今日は全5回にわたる骨髄移植のお話の最終回です。
【後遺症の心配】
この日一日を休養に当てると、翌日の入院四日目の朝にはもう退院です。
手術後二日を経過した腰は、押せば痛いものの日常生活で我慢できないほどの痛みではないので、もう問題はありません。医師や看護士、コーディネーターの皆さんはしきりに「手足のしびれはありませんか?」「身体の具合の悪いところはありませんか?」と訊いてくれます。
後遺症がないかどうかはやはり心配ごとの一つです。なにか不都合があれば、このときに正直に伝えておくことが重要で、無理な我慢は無用です。幸い私の場合は後遺症も全くなく退院することが出来ました。病院のスタッフの皆さんには本当にお世話になりました。
【骨髄提供を支えるもの】
手術後三週間ほどで改めて術後の健康診断を受け、体の調子や手術のことなどについて医師といろいろと言葉を交わしました。
おそらく担当の医師には提供を受けた患者さんのその後の状況が伝わっているのでしょうが、それが成功なのか失敗なのかも含めて私に知らされることはありません。
ドナーと患者の間で知らされているお互いの情報は、九州とか関西とかいった日本のどのあたりで、年齢が何十代かということと、あとは男性か女性か、ということだけです。
コーディネーターのAさんからは、ドナーと患者の間には二往復だけ手紙のやりとりが許されていると教えられました。しかし手紙の中には互いの名前や住所など個人を特定する内容は書くことが許されません。
そしてそれも互いに出さなくてないけないという義務はありませんし、返事を書く義務もありません。人生には知らない方が良いこともあるものです。
ボランティアでも、個人が特定されることが互いの不利になるような性格のものでは、一切身分を明かさずに行われる方が良いのです。
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さて、ではこのことは誰から誰へのボランティアということになるのでしょうか。私はこれを社会全体が構成員を助けるという社会の力として認めたいと思います。「誰が誰を」ではなく「誰かが誰かを」支え助けているのです。
このときに構成員一人ひとりに求められるのは、そういう社会を支えようという、一構成員としての勇気ある振る舞いなのではないでしょうか。
そしてこうした経験を踏まえて、なんと自分たちの先人たちが素晴らしい社会を築き上げてくれてきたかということに改めて気付くのです。
見知らぬ仲であっても、誰かを助けようとする誰かがどこかにいること。そしてその間を取り持つ組織が連絡を取り合いながら一生懸命に支えているということ。
高度な医療を支えるだけの医療機関と能力を持つ医師たちが全国に巡らされていて、間違いなく的確な処置を受けるだけの医療サービス水準を我々が享受しているということ。
朝一番で採取した骨髄液を、医師が抱きかかえるように運んで、その日のうちに自分の患者に移植することが出来るだけの交通ネットワークが整備され確実に運営されていること、などなど。
こういう豊かな社会を築こうとして多くの先人たちがたゆまない努力を重ねてきたのに違いありません。そしてそうやって作られてきた社会をこれからも支えて行くべきなのは、誰あろう自分たち一人ひとりなのです。
骨髄提供などという特殊な分野だけのことではなく、私達は現代日本のこの社会の力を信じ、支えるべきです。そしてこの社会の力を失わないように、こうした「誰かが誰かのために力を尽くす」という社会を支える、自分たち一人ひとりの振る舞いが試されているのです。
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私自身、一連の骨髄提供という医療行為を終える以前は、「本当に大丈夫だろうか」という気持ちが全くなかったと言えば嘘になります。しかし実際に終えてみると「実にあっけないものだ」というのが正直な感想です。
自動車の免許や何かの資格を取ったりするときに、取る前はとても難しそうに思うけれど、取ってみると案外大したことはないように思うのと同じようなものです。自分の人生のたった三泊四日で一人の命が救えるのならばお安いご用です。
非日常の出来事に出会うと、ものごとの原点がよく分かるものです。社会の豊かさとは何かということをもう一度考えてみようではありませんか。
最後に、今回の私のボランティアを支えてくださった多くの関係者の皆様に改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。