北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

冬に向けてそろそろ通行止めの道路が出始めます ~ 始めて通った美唄富良野線

2024-10-31 23:09:14 | Weblog

 

 打ち合わせやあいさつ回りで道央をぐるりと一回りしてきました。

 富良野から札幌へ戻るのにはいくつかルートがありますが、この8月に開通したばかりの新しい道路があることを思い出しました。

 それは道道135号線美唄富良野線という道路のこと。

 美唄市から富良野市へ行くのに建設を進めていたのですが、この夏にようやく開通しました。

 ラジオを聴きながら「帰りにはその道を通ろう」と思っていたら、道路交通情報の放送で「道道美唄富良野線は本日15時から通行止めです」という声が聞こえてきました。

「うお、危ない!」

 時間がぎりぎりで危うく間に合わないところでした。

 
 車を走らせて国道から右折して美唄方面に向かうところには電光掲示板があって、「美唄方面」「本日15時より通行止め」と表示されていました。

 実際に道路を走ってみると、橋がやたらに多いことと半径の小さいカーブが多く、また山の斜面にも近いことがわかります。

 通行量としてそう多くは期待されない道路であるだけに、冬期に常時通行を確保するのは大変だろうな、と思います。

 10月末をもってもう通行止めにするんだ、というのは少し早いような気もしますが、天気予報では「来週には平地でも雪が…」と言っています。

 北海道の冬は早いのです。

 

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マイクロソフト提供の生成AI "Copilot"

2024-10-30 23:47:17 | Weblog

 

 新しいパソコンをwindows11に替えてから気が付いたのですが、win10の時からEdgeの画面を開くと右上に青いリボンをねじったようなマークがついていました。

 実はこれ、マイクロソフトが提供する生成AIの「Copilot」の起動ボタンです。

 Copilotというのは、「副操縦士」という意味らしいですよ。

 これをクリックすると、画面の下に窓が出てそこにやってほしいことを書き込むようになっています。

 何かを尋ねるのでもよいし、さぎょうをさせることもできます。

 私がいいな、と思ったのはイラストも生成してくれること。

 ブログを書いて挿絵が欲しいときに、求めるものに近い絵を描いてくれるというのはありがたいものです。

 ただかなり細かく指示をしないと思うような絵は描いてもらえません。

 自分が求めるものをいかに文字にして伝えるか、ということが案外難しいのですが何度も繰り返す中で、イメージに近いものに育て上げてゆくという感じで、こういうAIの育成というのもこれからの時代を生きる人たちの教養と常識になってゆくのかもしれません。


       ◆ 

 

 昨日実家の母が灯油を処分したがっているという記事を書きましたが、その場面に似合うイラストを生成させたところ、「灯油のポリタンク」ということがわかっていませんでした。

 今日改めて「日本で使われている青いポリタンクを、背景を庭にして描いてください」と指示をしたところ、図のような4種類の絵を生成してきました。

 なるほど、これらからイメージの合うものを選んで、さらにそれに対してより細かく指示を重ねてゆくことで改善を繰り返すのですね。

 無料で使う分にはいろいろと制約や限界もありますが、より高度なものを求めるならばサブスクにしてより高度な技術を買えばよさそうです。

 生成AIが身近なってきたことをどう受け止めるか。

 怖がっていても始まらないので、まずは使ってみることから始めて、生成AIを味方につけるという準備が必要になるのではないでしょうか。
 

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古い灯油の処理 ~ 今は産廃で厳しくなっています

2024-10-29 23:55:16 | Weblog

 

 先日、実家の母が「2年前の灯油なんだけど処分できるかな」と尋ねてきました。

 母の住む役場の環境担当課に電話で聞いてみると、「ごく少量であれば古い布に沁みらせて袋の口を縛って『燃えるゴミで出す』という手がありますし、ポリタンク一つとなると、市内のガソリンスタンドで回収しているところがあるのでそちらに持ち込んでいただくのがよいと思います」とのこと。

「ちなみに役場では、どこのスタンドが回収しているかを把握してリスト化していますか?」と聞いてみると「それはない」とのことでした。

 仕方がなく、実家の近くのガソリンスタンドに片っ端から電話で「古い灯油を処分してくれますか?」と聞いてみましたが、「うちはそれはやっていません」というところばかり。

