相手との意見の違いを理解して、繰り返して粘り強くコミュニケーションを続けていくという力です。

 それには、上司の立場からの上から目線も、部下からの下から目線も必要がありません。上司の叱責や部下からの突き上げなども対話とは言わないでしょう。

 怒りも失望もなく相手への敬意と期待だけは持ち続け、あくまでも個人と個人の立場で考えを語り合い、そして互いの妥協点を探り、自分と相手の行動を変えて行こうというのが対話です。

 そして私は、今の時代は『対話の力』が落ちてきているような気がします。

 学校の授業は教師が一方的に知識を披露してそれをノートに書き留めて記憶することが多いのではありませんか。

 勉強以外でも、意見を誰かに言ってもらってそれを元にじっくりと意見を交わすような時間があるでしょうか。

 しばしば、自分の意見を伝えて相手の行動を変えさせようと、一方的に話すだけ、ということはないでしょうか。

 かつては部下の指導と称して、厳しい叱責や怒りを向けることが、それを乗り越える部下の成長になるという考えが多いものでしたが、昨今はそれでは人はそういう環境から離れて行ってしまいます。

 年齢の上下も、立場や身分も超えて、対話ができるでしょうか。

 対話によって、相手の行動が変わり自分の考えが変わって成長するのがコミュニケーション力です。

 ですから対話には自分自身の痛みも伴うかもしれません。自分が絶対善だ、という考えから脱却しなければ対話は成立しません。

 結論が出るのに時間がかかっても仕方がありません。人の心は異質なものを受け入れるのには時間がかかるのです。

 職場の中でもプライベートでも、何度も何度も粘り強い対話を通じて目の前の相手とそして社会を少しずつ変えようと努力してみてはいかがでしょう。

 コミュニケーション力とは、対話力なのだと私は思います。

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簡潔明瞭な文章のための5つのコツ

2013-12-26 23:43:43 | Weblog

 

 長くブログを書いている内に気がついて実践している、『簡潔明瞭な文章を書く5つのコツ』をご紹介しようと思います。

 私自身、普段こういうことに気をつけて文章を書いているつもりですが、本当にそうかというご判断は皆さんにお任せします。 


(1)この一点だけは伝えたい、というポイントだけはしっかりイメージする。

 まず何か文章を書くと言うことは、文字で伝えたいことがあるわけですから、結局何を伝えたいのか、ということは終始意識しておかないといけない、ということ。

 読み返してみて、必要でない余計な周辺情報や細かい描写が多いと思ったら削除してみるとすっきりすると思います。


(2)主語と述語が合っているかを確認する。

 特に修飾語をたくさんつけた主語になると、述語である動詞が正しい組み合わせになっているかどうかが分かりにくくなります。

 主語と述語だけを取り出して、それらが正しく合っているかどうかをチェックしましょう。

 特に日本語は、しばしば主語のない文章が出てきますが、主語をそのたびに書くと小うるさくもなるので注意が必要です。


(3)文章は短くリズムも意識。ちょっと長い文章は二つに分けてしまう。

 これに対して役人の書く公文書は、絶対に間違えられないという制約があるので、リズムや読みやすさを犠牲にしてとにかく正確さを期す文章になっています。
 
 しかしそのため単語を羅列しなくてはならなかったりして延々と長い文章が続きます。

 文章の意味は正確なのですが、簡潔明瞭な文章にはほど遠くなるのは仕方のないところ。

 自由な表現が許されるのならば、できるだけ一文は短くすることを心がけ、「しかし」とか「さらに」などの接続詞で文章をつないでいる場合は、そこで切ってしまって二つの文章にしてしまうほうが良いでしょう。

 また、「長い文章を書けることが文章力だ」と思っている人も多く、そういうことはなくて、長い文章による表現の必要があれば良いですが、そうでなければ短い文章の方が簡潔明瞭になります。


(4)体言止めなどを有効に使って、文章の末尾が同じになるのを避ける。

 特に文章を「です・ます」調で書くと、文章の末尾のバリエーションが少なくて困ります。

 …ます。
 …です。
 …します。

 と「です・ます」で終わる文章が続いたりすると、幼稚に見えてしまいます。そこでこういう場合は真ん中の二行目を体言止めにするなどしてリズムに変化をつけてみましょう。

  

