北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

国立博物館の阿修羅展へ行く

2009-05-31 23:39:02 | Weblog
 


 国立博物館へ開催されている阿修羅展を観てきました。

 この阿修羅像は奈良興福寺の所蔵する国宝で、興福寺創建1300年記念で開催されているもの。一週間後の6月7日までの展示で、同じく国宝の八部衆像や十大弟子像などとともに東京に勢揃いです。
 
 このように国宝が数多く展示されていますが、ひときわ目立つ形で単独展示をされているのが阿修羅像でした。

 阿修羅は元々インドの戦いの神様で、それゆえ普通は三面六臂で、二本の手で月と太陽を支え、手には弓と矢を携え、怒りの表情で表される神様と言われますがここでは穏やかで愁いを含んだような表情です。

 仏教の守り神帝釈天との戦いに身を置く神様ですがついに帝釈天には勝つことができず、それゆえにその戦いの業から阿修羅道に身を落とし苦しみの中にいると聞きます。この阿修羅の戦いの場が【修羅場】ですね。

 しかし実際の阿修羅像の正面の顔は少年の面影を漂わす穏やかな表情をしています。

 この表情が穏やかなのは、一説には釈迦の説教を邪魔しようとねらっているうちにその説教にほだされてしまったからなのだ、とも。

 また、他の八部衆が皆鎧に身を包んでいるにもかかわらず、この阿修羅像だけは半裸体の姿というのも一際目を引きます。崇高な姿に思わず目頭が熱くなりました。

    ※    ※    ※    ※

 この像が造られたのは天平6(734)年のこと。天平時代のこうした仏像は脱活乾漆像(だっかつかんしつぞう)と言われる、布を高価な漆に浸して形を作るというものでした。

 漆は日本が生んだ世界一の品質のプラスティック素材ですが、像がひび割れないようにこれを惜しげもなく使って作った像は、非常に柔らかな印象を与えます。

 また、興福寺は源平の戦いに巻き込まれて、平家によって火を放たれ伽藍と本堂を失うなど、何度も火事に遭っています。

 しかし脱活乾漆で造られた像は中が空洞で非常に軽いので、持ち出して批判することが可能で、戦火を超えて今に伝えることができたのだ、とも。

 元々は中国から伝わった技術のようですが、中国にはこの技術の像は残っていないのだとか。

 これが1300年も前の像だとは、まさに日本で発達した世界に誇る宝です。

 
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【アジアウォッチ特別編】北朝鮮核問題の裏側

2009-05-31 18:08:31 | Weblog
 いつも冷静な経済記事や政治ネタがお得意の「代表戸締役」こと渡邉哲也さんのブログ、「代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言」ですが、今日はホットな北朝鮮核問題の今後を占っていました。

 テレビ新聞マスコミの限界は、ネタになりそうなものだけは取り上げるにしても時間と紙面の制約から、深く突っ込んだ物言いができないこと。現代社会で存在意義を維持するためには、ほぼ致命的な力の限界です。

 対北朝鮮の制裁については消極的な姿勢の中国政府ですが、中国を日本と同じ国だと思ってはいけません。どこにもその国ならではの事情が潜んでいるのです。

 北朝鮮の核問題の何が問題で、どの国のどのような利害に絡んでくるか、深い洞察です。


---------- 【以下引用】 ----------

 


「代表戸締役 ◆jJEom8Ii3Eの妄言」
 http://blogs.yahoo.co.jp/daitojimari/52706365.html

■■■■■■■■■特別コラム『北朝鮮問題の視点』■■■■■■■■■■

 北朝鮮問題が大きな山場を迎えている。
 その意味と今後の判断における様々な視点に関して纏めてみたい。

 北朝鮮が小型核を保有することになった場合、その影響は世界に波及する。北の核はイラン、シリアとの連携が疑われており、長距離ミサイルに搭載できるようになることで、日本のみならず、欧州全域にその影響は及ぶ。

 現在、国連安全保障理事会において、その制裁に対する話し合いが行われているが、従来との大きな違いは、ロシアが制裁に協力的であり、中国も強い反対の意思を示していないことにある。

■中国問題
 中国を判断する場合、一つの政治体制として判断しようとすると大きな無理がある。
 中国の二大政治体制、北京政府と上海閥の関係を考慮しなくてはいけない。

 北朝鮮は、上海閥の傀儡と言われており、関係が非常に深い。そして、北京政府との関係は冷え込んでいる。実際、北の短距離ミサイルは北京を狙っており、それを主導しているのは上海閥だと言われている。

 つまり、上海閥は北朝鮮を北京政府への威嚇手段としてとらえ、利用しているわけである。実際、各種の国際問題が生じた際、北京政府の使節団には冷淡であり、そのたびごとに中国政府は上海閥の要人を送り込んでいる。

 現在、中国の政治体制において、北京政府が大きな力を持っている。それには大きな理由があり、その最大の要因として、三峡ダムの完成が上げられる。三峡ダム建設を計画し推進したのは胡錦涛であり、温家宝である。この三峡ダムであるが、このダムが破壊された場合、下流の上海周辺は膨大な土石流により壊滅する。