 数件当たってようやく「はい、やれますよ」というところがあったのですが、「でも今は特別管理産業廃棄物扱いになりますので、ポリタンク一つで3,300円になります」とのこと。

「3,300円かかるそうだよ」というと、「えー、ガソリンスタンドに持ち込むだけじゃダメなんだ」とがっかりしています。

 ポリタンクの灯油を見ると、まだ透明で変質している感じはありません。

 仕方がないので、「いいよ、うちの灯油ストーブで燃やすからもらっていくよ」と我が家まで持ってきました。

 我が家にはワカサギ釣り用にと買ったアルパカストーブがあるので、まあそれで燃やしてもよいでしょう。

 だんだん母は家の中の断捨離を進めているようですが、何しろ体は動かなくなってきているし車もないので、相当手伝ってあげないといけません。

 別れ際に「今度は自転車の処分をしてほしい」というので、それもまた考えなくてはなりません。

 物を捨てるのも若いうちがよいのですが、いよいよ覚悟を決めるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

 
 Microsoftの生成AIのCopilotに「おばさんが灯油のポリタンクを持っている絵を描いてください」と指示すると、上記のような絵を出力してきました。

 灯油のポリタンクがわかっていないのですね(笑)。 

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週末はメンテナンスデイでした ~ 政権がどうなろうとメンテナンス思想をもってほしい

2024-10-28 22:37:30 | Weblog

 

 終末はメンテナンスデイでした。

 土曜日は妻の実家の庭の草刈りで、自慢のmakita製電動草刈り機の出番です。

 草を刈ったら刈草の集草と処分があります。

 庭木の剪定などは義兄がやってくれていたので、集めきれずに残っていた剪定枝も集めました。

 幸い札幌市には区ごとにリサイクルセンターがあって、年末年始を除いて草木ゴミを無料で受け入れてくれます。

 車さえあればゴミを無料で受け入れてくれる、というのは札幌市の環境先進都市としての優れたサービスです。

 町を緑豊かにするということは、そこから出るごみの処分と一体という考え方がしっかりしていた先人たちの制度財産であり、感謝です。


 昨日の日曜日は我が家のベランダの塗装と玄関回りの清掃を中心に環境整備。

 家も気が付いたときに掃除や塗装や修繕などをしておくと長持ちするのですが、気が付かなかったり気持ちが折れて放っておくようなことになると傷みが一気に進みます。

 必要なのは、関心を持つ気持ちと修繕をするための道具と、そしてちょっとしたDIYの心得です。

 道具や技術はDIYレベルではできないこともあって、そういうことはプロに頼まなくてはいけないのですが、傷みに対する関心や感性は養っておきたいものです。

 自分でやるとなると、最近は道具の選び方にしても作業の仕方にしても、youtubeなどでやり方を親切に紹介してくれる動画があるので便利な時代になりました。

 少しずつ実際にやってみることでコツが掴めてくると作業になれ、経験値が上がっていきます。

 まあやれることが増えるにしたがって、道具が増えてその置き場に困るということもあります。

 家の中に道具や資材などを置いておくための「メンテナンス用スペース」というのは絶対に必要な空間だと思います。


      ◆


 道路や橋、トンネル、水道・下水など公共インフラの劣化とメンテナンスの必要性が叫ばれています。

 どれも、高度成長期にせっせとつくられたものが建設から50年という年月を迎え、傷みに応じた補修・修繕が必要だという認識が強くなってきたことは喜ばしいところです。

 しかし社会を支えるインフラのメンテナンスにも、担ってくれる人材とそれを支える技術・道具・資材、そして予算が必要になります。

 昨日行われた衆議院選挙では与党大敗という国民の審判が下りました。

 どのような政権になろうとも、社会を守り育てるというメンテナンスの気持ちを大切にしてほしいものです。

  ※使用したイラストはMicrosoft Copilotによる生成AIのイラストです

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「あした死ぬ幸福の王子」を読む ~ 妹の四十九日が過ぎました