(5)会話形式を有効に使う。

 一人称の文章が続くとこれも単調になるので、そういうときは「 」書きで会話のやり取りをいれて変化を持たせます。

 意味が伝われば架空のやり取りでも良いのです。

 なお、「 」の会話で始めるときは文頭の一マスをあけないとか、「 」の中の末尾に「読点(。)」はいらないなど、ちょっとしたルールもあるので、こうしたことも気にしておいた方が良いでしょう。


   ◆   


 いかがでしょう。「なんだそんなことか」と思うかもしれませんが、これらに気をつけるだけですっきりした文章になると思います。

 私が上手だと思うのは「ローマ人の物語」の著書塩野七生さんの文章。(←体言止め)

 この方の文章は一文が短くてリズミカルで読みやすいので私にとっては格好のお手本です。

 良い手本を持つことは、困った時に読み返すことで調子を整える効果があると思います。ぜひお試しあれ。
 

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「発達障害に気づかない大人たち」を読む

2013-12-25 23:45:37 | 本の感想

 

 先日知人と話をしていたら、その方の“理解できない職場の同僚”の話になりました。

「いえ、何人かいるのですが、一人は大事な伝言を携帯メールでしか伝えられない、という人。もう一人は、周りから見るとそれほど多くの量の仕事をしているとは思えないのに、仕事が処理できずに溜まり気味で忙しそうにはしている人。特にこの方は、ある種の書類を出してくれといっても、なんやかやと理由をつけてうだうだして書類が出てきません。なにかその書類のこととなると苦手というか"作れない、出せない"、という感じなんです」

「それってある種の発達障害ということはありませんか?子供なら分かるけど、いい大人がどうして?という感覚です。何かが欠落しているというか…」
「ああ、分かります。子供の時に『それは人前でやってはいけません』とか、『人として約束はちゃんと守りましょう』といった基本的な事柄ができないんじゃないかなあ、という印象を持ちます。しかしそれが発達障害かどうか、ということは考えたことがありませんでしたね」


 実は少し前に、『発達障害に気づかない大人たち(星野仁彦著・祥伝社新書)』を読んでいたので、もしかしたらそういうことかな、と思った会話だったのです。
 
 人は多かれ少なかれ、得意でやりたくてやれることと、苦手でやろうと思ってもやれないことがあるものです。

 そしてそれでもその多くは、子供時代の教育とトレーニングで、苦手な事でも社会生活に影響が出ないくらいに抑え込む訓練をして大人になって行きます。

 ところが中には、そうしたある種の苦手を克服しないまま、あるいは苦手を克服しないといけないという自覚そのものを欠いたまま大人になってしまう人もいます。

 自分たちの周りに、どうも普通ではないちょっと困ってしまうような人はいないでしょうか。もしいるとしたら発達障害ということを考えて対応をする方が良いのではないか、というのが『発達障害…大人たち』の趣旨です。

 この本によると発達障害の定義とは、注意力に欠け、落ち着きがなく、時に衝動的な行動を取る「注意欠陥・多動性障害(ADHD)」、対人スキルや社会性などに問題のある「自閉症」や「アスペルガー症候群」などを含む「広汎性発達障害」、ある特定の能力(読む、書く、計算など)の取得に難のある「学習障害(LD)」などの総称、ということになっています。

 最近では発達障害の子供の割合は約一割と言われるとされているようで、クラスにも2~3人はいてもおかしくないといわれているようです。

 しかし実際にはその多くは『障害』という語感からくるような、「知能に遅れがあって、学校の勉強について行けない」というイメージではなく、ちゃんと授業について行けて中にはトップクラスな子供もいると言います。

 こうした成績が普通だったりまして優秀だったりすると、「ちょっと困った」行動が見られたとしても、「あの子は変わったところがあるなあ」で済まされてしまうケースが多いのだ、とも。