 さて、現在、中国は北朝鮮の制裁決議に関して、強い反対の意思を示していないが、北への臨検に対して、その答えを留保している。これには上海閥と北京との間の政治的問題が大きく関わっていると思われる。これは中国内のパワーバランスが大きく変化する要因となるからである。

■臨検の意味
 国連制裁における北朝鮮への臨検処置は,どのような意味があるのだろうか?
先ほど述べたように、北の核がシリアやイランなどに渡った場合、中東や欧州の力関係を大きく変化させる疑いがあるからである。

 また、先日、中東の火薬庫となっているイスラエルはリクードが主導する右派政権が誕生し、強硬な手段を執りかねない状況である。イスラエルは核保有国であり、従来より専守防衛を理由として、イラン等への攻撃についての発言を繰り返している。
 北のミサイルが、イスラムに渡る可能性が出てきた場合、先に攻撃に出る可能性も捨てきれない訳である。

■米国の政治判断に大きな影響を与えるシオニストと経済混乱
 米国ネオコンと中東シオニスト
 中東和平を標榜する米国のオバマ政権であるが、その政治中枢部はネオコンに握られている。そして、ネオコンは急進的なシオニストが握っており、ユダヤイスラエルによる中東支配を目的としている。シオニストにとって、北の核は許せないものであり、強行的な手段に出る可能性がある。
 また、現在米国は経済危機状況にあり、失業者の増加に悩まされている。これを解消するためには戦争が有効であり、大きな経済政策となりうる可能性もある。また、米国の基幹産業である航空軍事産業は、世界的な経済危機の大きなダメージを受けている。世界的に大きなシェアを持つ航空リース会社は、AIGとGEの金融部門の子会社である。AIGもGEも本体が大きなダメージを受けており、リース事業を縮小せざる得ない状況となっている。
 また、このことが航空産業の弱体化を招いていると言う指摘も強い。戦争が行われることで、在庫を処分でき、新規の受注が発生するという大きなメリットもある。すでに米国は市民権をえさに朝鮮語が出来る志願兵を集めているという情報もある。また、4月から国防発注を急増させていると言う事実もある。

 4月米製造業耐久財受注:前月比1.9%増、設備投資関連は減少
  http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=infoseek_jp&sid=aUbi.lo22FYU
 自動車受注の底入れと、国防受注の急増が寄与した。

■北朝鮮金正日政権の価値
 周辺国にとって北朝鮮の最大の価値は、金正日政権が存続することで国民が国内に幽閉され続けるということである。北朝鮮は2500万人もの貧しい民を抱えている。政権の崩壊でこの人民を国内に抑え込む鎖が解けることを恐れているのである。
 現在、金正日は健康不安説が発生し、その後継者問題に関しても軍を掌握できない状況にある。結果として、金正日が逝去し政権が崩壊した場合、大量の難民が発生するリスクが高い。どちらにしろ、それほど先の事態ではないだろう。

■ロシアの変貌
 従来、ロシアは北朝鮮を擁護する姿勢を示してきた。しかし、今回の制裁決議においては積極的に日米に協力する姿勢を示している。また、北との国境沿いに部隊を駐留させ、難民の発生に備えている。この態度の変化をどのように判断するかは評価が分かれるが、現 実的なプーチンのことである北の政権が持たないと判断したのかも知れない。
 また、極東軍区はユダヤ系の軍人が多く、これはロシアの極東戦略にも大きな影響を与えている。報じられることが少ないが、中国との国境防衛もユダヤ人入植区を作ることで人の壁を作り、防衛に当たらせている現実がある。北の核がイスラムに渡ることは彼らにつっても大きな脅威である。
 ユダヤ自治州
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%B7%9E

■韓国の価値
 ロシアが崩壊し、中国の民主化が進んだことで、韓国の反共の壁としての価値は暴落した。しかし、反社会的な国家の北朝鮮はあることで、日米にとっての存在価値が存続している。韓国が緩衝地点としての作用しているからである。しかし、北が核ミサイルを保有した場合、その価値は無価値化してしまう。ミサイル戦争となった場合、その射程距離から陸上戦の価値がなくなるからである。韓国がその存在意義を維持するためには、北のミサイル計画を阻止しなくてはいけない。
 韓国は口では民族統一を唱うが、その本心は北との併合を望んでいない。なぜなら、北との併合とは、所得の標準化、韓国の貧国化を意味するからである。ここで北朝鮮を抑え込み国際的な価値を維持するか、それともこのまま座視して自国の無価値化を容認するか、決断を迫られていると言えよう。すでに、在韓米軍は2012年までの撤退を公言しており、残された時間は少ないのが現状である。

■戦争責任
 国際社会は、北の問題点を認識していながら容認してきたのが現実である。なぜなら、戦争当事者となった場合、その勝者となっても、復興責任を伴うからである。だから、どの国も、出来るだけ手を出したくないのが現実なのである。だからこそ、国連の決議が有効となり、国連の要請により軍事行動を起こしたという既成事実が必要となる。政治というのは力のバランスの結果でありパワーポリティクスである。今回の事態はこの力関係を大きく変化させる要因となるだろう。
 当面は、国連決議がどうなるか、、これが世界の今後を決める切っ掛けとなるかも知れない。