2024-10-27 20:51:11 | 本の感想

 一昨日の金曜日は9月に亡くなった妹の四十九日でした。

 残された者たちには一つの区切りですが、やはり寂しいことに変わりはありません。

 いろいろと「死ぬ」ということについて考えてみたくもなるというものです。


        ◆


「あした死ぬ幸福の王子~ストーリーで学ぶハイデガー哲学」(飲茶 著 ダイヤモンド社)を読みました。

 「単語の使い方からして難解」と言われるマルチン・ハイデガーの「存在と時間」を小説仕立てで分かりやすく説明するという試みです。

 そういえば高校の時に文学青年だった友人が読んでいた、と聞きましたが内容について考えたこともありませんでした。

 「あした死ぬ…」の本のほうの内容は、サソリに刺されて余命が1か月以内と宣告された王子が「自分の人生とは何だったのか」と絶望するところから始まります。

 王子は憂さ晴らしのために王家の所有する森へと狩りに行き、そこに迷い込んでいた物乞いの女を怒りに任せて蹴り飛ばしますが、やがて正気ではいられなくなり自暴自棄に。

 こんな状況に耐えられないと狩場を抜けた森の沼に身を投じようとしたその時に、見知らぬ老人から声を掛けられます。

「そこの若いの!何をしている」
「うるさい、私はもう死ぬと言われたのだ」

 そういうと老人はこう言います。
「ほう、そうか、自分の死期を知らされるなんてお前はとてつもなく幸福なやつだな」


 そんな会話は従者たちが来たことでそこまでになったのですが、王子は翌朝、昨日老人から言われたことの意味が気になって仕方がありません。

 再び沼へと向かい、老人に会ってその言葉の真意を尋ねます。

 すると老人は「多くの人間は死について考えることもなく死んでゆくのに、おまえは死について考える機会を与えられたのだ。それが幸福でなくてどうする」と言います。

「なんだと、死に怯えるよりは死など考えず生きる方がマシではないか」
「ほう、そうか。ではお前がいま楽しげにやっていることは死期を知らされた今もやって楽しいか。楽しいならそのままやっていればよい」

 王子は「…いや楽しくない」と言い、王子は裕福な暮らしをしていますが、『明日死ぬかもしれない』と思うと全てが無意味で虚しくなってしまいました。

 老人は「おまえはそんな無意味なことで限りのある時間を過ごしていたということに気が付いたのだろう。私はそれを幸福だといったのだ」

「しかし絶望に変わりないではないか」
「そうかな、その絶望に気が付くことで、おまえに『人間の本来的な生き方』に至る道が開かれるかもしれないぞ」

 そして老人はその考え方が「これはハイデガーという哲学者の受け売りなのだ」と種明かしをします。

 そしてここから、哲学とは『…とはなにか』を考える学問であること、そしてハイデガーはそのなかでも『存在とはなにか』を考えた哲学者であると言うと、王子はこの老人に「その哲学について教えて欲しい」と乞い願います。

 そこから毎日、王子は老人のもとを訪ねて、死期が迫る中、ハイデガーの著した『存在と時間』の中身についての問答が繰り返されるというのが本書の内容です。


        ◆

 

 ハイデガーが著書の中で"現存在"と言い表しているものがあります。

 それはつまり「人間」のことで、それは必ず死んで無くなり、無くなるまでの存在だ、と言います。

 そして必ず死ぬのだから、いつも死ぬことを考えてそれまでの間に意味のあることをするが良い、ということに導きます。

 やがて時間論については、「過去とは自分ではどうにもできない、他から押し付けられたもの」であり、「未来はどうなるかわからないが一つしか選べず他の選択肢を排除する世界」だと語り、そして「現在とは、そうわかっていても思い通りにならず虚しく過ぎてゆく無力さを感じる世界なのだ」と言います。

 
 問答を繰り返す中で王子は、裕福でわがままに暮らしていた自分の過去を振り返り、死期が近付いてゆくなかで、「人間本来の生き方とは何か」に少しずつ気が付いてゆくことになります。

 読者もこの物語を通じて改めて「自分もいつか必ず死ぬ存在だ」ということに気が付くことでしょう。

 それは数十年後かもしれないし、明日かもしれない。

 必ず死ぬ存在ということに気が付いて、人は何かを変えることができるでしょうか、変われるでしょうか。

 

      ◆

 

 私はこの物語を読んで、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で語ったスピーチを思い出しました。

 彼はスピーチの中で「自分の死を意識することで人生の選択に対する視点が変わった」と語りこう言いました。(以下「日本経済新聞」の記事より)

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。

「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。

 本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです」
  (以上、「日本経済新聞」の記事より)