 そうして抱えている欠落した部分は、大人になり社会人になったところで顕在化して「変な人」という評価を受けることになってしまいます。

 本当はそれらがちゃんとわかったところで適切なトレーニングや医療を受けることで修復することがかなりできるというのですが、周りにそうしたことへの理解や見抜く力がないために、煙たがられ遠ざけられて孤立してしまうということも少なくありません。

 まずはそうしたことがあるのだ、という認識が必要です。

 この本では、いくつか典型的に見られる症状について説明がなされ、治療やサポートの方法などが語られています。


    ◆   ◆  


 興味深かったのは、こうした対人関係障害はごく最近のものではなくて、実は吉田兼好の「徒然草」にもアスペルガー症候群と思われる人の話が書かれているというのです。

 徒然草の第六十段に、真乗院の盛親(じょうしん)という高僧の話として書かれているものですが、「この僧都は容姿もすぐれ、力も強く、大食で書を書くことも上手で学問にも優れた傑物なので、仁和寺のなかでも重く思われていたのですが、世間を何とも思わない変わり者でなんでも勝手気ままで人に従うということをしないのだ」と書かれています。

 さらに、「法事に出かけて饗応の膳につくときでも、人々の前に膳が並べ渡すのを待ちきれずに、自分の前に給仕がすえるとすぐに一人だけ食べて、帰りたくなると一人でふいと帰ってしまうのだ」とも。

「食べたい時には夜中でも夜明けでも食べ、眠くなると部屋に閉じこもったりもするなど、世間並みでないところがあるけれども、人に嫌われることもなく、すべて何事にも勝手気ままを許されていた。徳が達していたためだろうか」と兼好は結んでいますが、著者の星野先生によるとこれは、「おそらく日本で初めて報告されたアスペルガー症候群の事例ではないか」とのこと。

 そして、「盛親の振舞いはアスペルガーそのものです。それでも才能を活かした職に就き、ちゃんと社会に認められ、受け入れられていたわけです。この段を読むたび、その事実に改めて思い至り、無性にほっとするのです」と書かれています。

 星野先生は、たとえ障害があっても、それを克服したり与えられた才能を活かせるような仕事に就いたりすることで才能を大いに発揮することはできるとおっしゃいます。

 実際、歴史に名を残す偉人や天才には発達障害を抱えていたとされる人物が多く、ベートーヴェンやモーツァルト、アインシュタイン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ピカソなどもその典型と言われているそう。確かに彼らの天才性には理解不能な振る舞いがセットになっています。


 そして何よりも、この本の著者の星野先生ご自身が「自分もADHDの経験者だ」と書かれていることがこの本の信頼性を増しています。

 星野先生ご本人は立派なお医者さんなのですが、「医学部に入れたのは運がよかったのと、趣味や関心のあることには(ADHDに見られる過集中という特質で)人並み外れて集中ができたことによる」と自己分析されています。

 
 まずは、無用に恐れるのではなく、そういうことが社会にはあるものだ、ということを理解するためにも、教養の一つとして読んでおきたい一冊です。

 特に管理職として多少なりとも部下をもつような人にはお勧め。まずは現場の現実から始めましょう。

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クリスマスのある思い出

2013-12-24 23:45:21 | Weblog

 日本人はもともと宗教には寛容と言われていますが、最近は公的な場面でも"クリスマス"という単語を聞く機会が多いような気がします。

 クリスマスに関しては、もう十年以上も前の事ですが、国の国営公園を担当していた際に、園内を盛り上げるために来園者のために"クリスマスイベント"を行ってはどうか、という話が出たことがあります。

 しかしそれに対して相談した上部機関の反応は、「クリスマスは宗教行事だから自ら主催するようなイベントには馴染まず、認められない」というもの。

 ただ単にこの時期にイルミネーションで園内を飾るのであれば、"クリスマスイルミネーション"と言わずに、クリスマスツリーも避けて"ホワイトイルミネーション"とすれば良いのです。

 "クリスマス"はもう季節の風物詩として考えられていて、歳時記に載るようになったのだから良いのではないか、という意見もありますが、やっぱり単なる季語ではありません。

 よそ様の信仰や宗教には敬意をもって臨みたいものですね。

  