              2009年5月30日 渡邉哲也

---------- 【引用ここまで】 ----------

 中国もロシアも積極的な軍事介入に消極的なのは、難民の流出を恐れていて、手を出したものが責任を取らなくてはならないためだから、と言う視点は日本ではほとんど聞かれません。

 その結果、韓国が自らの価値を落とさないためには北の核は許せないが、アメリカ軍の韓国撤退を目の前にして時間はもうないはず…。

 なお、こういう社会的軍事的状況にもかかわらず、アメリカ軍に「自分たちでやるから韓国から出ていってほしい」という要求をしたのは無くなったノ前大統領ですから…。

 自衛の力のない国がいかに世界でバカにされているかを改めて自戒しなくては。
 
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いつも尖ったシャープペンシル

2009-05-30 22:34:47 | Weblog
 皆さんシャープペンシルは使いますか?

 私の場合は、かつてはいろいろな筆記具を使ったものです。シャープペンシルはもちろん、鉛筆、ステッドラーという製図用の太い芯のもの、ボールペンもよく使いました。

 でも最近はもうワープロやメールでキーボードを叩くことが多くなりました。

 書いていて芯が太くならないシャープペンシルが出るなんて…、欲しくなりました。
 
---------- 【以下引用】 ----------
 

文字が太らない!とんがり続ける魅惑のシャーペン

 http://career.jp.msn.com/article2/genba/week030/005.htm

“年間100万本売れればヒット”というシャープペンの世界で、年間300万本販売という記録を樹立し、今勢いに乗っているシャープペン“クルトガ”。秘密は、表面的なデザインではなく、内部の機構にアリ。今回は、画期的な次世代シャープペンの開発秘話を伺いました。


芯が“クル”っと回って“トガ”り続ける、クルトガエンジン搭載のシャープペンの開発風景。
従来のシャープペンは、書いているうちにだんだん文字が太ってきます。それは、芯が偏って減る“偏減り(かたべり)”が原因。でもクルトガは書くたびに芯が回転します。だから芯はずっととがったまま、文字はスリムなままなんです。開発者は、三菱鉛筆で20年、筆記用具の研究開発を手掛けてきた中山さんです。


中ギアに芯を保持する機構(チャック)が一体的に組み込まれているため、同時に芯も回るのですね。
「秘密は3つのギアにあります。上・中・下にある3つの歯車がかみ合い、筆圧によって1歯ずつ動作すし、密接に絡むことで、芯が常に一定のとがった状態になるんです。中ギアが中心となっており、それを回転する仕組みがクルトガには必要だったんです」

開発で苦労された点は? 「ギアの“歯数”に悩まされました。芯の上下運動を最小限に抑えるには歯数を多くしなければいけない。でも多すぎると、1回の回転角度が小さくなり、芯先がきれいな円すい形にならない。前例も指針もない開発ですから、自分で基準を探し出すのが大変でした」。そして、1画につき約9度回転する40歯数にたどり着いたのです…。

  (後略)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 シャープペンシルを使っていた時は、一般的な0.5ミリだとすぐに芯の先が太くなるので、特殊な0.4ミリのものを使ったりしていました。

 芯がとがったままでいられるシャープペンシルなんてよく作り出そうと思ったものです。その挑戦の気持ちがすごいです。

 これもまた日本人の【魔改造】ですね。新しもの好きの私としてはすぐに買いたくなっちゃいます。

 
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【アジアウォッチ】然るべき理由

2009-05-29 23:42:14 | Weblog
 誘いを断るときはいろいろな理由をつけるものですが、その付け方についてもお国柄があるようです。

 さらっと行けばよいような気もしますが、気を遣わなくてはならないこともあるようで…。


---------- 【以下引用】 ----------

 

中国式「言い訳」テクニック:常に「しかるべき事由」があるのが礼儀  2009/05/29(金) 14:21
 MAO的コラム 中国語から考える 第81回-相原茂
  http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0529&f=column_0529_004.shtml


  中国人が日本人を誘ったとする。一杯飲むのでも、お茶でも、日曜日の買い物でも何でもいい。日本人のほうが断る。

  「あっ、ちょっと用事があるから、ごめん」

  これには中国人は怒る。「ちょっとの用事」で私の誘いを断るのか。「私」と「ちょっとの用事」をはかりにかけて、「私」よりも「ちょっとの用事」をとるのか。

  これが「メンツを傷つけられた」ということだ。

  だから、日本人が「あっ、ごめん。家に帰って犬に餌をやらなきゃならないから」などと言おうものなら、これは絶交ものだ。「あんたより、犬が大事」と宣告されたのだから。猫でも金魚でも同じだ。

  日本人は人を人として扱わない、そういう思いが中国人の心の中に広がる。

  では中国人が人からの誘いを断るときにはどうするか。相手の誘いへの誠意をみせなければならない。どうしてもやむを得ない、という理由をあげるのだ。たとえばこうだ。

  「すみません、行きたいのはやまやまなのですが、その日は母親を連れて病院に行くものですから。もう予約してあるのです」

  「ああ、残念です。中国から友だちが来るので、成田に迎えに行きます。日本が初めての友人なので私が行かなければなりません」

  「これから帰って、今日は私が食事の支度なのです。そのうえ、恩師からの電話がある予定で、今度の学会発表についてのコメントをお願いしてあるものですから。本当にすみません」