 
 スティーブ・ジョブズはこの時すでにすい臓がんを患っており、それが死について考えるきっかけになったと述べています。

 人生には限りがあって、その限りある時間をどのように使いますか。

 後悔しない人生を生きるにはどうすればよいでしょうか。

 
 肩の凝らない哲学書のようなものです。

 妹に導かれた一冊です。

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オイル交換とタイヤ交換 ~ プロに任せるのが一番

2024-10-25 21:45:17 | Weblog

 

 自家用車のトヨタノア。

 夏から秋には随分と駆け回って、随分と距離を走りました。

 つきあいのあるメンテナンスショップからは、「次回のオイル交換は2025年1月または走行距離18,600kmの早い方」と言われてました。

 18,600kmというのは、その前の交換の時からは5,000kmの距離に当たります。

 それが先日ロングドライブをしたら走行距離が19,000kmを超えたので、オイル交換をしようと思いました。

 また時節柄タイヤ交換の時期です。

 タイヤ交換は苦労しながらも技術を忘れないために、例年自分で行っていました。

 ところがここ2回連続で、タイヤ交換後に左前輪のタイヤのネジが緩んでガタつくという騒動がありました。

 はじめは「ネジを締めなかったのかな」と自分自身の作業に確信が持てませんでしたが、しっかりとネジ締めを確認したあとにやはり左前輪が緩んで走行中にタイヤがガタガタしたのです。

 後からこれは「増し締め」を行わなかったのでタイヤが緩んだのだ、と教えられました。

 プロのショップであればトルクレンチという、締める力を調整できるレンチがあって、締め足りなくなったり締めすぎたりしないような作業ができるのですが、トルクレンチを使わないとどうしても締め方にムラができてしまいます。

 そこで今回は、オイル交換のついでにタイヤ交換もお願いすることにしました。

 
 ちょうど知人が「いいよ、自分が持って行ってあげる。タイヤだけ積んでおいてね」と言ってくれて、私の家で車を乗り替えてショップまでの往復を引き受けてくれました。

 
 その日の夕方にショップから車が帰ってきていたので、妻にどうだった?と訊くと、「オイル交換はまだ必要ないんだって。タイヤだけ交換してもらったみたい」とのこと。

 ショップに訊いたら、「ハイブリッドなので、5,000kmではまだ早いので、次回の点検の時にしましょう」と言われました。

 まあ良心的な対応と言えそうですが、今回のことでタイヤ交換を自分でやる気が失せてしまわないかと心配です。

 そうそう、増し締めだけは自分でちゃんとやっておかなくては。 
 

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スムースな施設利用ができてよかった ~ 老親とデイサービス

2024-10-24 22:51:03 | 介護の世界

 

 老いた親に介護施設の利用を勧めた時に、「わたしはそんなところには行かない!」と言って拒否されることがあると聞きますが、今のところ私の両親に関してはうまくいっているようです。

 短期記憶がかなり怪しくなってきた父ですが、毎週火曜日と金曜日に送迎者が迎えに来てくれると、母に促されて車に乗り、デイサービスのプログラムをこなして帰ってくるとのこと。

 ただ、帰ってきた父に「どんなことをしたの?」と訊いても、「うーん…?」という感じで教えてもらえないことの方が多いのです。

 施設からはお便り帳でやりとりをしていて、そこには「今日はこういうプログラムをしました」という項目が書かれているのですが、父がそれを"しぶしぶ"やったのか、それとも"楽しそうに"こなしていたのかがよくわかりません。

 施設の方に連絡をしてみると、「そうですね、先日はカラオケがなかったのですが、室内でのプログラムをそれなりにやられていましたよ」とのこと。

 お風呂もちゃんと入ってきたので、施設利用を嫌がっているそぶりはなさそうです。

 母によると、「お父さんの施設が家からすぐそこなもんだから、送迎の車に乗ったらすぐに降りるんだよ。お父さんはそれを『乗ったらすぐ降りるんだ』と言って笑っているから、まあたのしんじゃないかな」という見立て。