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パソコンのキーボードも大掃除

2013-12-23 23:10:18 | Weblog

 年賀状も書き終えて、今日は朝から雪かきと掃除です。

 机周りの整理をしているうちに、パソコンのキーボードのあまりの汚れっぷりが気になってしまいました。

 しかしキーとキーの間深くに入った汚れは、綿棒や爪楊枝でもなかなか掻き出すことができません。

 考えてみればこのパソコンを買ってから3年半の間、アルコールと綿棒でふき取ったりはしてみましたが、やはりきれいにはなりきれません。

 そこでついに意を決して、全部のキーを外してキーボードクリーンアップ作戦を決行です。

 
    ◆   

 
 まずは配列の写真を撮っておきます。外してしまってから、どこに何があったか分からなくなるというのは最悪ですからね。

 キーボードのタイプにもよりますが、私のは簡単に外れるタイプなので、ペーパーナイフの柄の部分をキーの下に差し込んでクイッとひねると簡単に取れます。

 取ったキーは洗濯用ネットに入れて、洗面台で洗濯石鹸でじゃぶじゃぶ手洗い。すすいで乾燥させておきましょう。

 私のものには三つだけ金属製のガイドがついているものがありましたのでこれも後でわかるように写真を撮っておきます。

 キーボードを全部取ってみるとフラットな面が出てきました。汚れがひどいですが、台所用洗剤を使い古した歯ブラシにつけてゴシゴシすると埃が浮き上がってきますので、綿棒やボロ布で拭き取ります。

 掃除が終われば見事にきれいになりました。

 
    ◆  


 後は写真を参考に、パズルのようにキーをはめてゆきます。

 ガイドの着いたキーだけはちょっとやっかいですが、何度か試みればちゃんと装着できるはずです。

 これでキーボードが新品同様に甦りました。

 今までも一部のキーを外して掃除をしてみたことはあったのですが、全面的な掃除は初めてでした。

 所要時間は全部で小一時間ほど。年に一度くらいは大掃除のつもりでたまった汚れを取るのが良さそうです。

 日常生活で多分一番お世話になっているパソコン回り。たまにはお礼の意味も込めて掃除をしてあげてはいかがですか。

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その生命保険で大丈夫?

2013-12-22 23:45:13 | Weblog

 

 ある知人から聞いたお話。

 その方は、最近体にガンが見つかって治療を受けているとのこと。

 最近はガン細胞を詳しく調べることで、効果のある治療法、あるいはこのガンにはこの治療法は効かないということが、かなり詳細にわかるようになったのだそう。

 それでどうやら手術で取り除くことができず、投薬による治療を行うという治療方針が出されました。

 投薬は入院せずに通院で二週間に一度で、ガンそのものが小さくなっているかどうかを経過観察して、小さくならないようならば薬を変える形で効果のある薬剤を探しながら治療を進めています。

 ところがこの投薬治療、一応保険対象にはなっているのですが、それでも自己負担は毎回十万円弱かかるのだとか。

 そして生命保険にも入っていたはずなのですが、ガンだったらいくらという一時金と、入院した際の給付金は出る者の、今回の様な入院せずに投薬で治療をする場合の負担に対しては保険金が出ない契約だ、というのです。

「今だったら外資系の保険会社の保険では、『通院治療』などの幅の広いがん治療に対する補償が充実していますよね。通院治療だって無制限なのから、何年までとか期限が付いているのもある。保険に入っていればなんとかなると思っていましたが、最近は本当に入院させてはくれないようなので、通院治療に対する補償なんかはちゃんと確認しておいた方が良いですよ」とはこの方のアドバイス。

 そういえば自分の保険も、入院給付金にばかり目が行っていました。


 医療最前線の情報とそこから見える治療の形に対して、生命保険は正しい対策になっているのかどうか。

 生命保険は、リスク回避をお金で購入するリスク回避策としっかりと理解して、改めて保険の形を考え直した方が良いかもしれませんね。


 お昼休みに生保レディーが職場を回っていませんか?

 ただ疎ましく思わずに、会社ごとの商品の違いや自分の条件に合致しているかどうかなどを訊いてみるなど、良く考えることが必要ですね。

 これも、自分の健康とリスクを考える生涯学習の一側面です。

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