  ああそうか、それなら仕方ないと思わせるような理由を述べる。これが中国式である。

  つまり、私はあなたの誘いをとても嬉しく思います。しかし、どうしてものっぴきならない事情があり、残念ですが、今回はお断りしなくてはなりません。こういう特別な事情があるのでお許しください。決してあなたを軽んじているわけではありません。

  こういうふうに対応してこそ、相手を尊重し、相手のメンツを保つことになると中国人は考えるのだ。

  中国人と日本人が待ち合わせる。中国人が遅刻したとしよう。すると、「なぜ遅刻したか」、その理由を会うやいなや述べ始める。決して「寝坊した」わけではない。渋滞に巻き込まれたとか、出がけに大切な人から電話があったとか、それなりの理由を挙げる。寝坊とかうっかりど忘れなどと言おうものなら、相手を軽視していることになるし、なにより「自己責任」にもなってしまう。だから、中国人は遅刻すると、現場に到着するまでに「それらしい言い訳を考えながら」行く。これが礼儀なのだ。

  遅刻にしろ、誘いへの断りにしろ、いつも本当に「しかるべき事由」があるわけではないだろう。時には、あるいはよく、ウソをつくこともある。ウソをついてでも相手への敬意を表す。これは「善意のウソ」である。中国人はそう考えるが日本人は「ウソをついてごまかしている」と考える。

  こういうことは生活のいろいろな局面で見られる。携帯に出そびれた。日本人なら「さっきはごめん、出そびれた」とか「テレビ見てた」などで済む。中国人なら、やはりそれらしい話を作り上げる。それが礼儀なのだ。そして、常にそういう意識で生きているわけだから、ウソとか話を作り上げるということについての意識もわれわれとは違う(もちろん、非常に親しい友だちなら日本と同じで素直にわけを話す)。

  簡単にどちらが良いとか正しいとは言えない。こういう話は実は拙著の中で、何度か述べていることだが、日本人と中国人のあいだにあるちょっとした、しかし重大なズレに思え、この場をお借りして改めて記しておくのも無意味ではないかと思った次第。乞う、ご寛恕。(執筆者:相原茂)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 日本人だったら、ありきたりの理由で断れても半ば嘘を言われていることが分かりつつ、あうんの呼吸で(断りたいんだな)と分かりそうなものですが、その理由に然るべき理由を求めるとなると面倒ですね。

 身内に入院させたり殺したりするわけにも行きませんし。

 あまり大仰な理由を述べ立てると、それが嘘だったと分かってしまった時には、そんな嘘をつかなくちゃならないと分かってもらえない自分だと思われているのか、と逆におかしなことになるのではないかと心配です。

 ほどほどに正直な方が良いと思うのですが。 
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小田原の偉人教育

2009-05-29 23:33:40 | Weblog
 調べものをしていて、教育再生懇談会のホームページを見ていたら、懇談会メンバーによる全国各地の視察報告が載っていました。
 http://www.kyouiku-saisei.go.jp/

 


 この中の視察学校の一つに小田原市の桜井小学校の例があり、そこでは地域が生んだ偉人教育として二宮尊徳が取り上げられていました。

小田原市桜井小学校視察報告
 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku_kondan/genti/sakurai-e/index.html

---------- 【以下引用】 ----------

 

 小田原市では、教育委員会が郷土の先哲である二宮金次郎(尊徳)を物語化し、冊子の配布等を通じた偉人教育の取組を行っています。今回の視察では教育再生会議のフォローアップ事項として、物語冊子を実際に作成された先生による授業を見学しました。

 1年生及び4年生の授業では、二宮金次郎の幼少の頃の苦労や、基本理念である"積小為大"の言葉、勤労や倹約の大切さに関するスライドを交えた説明に、児童たちは聞き入ったり、自分たちの体験に重ね合わせて考察を深めていました。続く意見交換の中では、教職員の方々から以下のお話を伺いました。

 ・国語や社会、総合的な学習の時間や道徳など、様々な授業と関連付けた指導を行っている。

 ・小さなことを積み上げ、大きなことを成し遂げる"積小為大"という金次郎の言葉を学び、児童には長期にわたったり、苦手なことであっても、最後までやり遂げるようになって欲しい。

 ・校内の二宮尊徳像が何者かに汚され、6年生の全児童が怒る姿を見た時に、偉人教育を通じて深まった先人への想いを知った。

 ・子供がみんなで守っていきたいルール、身につけて欲しいことなどをまとめた「おだわらっこ子の約束」の中にも、生きる上でのお手本として、二宮金次郎の教えが入っている。

 ・「尊徳学習」についての地域の人との協力関係を、更にダイナミックなものへと発展させていくため、今後も力を入れていきたい。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 二宮尊徳先生のエピソードの中で薪を背負って本を読む姿くらいは有名でも、「積小為大」という言葉や意味を小学校で学んでいるところはなかなかないでしょう。私のパソコンでも変換出来ませんでしたから。

 青年になってからの尊徳先生、財政立て直しを命ぜられた小田原藩で、飯を炊く釜のススを徹底的に磨きました。

曰く、「これがついているから飯を炊く時に余計に薪を食うのだ」

 こうしたことの積み重ねでもって藩の武士たちに節約の心構えを訴えたのです。これはケチと言うことではなくて、この小さなことを一つずつ着実に実行する心構えを訴えたもの。

 皆さんの地域には自慢出来る偉人はいますか。

 
 
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ユニ隠しって何?