 家では得られないような刺激を受けて、少しでも変化があると良いのですが。


      ◆


 母の方も週一度半日のコースながら、91になってなお筋力アップをめざして自転車を漕いでいるとのこと。

「この間は10分間漕いで、太ももがパンパンだ」と言いながらもそれはそれで楽しそうに参加しているようです。


 先日は二人を担当するケアマネさんとの月に一度の面談ということで私も加わらせてもらった中で情報を共有しました。

 ケアマネさんは、施設利用の感想を聞き取ったりしながら様子を確認しています。

 先日付き添った父の病院での出来事を伝えると、「薬が少し減ったんですね~。これからも何か変化があったら教えてください」と情報収集に余念がありません。

 そのうえ今回は、「ちょっとお二人がどこで生まれてどこで過ごされてきたかの歴史について参考までに教えてください」と言って、二人の略歴を聞き取ってゆきました。

 二人を見守る中で、そういう過去の歴史が何かに作用していることもあるのかもしれません。


       ◆


 私の方は父の短期記憶が持つ時間がかなり短くなっているのが気になっていて、「今は要介護1ですが、介護度が進んでいるのじゃないか、と心配です」と聞いてみました。

 するとケアマネさんは、「いえいえ、全然穏やかなものですよ。認知症の要介護2とか3になると、もう言葉も『あー』とか『うー』としか言えなくなりますし、排便にもトラブルが出てくる感じです。なので、今はまだ大丈夫ですから」と教えてくれました。

 たくさんのそうしたお年寄りを見ているであろう方だけに、ちょっと背中が寒くなりました。

 次回の打ち合わせも、父と母が通院してお医者さんに健康状態が見てもらった後で行うことになりました。

 やはり介護のプロに加わってもらうと心強い限り。

 こういう安寧の日が続くことを祈るばかりです。

 

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新しいノートパソコンが変わった点 ~ 電源ケーブルが進化してました

2024-10-23 23:03:46 | Weblog

 新しいノートパソコンですが、ついに買う気になった理由の一つが電源の進化です。

 これまでのノートでは、電源は専用の丸型ジャックを差し込むタイプでした。


       【以前のパソコンの電源ジャック】

 

 それが今回はパワーデリバリー(Power Delivery)と言って、USB-Cのジャックを差し込むタイプの電源に変わりました。


      【新しいノートの電源、USB-Cと同じジャック】

 

 今までは専用で重たい変換器のついた電源ケーブルで、出張の旅にコンセントから外してノートと一緒に持ち歩いていました。

 それが新しいパソコンのパワーデリバリー電源ではそれも軽くなりました。

 今回は出張時用に電源をもう一つ購入したので、これからは出張のたびにコンセントから電源を外すことはなくなります。

 このパワーデリバリーは、少し前から14インチ以下などの小型のノートパソコンには採用されていたのですが、15インチ以上のの画面のものには使われていませんでした。

 それは電源が小型になるのは良いとして、それでは供給できる電力にどうしても限りがあるので、大きな画面のパソコンを動かすのには力不足の感があったのです。

 それが省エネ技術が進化して、CPUの消費電力も低下したことで採用できるようになったのだそうです。


      ◆


 ちなみに職場の14インチのパソコンは3年前のものですが、古いタイプの専用電源ケーブルのほかにパワーデリバリーも使える仕様になっていました。

 なので外に持ち出すときは、市販のパワーデリバリー電源を購入してそれで電源供給していたのですが、私用のノートではそうなっていなかったのでうらやましく思っていました。

 専用の電源ケーブルは値段も高くて、もう一つ買う勇気がありませんでした。

 今回はパワーデリバリー搭載ということで、追加の電源もお値段はそこそこになり、迷う要素がまた一つ減ったことで背中を押されました。

 バッテリーの持ち時間も大いに増加していて、省エネ技術ってこうして少しずつ進化・進歩して日常生活が便利になっていくのだな、と感じます。

 
     ◆


 ちなみに、追加の外部記憶装置として1TB(=1000ギガバイト)のSSDを購入しようと思いました。

 以前のイメージではHDDのような箱でUSBケーブルが必要というイメージでしたが、なんと接続ケーブルのいらないスティックタイプのSSDがあるとのこと。

「スティックタイプで1TBですか?」
「ええ、2TBもありますよ。電源が要らないのでお勧めです」

 店員さんはあっさりと言いますが、スティックタイプって2GBくらいのメモリーが出た時に「すごいなー」と思った私には時代の進化の速さに目が回ります。

 さすがに内蔵SSDに比べるとデータやり取りには時間がかかるようですが、それでもよほど大量のデータでない限りは普通の使用に困ることはありません。

 ちょっと見ないうちに、時代はどんどん進んでいます。

 ついてゆくのも大変ですがこの先は一体どうなるのやら。    

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需要喚起の経済よりも供給制約への対応を ~ 「ほんとうの日本経済」が示す近未来