2009-05-28 23:43:48 | Weblog
 不況の中でなお売り上げを伸ばすユニクロですが、あれだけ大量に同じような服を売ると絶対だれかと被るよなー、と思っていたら、まさにそれはファッションに敏感な世代の問題のようです。


---------- 【以下引用】 ----------

 

若者に広がる「ユニ隠し」現象とは何だろう
2009/5/25
http://www.j-cast.com/2009/05/25041857.html


カジュアル衣料「ユニクロ」は「安くて品が良い」と人気で、かなりの人が1着は持っている。そのせいもあって、学校や職場で被ってしまい、気恥ずかしい思いをする人もいるようだ。それで、ユニクロの服にペイントしたり、切り刻んだりとカスタマイズし、オリジナルの服にする「ユニ隠し」現象が若者の間で広がっている。

自分でアレンジして脱「ユニ被り」

無地のTシャツにガーゼやレースをつけてワンピースにアレンジ(デコ・クロ部) 2009年4月24日に東京・新宿西口に大型店舗をオープンした「ユニクロ」。今やかなりの人が1着は持っているとまでいわれ、「国民服」とも呼ばれている。

 
ところが出回っているがゆえに、ユニクロを着ていることが周囲にバレてしまう「ユニバレ」、他人と服が被ってしまう「ユニ被り」、といった悩みが話題になるほどだ。

J-CASTニュース「『ユニバレ』は恥ずかしいか ファッション巡って熱い議論」(09年1月27日)と題する記事で、

「ダッサくて全然構わない格好のオバチャンが、私とまるきり同じユニクロのデザインTシャツを着ていた事があって、びみょーーーーな気持ちになりました」
という意見を紹介した。

すると、記事のコメント欄に読者からたくさんの意見が寄せられ、「ユニバレ」「ユニ被り」を気にする人、気にしない人もいて賛否が分かれた。

こんなアイデアもあった。

「量産品なんだから被るのは当たり前だろ。被らない唯一のものを選ぶか機能性重視の量産品を選ぶか。高機能だけど被るのが嫌とか言うなら自分で生地加えるなりアレンジすれば良いのにね」
「買った人がすこしだけアレンジを加えるような余地をもうけたら、ユニクロ被りのリスクも軽減されそうです」
ブログの書き込みを見ると、アレンジを実践している人もいる。

「フードのヒモとファスナーの持ち手が安っぽかったんで、両方ともレザーのヒモに変えた」
この女性はユニクロのシンプルなパーカーに、手芸屋で1メートル300円で買った革ヒモをつけた。かかった時間は5分ほど。カスタマイズした理由は「同じモノで他人とかぶってしまう」ためだった。

別の女性はユニクロのネットストアで値下がりしていたベビー服を買い、こんな風にした。

「100円均一のワッペンをアイロンでペタリ。無地の襟ぐりにはネットで購入したバイアステープを、両面接着テープで貼りました」
「ユニバレ」「ユニ被り」の対策として、ユニクロの服を自由にカスタマイズすることは、「ユニ隠し」と呼ばれている。着古したデニムやTシャツにワッペンをつける「リメイク」と異なるのは、新品に手を加える点だ。

カスタマイズ楽しむサークルも誕生

ブローチをつけるだけで、こんなに変わる(デコ・クロ部) ユニ隠しの最先端を行くサークルも登場した。「デコ」レーション・ユニ「クロ」の略で、「デコ・クロ部」という。

デコ・クロ部の広報を担当している、OCアイランドの小笠原さんは、

「アパレルの仕事をやっている人たちが中核になって、08年12月に立ち上げました。素材選びから自分らしく工夫し、ファッションを楽しむことがデコ・クロです」
と説明する。

主なメンバーは20歳代前半~40歳代の10人だが、デコ・クロ部のネット上のコミュニティに登録しているのは100人にのぼる。手芸好きな人やリメイクを既にやっているという人のほか、初心者もいる。

「裁縫ができる、できないはあまり関係ありません。ブローチをつけたり、ペイント(塗装)をしたり、裁縫をしないものもあります。ペイントは簡単でありながら、個性が出しやすいリメイクなのでオススメです」(小笠原さん)
例えば、白いパーカーに塗装用のスプレー缶で好きな模様を描いたり、全体を染め直したりするだけで、だいぶ印象が変わる。そこに手持ちのブローチやピンバッジ、コサージュをつければ、シンプルなパーカーが一変して華やかになる。