2024-10-22 22:02:25 | 本の感想

 

 内地の知り合いの役場の方が訪ねて来てくれました。

 なんでも翌日に北海道日本ハムファイターズのホームグラウンドである、北広島市のエスコンフィールドを見学に行くとのこと。

 エスコンフィールドは多くの視察者を招き入れることで出張先経済に貢献しているかもしれません。

 実際エスコンフィールドでは、野球の試合やイベントがない日は無料で見学できますし、有料で一般人は通常入れないベンチやグラウンドまで入れる「スタジアムツアー」があります。

 料金は3種類で、学生団体ツアーが1000円、ベーシックツアーが平日1800円(土日祝は2300円)、プレミアムツアーが平時3500円(土日祝は4500円)となっており、子供はどの日でも1000円となっているとのこと。

 無料で入ってグルメを堪能するも良し、少しお金を払って奥まで見せてもらうのも良し。

 まずは見たもの勝ちというところでしょうか。


      ◆


 今回訪ねてきた知人の町では、周辺から人を招くような集客施設を造る計画があるそうで、さすがにエスコンほどのことはできないでしょうけれど、集客とは何かを考える一つの参考になるかもしれません。

 ただ気になるのは需要喚起型の集客施設は短期的に成功したとしても中長期的に地域に貢献し続けることができるのかをしっかりと吟味したほうが良いということです。

 先日、『本当の日本経済 データが示す「これから起こること」』(坂本貴志著 講談社現代新書)という本を読みました。

 著者の坂本さんはリクルートワークス研究所の研究員で、この本もリクルートワークス研究所の「未来予測2040プロジェクト」の研究成果の一環としての執筆だそうです。

 そしてこの本の要諦は以下の点にまとめられます。

①日本はこれまでは「需要不足の経済」だったが、これからは人口減少によって「供給制約の経済」になる

②「供給制約の経済」とはつまり担い手不足・人手不足になり、その減り方が年々急激になってゆく

③その結果、国民の労働参加率は限界まで上昇して、女性や高齢者も良い賃金で働ける環境が整備される

④またその結果として人の取り合いになることで、正規/非正規を問わず賃金は上昇するし、その負担に耐えられない企業は退出せざるを得なくなる

⑤人口減少と少子高齢化という社会構造の変化によって、日本社会の需要構造が変化して、最大の産業は医療介護業界になる

⑥企業は人手不足に対して、省人化への投資が盛んになり省人化のための技術開発も進む

⑦また、これまで必ずしも賃金に反映されていなかった見えないサービスができなくなりやがて現在のようにフリーアクセスできていた対人サービスが減少してゆく


 …というのが著者の論点です。

 本の中にはこれらを先読みして、各業界でこれまでにも省人化のための試みを行っている企業も紹介されています。

 これらの動きはますます盛んになり、省人化できた企業は生き残り、資本投下と共にそれができなかったところは続けられなくなるでしょう。

 これまでは地域の末端にまで経済を行き渡らせる血流は公共事業だと思われていましたが、これからはそれは医療・介護事業になってゆく、と著者は指摘します。

 地元に仕事がないから都会に出て行くという人に対して、介護業界であれば地元にも仕事はありますよ、ということになる、と。

 数多くのデータと資料を読み込んで労働環境の変化や社会変化を明らかにした良書です。

 
      ◆


 著者は、「かつては大量の安い労働力を簡単に手に入れられたために労働者は安く使われていたが、これからはそういう社会は来ない」と言います。

 また、少子高齢化・人口減少という構造変化を前提として、「では外国人労働者の受け入れをどうするか」とか「果たして医療介護制度は持つのか/持つためには」ということや、都市をどう保つか、少子化に対して本当にどう向き合うのか、といった"論点"を示して、読者にも考えることと行動することを促します。

 少子高齢化と人口減少が、今住んでいる町での自分の行動にどのように影響して自分はどうすべきなのか、を考える良いきっかけになる良い本です。

 ご一読をお勧めします。

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4年ぶりに新しいパソコン購入 ~ アカウント管理は現代人の教養の一つ

2024-10-21 23:08:40 | Weblog

 