着なくなった洋服の部品や、手持ちのアイテムを使うことが多く、材料費はかかっても1着あたり1000円以内に収まる。

最近、いろんなところで安い服を売っているが、ユニクロにこだわる理由を小笠原さんに聞いてみると、

「袖や襟の部分を切ったり、分解したりしても丈夫だから」
とのことだった。

---------- 【引用ここまで】 ----------

 大量生産の服はあくまでもベース服で、そこから【魔改造】を加えて新しいファッションを生み出すのが日本人的感性なのかもしれませんね。

 私は健康とか教養などの本質的な美しさとは何か、ということには興味がわくものの、ファッションが全く苦手で、何をどう着るのが格好いいのか、格好悪いのかが分かりません。

 これはもう感性と能力の問題とあきらめています。まさに美術が苦手、算数が苦手、体育が苦手、と同じく「苦手」の領域なのです。服を買いに行くのも嫌いで、服を選ぶ時間なんて無駄この上ないとすら思うのです。

 外見を飾るよりも健康数値が良い方が嬉しいという性格なので、流行とはとんと無縁です。そういう風にすっかり割り切ってしまっていて、その点では頑固なので始末に悪いですね。

   *   *   *   *   *

 住まいのことを勉強していると、消費が少ないのは家が小さいからだ、という意見を良く聞きます。

 家に書斎があって本棚がたくさんあれば、もっと本を買う気になるはず。家にクローゼットスペースがたくさんあれば、もっと服を買うはずだ、という理屈です。

 ある面では正しいかもしれないけれど、一度読んだきりの本をたくさん抱えていたり、それほど着ない服をたくさん持つことにどれだけの意味があるのだろうか、とも思います。

 私の敬愛する二宮尊徳先生は、「服は木綿が一枚あればよい」と言っていて、それは質素倹約を旨とすべきだ、という意味だけではなく、贅沢をすれば他人からの嫉妬やねたみを買う、ということの意味もあるのではないか、と思うのです。

 しかしながらまあこの不況時、消費をしてくれる方はやはりありがたい存在。ベースは安く購入して、安くオリジナルに仕立てるというのは、ねたみも買わない生活の知恵だと言えそうです。  
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【アジアウォッチ】日本人女性はなぜ美しいか

2009-05-27 23:58:32 | Weblog
 理想の生活の一つは日本女性を妻に持つこと、というジョークがあります。

 いえいえ、ジョークではありません。中国人ブロガーは日本人女性にあこがれているようですぞ。


---------- 【以下引用】 ----------

 

【中国ブログ】日本人女性はなぜ美しく、長寿なのか? 2009/05/27(水) 11:06

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0527&f=national_0527_019.shtml

  このブログは中国人ブロガーから見た日本人女性の美しさについて綴ったものである。以下はそのブログより。
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  理想の生活とは「アメリカ人の給料をもらい、イギリス式の家に住み、中国人のコックを雇い、日本人を妻として娶ること」だという言葉がある。

  白い肌に精致な顔立ち、健康的な身体など、日本人女性の美しさは世界でも良く知られている。統計によると、女性の肥満率において、フランスは11%、米国は34%の女性が肥満であるとされているが、日本で肥満とされている女性はわずか3%であり、先進諸国の中で最低であることが分かっている。また、日本人女性の平均寿命は約85歳と世界で最も長寿である。

  日本人の食習慣について学べば、我々も日本人女性と同じような美貌と長寿を手にすることも夢ではない。

  日本の伝統食に使われる食材は、魚や野菜、果物、米、大豆などのカロリーが低く、新鮮なのが特徴だ。中華料理のように油っぽくなく、新鮮な素材を淡い味付けで味わうのである。

  また、日本には「腹八分」という言葉も存在する。日本人は食に対し、禅の概念を取り込んでおり、「新鮮な食材を心を込めて調理する」のである。食事の際、がつがつ食べることはみっともないことであり、食事を味わうのと同時に美しい食べ方も必要なのである。

  美しくなりたければ日本人女性の伝統文化に対する態度や日常生活に対する態度、食にする態度、自分に対する態度に学べば良いのである。(編集担当:畠山栄)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 どうです!日本女性に対する評価の高いこと!なかでも食習慣に対して非常な高評価を与えています。
 
 単身赴任の私としては、普段は自分の手料理なのでちょっと複雑ですが…(笑)
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バブルと不況の度合い

2009-05-27 23:37:27 | Weblog
 不況が叫ばれる昨今、世界的にはアメリカ経済を筆頭に未曾有の経済不況だ、ということになっていますが、日本はかつてのバブル後の後遺症で、体制立て直しに躍起になった後だっただけに、被害が少ないと言われています。

 東京都の公示地価推移と全国公示地価推移の表が手に入ったので見てみました。



 この表では昭和49年を100として、前年からどれくらいの割合で地下が上下したかを表しています。

 プラザ合意がなされてバブルが始まったと言われるのが1985年、つまり昭和60年のこと。

 昭和60年の指数は145で、それが一気にバブルのピーク時には約3倍の430ニマで跳ね上がり、バブルが弾けるとそれが縮小して平成17年には90位になり、それがミニバブルで104まで上がっていたのが昨年のこと。

 こうしてみると、昭和60年代のバブルがいかに大きくて、そこまで跳ね上がった資産がどれくらい一気に凋落したかが分かります。今回のミニバブルの崩壊なんて、土地の値段等位観点から見ると、60年代バブル時の1/4~1/6くらいではないか、というのが直感的な感覚です。

 仕事柄、民間デベロッパーの人たちと話す機会の多い担当者に聞いても、「民間デベさんも、今回の不況はそれほど長引かない、という考えの方が多いですよ」とのこと。

 同じ不況でもこうした数字や表で見てみると規模や影響力の違いが分かります。

 日本は良くもまあこんな信用収縮を乗りきってきたものです。当時日本の政策をバカにしていたアメリカは、今こぞって当時の日本の政策を真似ているではありませんか。

 舵の切り方さえ間違えなければ、世界で一番早く不況を脱するのは日本に違いありません。 
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大学の危機

2009-05-26 23:41:27 | Weblog
 ある私立理科系大学の教授を交えて懇親会をしました。

 席上、教授の口からは学生を集めることの大変さが苦笑いと共に語られました。

「そんなに学生を集めるのが大変なんですか?」
「少子高齢化で大変です。それで試験入学ばかりではなく、推薦による枠をどんどん拡大しています」

「学校推薦というのはありましたね」
「それは、一定の成績レベルが認められる高校に対して何人、という推薦枠をあたえるやつですね。最近はそれに理事推薦枠やOB推薦枠なんていうものもあって、果ては自薦までありますからね」

「自薦って…、自分で『私は大丈夫だと思います』という推薦ですか?」
「そう、面接と論文で審査ですけどね(笑)」

    ※    ※    ※    ※

「大学だって数が多いと淘汰されるのではありませんか?」
「それは現実的な危機ですね。もう大学統合は始まっていますよ。慶応などは医学部はあったのに薬学部がなかったので、共立薬科大学というところを統合しました。そんな風に、自分を強化するための統合だったらよいのですがね」

「それを言えば高校だって大変なはずですよね」
「そう、定数確保のことを考えれば、附属高校を作るという発想がありますが、今から高校を新設しても学生は集まらない。となれば、既存の高校を買う、統合するということもあるんですよ」

「うわー、理にはかなっていますが…」
「しかもそれには笑い話があって、統合した高校で生徒の成績を伸ばすと、学校の成績レベルが上がって、自分の大学へ自動入学どころか、六大学やその下クラスの推薦枠が増えちゃって、成績上位者はみんなよその大学へ行っちゃって、自分の大学へ来るのは成績が会のものばかりなんてこともありましてね…」

 いよいよ卒業した大学名が通用する時代ではなくなりつつあるようです。

 どう頑張っても学生数が減って行くことは止められない、となると大学は縮小ビジネスのまっただ中にあるわけです。

 その中で勝ち残るにはどうするか。大学名も教育の質も、もはやビジネスの一つの要素に過ぎないのかも知れません。ううむ…

 
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生と死を直視する

2009-05-25 22:08:45 | Weblog
 「バカの壁」でお馴染みの、解剖学者にして昆虫学者であられる養老孟司さんですが、医療健康雑誌のロハス・メディカルという雑誌に教え子の医師中川恵一さんとの対談が載っていました。

 日本人の宗教観、死生観、現代社会の潔癖性への違和感などについて縦横に論じられていて興味深い内容になっています。全文は長いので最後の部分をご紹介します。


---------- 【以下引用】 ----------



養老孟司×中川恵一の現代ニッポン人論
          ロハスメディカル2006年01月号 (vol.4)掲載

  http://lohasmedical.jp/archives/2006/01/post-35.php?page=all

 ・・・【前半省略】・・・


中川 僕らは患者さんと毎日話すんですが、いま、みなさんが心の問題に戻ってきているような感じがするんです。"諸行無常"の感覚は、日本人の集団的無意識には残っているんでしょうか。

養老 僕は当然あると思いますよ。早い話、「バカの壁」が売れたのも、あれの基礎にあるのが仏教ですからね。仏教思想は日本人に強い影響を与えたんですけども、日本人って面白くてね、それを本当に自分のものにしちゃうと、逆に仏教思想だとは思わないんですよ。

中川 なるほど、そうですね。

養老 平和と民主主義とか、個人とか、そういうものは要するに建前として置いておく。諸行無常は、日本人にとって実は当然のものなんです。日本人がよく「自分は無宗教です」って言うけれど、あれは典型的な「無の思想」ですよ。般若心経の二百何十字の中に、「無」って言う字がいくつあるか以前数えたことあるんですが、21ありました。一割が「無」ですよ(笑)。自分が「無宗教です」って言っているときに、実は仏教思想を根本においているって言うことに気づいてない。

中川 無宗教ではなく、無思想。

養老 そう。たとえば、イスラム教徒は豚を意識的に食わないでしょう。日本人は蛇を出されると、人間の食うものじゃないって言う。宗旨として蛇を食わないことにしているから、っていう風には言わないんですよ。だって、食おうと思ったら食えるんですから。そこが有思想と無思想の大きな違いで、それが理解されないのは私は当然だなという気がする。なぜなら、世界の大部分は有思想なんですから。