 今まで使っていたパソコンが購入から4年を経過して機器の更新を検討してきました。

 私はスマホよりはパソコンの世代なので、仕事でも趣味でもどうしてもスマホよりはパソコンに頼ることが多いのです。

 今使っているパソコンがに時代遅れ感が出てきたのは、OSのwindows10のサポート終了時期が近づき、11に更新すべき時期が近付いていることや、生成AIの利用が当たり前になってきたことで、チップセットに新しい機能を加える方が良いといったことが挙げられます。

 また今のパソコンにはいろいろなソフトを入れすぎていて、パソコン本体に内蔵されているWIFI機能やBluetoothが使えなくなったりしていろいろな機能不全も目立ってきていることも気になっていました。

 我が家にはもう一台家庭用のパソコンもあるのですが、そちらの方はなお古くいよいよ寿命が近付いています。

 そこで今使っているノートパソコンを家庭用にお下がりすることにして、私用に新しいノートパソコンを購入することにしました。

 注文はネットで行いましたが、受け取りは社員のいる店舗で受け取ります。

 やはり何かの時にサポートをしっかりしてもらえるショップが良いと思っています。


    ◆

 
 今回もいつものパソコンショップが売り出しているノートパソコンの品揃えの中からベースとなる組み合わせのものを選んで、それにメモリやSSDなどのストレージを機能強化し、さらにオフィスソフトも最新のものを導入することにしました。

 夏くらいからどういう組み合わせにするか検討を始めていたのですが、今月からMicrosoft Officeが2021から2024に変わっていたので、少しだけ待った甲斐がありました。

 今回のパソコンの優れている点は、情報処理チップに特化したAI専用の「NPU(Neural Processing Unit)」というエンジンを搭載していることです。

 これはAI推論処理を専門に行うプロセッサーで、これまでのメイン処理のCPUと画像処理のGPUに新たなAI専用エンジンが加わって、より高度・高速・低電力で情報処理を行えるという振れ込みです。

 生成AIなど新しい情報処理時代の海を航海して行くためには最新の船が必要といえるでしょう。

 

     ◆

 


 今回はサポートサービスも購入していて、購入ショップで初期ソフトのインストールを行ってもらいました。

 Windows10以降、新しいパソコンは使えるようにするまでに、「Microsoftアカウント」による本人確認が結構面倒くさくなって、サポートなしでは不安だったのです。

 今回もショップから「店頭に届きました」という連絡を受けて先日取りに行きましたが、その際に「マイクロソフトアカウントはわかりますか?」と言われました。

 前回購入した時にその前からアカウントの引継ぎに失敗した苦い経験があったので、マイクロソフトアカウントはしっかりとメモをもってセットアップに臨みました。

 最近のWindowsのパソコンを購入するならば「マイクロソフトアカウントだけはしっかりとメモしておけ」は鉄則です。

 これを忘れてしまって「仕方がない、新しいのをつくろうか」と思っても、同じ名前、同じ電話番号の人が違うアカウントをつくろうとしているのは詐欺ではないか、と疑われてしまい、本人なのにアカウントが作れないというトラブルになりかねないのです。

 アカウントによる本人確認が主流となった現代社会ではIDとパスワードの管理は学校で教えるべきというくらいに必須の常識と言えるでしょう。

 その代わりに、アカウントさえ正確ならばパソコン更新と情報の移行は非常に楽です。

 
 今回もアカウントでのwindows11の導入には成功、その後もオフィスソフトのダウンロードで再度本人確認が行われますが、それは登録しているメアドか携帯電話のショートメールで確認が届き、それに確実に応えることで作業がどんどん進んで行きます。

 店頭で1時間ほどで新規パソコンのセットアップとオフィスソフトの導入までが完了です。

 おまけにこの時点でマイクロソフトが把握しているパソコン情報がそのまま新しいパソコンに移植されていて、ブラウザのEdgeの中身は古いパソコンのものがそっくりそのまま移されています。

 メールも使っているOutlookの設定はもちろん、これまでのメールなども全て新しいパソコンでアクセスできるようになっていて、ストレスが全くありませんでした。

 この便利さには感心するばかりですが、逆に言えば私の情報の多くをマイクロソフトに握られているということの裏返しです。

 現代社会で多用されるアカウント制への認識は、日常の便利さを大きく左右する大事な知識と言えるでしょう。

 
 さあて、あとは各種のソフトをいれなくちゃ。

 

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