中川 もうひとつ、患者さんと接していて思うんですが、いまの日本人は「自分は死なない」と本当に考えていますね。でも、意識から死を排除している患者さんに対してがんの治療をするのは、実は非常に難しいんです。がんの場合、初回の治療がかなり大きなウエートを占めていて、おそらく95%以上がそこで決まります。でも、根治、非根治っていうのはしょせん相対的なものでしかないんですよね。

養老 人間の死亡率は100%なわけだから。

中川 そうなんです。ところが、そのことになかなか患者さんも医師も思い至らないので、亡くなる直前まで根治を目指すという不幸なことが行われているんですね。その根底には、やはり死生観というか、"そもそも俺は死ぬんだ"って思うことが欠けている気がするんです。特にゲーム世代なんかは、画面の中でしか死を見たことがないですよね。

養老 リセットだもんね。

中川 いま、人は病院でしか死にませんでしょ? そうすると、若い子は病院に来たがらない。場合によっては、自分が死ぬまで死体を見る機会が一度もないっていうことだって。

養老 病院は死ぬ人が行くところだっていうことになってしまう。そこに極めて新しい差別が生まれていると、僕は思っています。

養老 解剖をやっていてしみじみ思うのは、人間の体は、全体がぼろぼろになっていくのがいいんです。車だって、ガタガタになっているのに立派で強力なエンジンをつけたら全部分解しちゃうでしょう。

中川 がん治療もそうなんです。ぼろぼろになりつつある体なんだけれども、がんについては「取りたい、なくしたい」というアンバランスな部分があって。

養老 それは、いまの人の潔癖性と結びついているんですよね。

中川 ええ、そう思います。

養老 "正しくありたい"っていう気持ちは人間には必ずあるんですけど、正義っていうことを振りかざすと、必ずまずいことが起こってくる。悪に対する潔癖性がアメリカにはありますけど、あれが極めて迷惑でしょう。それと同じで、がん細胞があったらとにかく気に食わない。

中川 医者にいくら「放射線治療いいですよ、もっとやりましょう」と言っても全然変わりません。本当に変わりません。

養老 おっしゃる通りで(笑)。

中川 緩和医療もそうです。患者さんが痛くてつらそうだからモルヒネを飲んでもらいましょうと言っても、俺はいやだ、あんたが説得しろ、と言われてしまう。でも、モルヒネで痛みをとると、長生きできるのですけどね。実際には、患者さんは、モルヒネを飲むと寿命が縮むといやがります。ですから、患者さん側がやっぱり変わっていかないと。

養老 僕も全くそう思います。世の中の人の考えを変えなきゃ、学問は変わらない。

中川 潔癖で、体になんの問題も作りたくないという気持ちはわかるんですが、そうやって治療法を間違って選んだり、結局は不幸になるんですよね。でも、それを我々が説得しても、その人は無意識にその生き方を選んでしまっているわけで。集団的無意識というか、ムードっていうものを変えていくために、「人間は必ず死ぬんだ」ということをわかってもらうにはどうしたらいいんでしょうか。

養老 実は僕、それで人体の展示をやったんです。僕が「日本人って捨てたもんじゃないな」っていつも思うのは、ああいう展示をやると、世界に類を見ないほど人が入って、しかも黙って見ているんです。あれを外国でやると、コントラバーシャル(物議を醸すもの)だって言いますよね。でも、日本だとあまりそうはならない。

中川 死体に、個性や本人性を見ないということでしょうか。

養老 日本人が自然に親しむというのは、まさにそういうことだと僕は思っています。これだけ文明化しても、土に還るとか、自分が自然の一部であるということを、暗黙のうちに引きずってきた人たちじゃないかという気がする。つまり、あるところまでは田舎者だった。ところが、今は危ないなと思っています。それこそ、もっと白黒はっきりさせる、潔癖性を出す、と考える人が必ず出て来るなと思っておりますから。 (おわり)

---------- 【引用ここまで】 ----------

 自分が死ぬということを想像して、自分を律した生活をする・・・。簡単に書けますが実践は難しそうです。

 患者を個人ではなく、社会の一員として見る立場になると一人一人の生に対する執着が強すぎるように見えるのでしょうね。私としてはお迎えが来そうになったときには、若ければ運命に抵抗して、一定の年齢に達したらあまりじたばたしたくないものだ、と思うのですが・・・。

 「人間は必ず死ぬ」ということは、突然理解や納得するようなことではなくて、長い時間をかけて少しずつ諦観、あきらめる気持ちを醸成することなのではないでしょうか。

 そのために、社会的な装置として、仏壇や神棚、お寺や神社があり、それらに日々手を合わせたり畏敬を年を育てるということで心の中に安らぎが積み重なってゆくのではないかと思うのです。

 経済的合理性や効率性では語れない、時間だけが育める大切な思いに心を寄せられるでしょうか。

 今はこちらから家族みんなで一緒に見ているお仏壇は、いつか自分もそこからこちら側を見る窓なんですね。 

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